☆4話
蛙の子は蛙ということわざがある。
子供は結局、親に似てしまうという意味だ。
どれだけ道を違えようと思っていても……。
生き方が、考え方が、価値観が似通ってしまう。
――これほど恐ろしいものはないだろう。
子供としては、影響など受けたくないのに。
親としては、影響など与えたくないのに。
親子というだけで、たったそれだけのことで。
嫌なのに。
オリジナルの人生というものを、歩みたい(歩ませたい)のに。
共に暮すというだけで、似てしまう――。
――無論。
それを難なく受け入れられる者は、いるだろう。
この世には様々な人間がいて。
様々な性格がいて。
そして……様々な関係が在るのだから。
例えば良い母親であったなら、良い父親であったなら。
子がそれをお手本にしたいと思うのは、自明であり。
自らの信念に誇りを持つのであれば。
それを我が子に継承させたいと思うのもまた、自明の理だ。
――だけど俺には、そんなものはない。
自分は良い人間ではないし、良いモンスターではないし。
ましてや――誇りなど持っていない。
誰にも渡してはならない生き方で。
誰にも聞かせてはならない考え方で。
誰にも受け売りさせてはならない価値観なのだ。
……だが、それを押し通してでも。
子供の『共に暮したい』という気持ちを殺させるのは。
本当に、間違っているだろうか?
「ねぇ、あなたも“きめら”……なの?」
「…………えー……と……」
――夕刻。森の中。
新たな宝玉を手に入れようと、旅の途中。
そろそろキャンプの準備をしなければと、支度していたら。
すぐ近くの草木が、ガサガサ。ゴソゴソ。
(魔物か、魔物なのか……!?)と、少年が構えていると。
バサリと音を立て、それは草木から這い上がってきた――。
……中くらいのサイズはあるだろう、“ドラゴンの翼”が。
小さいならともかく、このサイズは対処できるはずがない。
――おかげで、少年――ユーマは戦意喪失。
人生の意義について考えていたら……。
またもそれは、音を立てる。
生い茂る緑から、翼の主がひょっこりと顔を出し。
現れたのは――赤い。
赤い髪色の……女の子だった。
女の子の声。
女の子らしい……格好。
異質なのは、身の丈に合わない赤い翼くらいなものだ。
「き、きめら……って、なに?」
恐れながら。
戦々恐々としながらも。
ユーマはその……少女らしき何かに、問いかける。
少女らしき何かの仕草は、人間の子供そのもので。
首をかくんと、傾げる――疑問を訴えるその姿は。
その容姿も相まって。
無垢で、あどけなくて、幼い印象だった。
(……いや、幼いにしては、こんな“眼”はしないよな?)
そう思い、少年が注目するのは――その深緑の瞳。
仄暗く、ほんのりと歓喜が混ざっているかのような……。
……そんな、『絶望』が飽和した瞳をしていた。
気化した感情が、充満するような――。
朧気で、ふらふらとした、取りとめない思い。
――その瞳はユーマを写しているようで。
その実、全く別のものにしか興味を示していない。
彼の知る子供というのは。
もっと活溌で、もっと活気に溢れていて。
少なくとも――こうも、地に足がつかない感じではなかった。
(……こんな子を相手に警戒するのは、少し心が痛むけど……あんな翼があっちゃあ、そうも言ってられねぇよな……)
おそらく……というより、間違いなく。
彼女は、自分と同じように生まれた――。
人間とモンスターとのハーフ、なのだろうが……。
それでも、油断はできない。
いや。
同族だからこそ、油断してはならないことを知っている。
自分がどれほど恵まれているのか。
モンスターがどれほど人間離れしているのか。
それらを、身をもって理解しているからだ。
これらは演技かもしれない――罠かもしれないと。
そう疑うのは、当然――。
――いつ襲われてもいいように構えつつも、返答するユーマに。
人外じみた翼を持つ少女は……幼子のような反応をした。
「……え?」
そう、『裏切られた』とでもいうような。
瞠目して、声を漏らして。
一瞬、戸惑ったようにさえ思える。
だが。
だが、それでも少年は、警戒を解かない。
“確信”が持てるまで、解くわけにはいかない。
――そんな態度を取り続けるユーマに。
しかし少女は、果たしてそのことに気付いているのか。
ともかく……説明しようと。
視線を泳がせて、口を開く。
「『別々の個体から異なる性質を帯びる遺伝子を取り出し、組み合わせ、一つにした生命個体』……だよ? あなたは、聞かされてないの?」
「い、いでんし? セイメイコタイ……?」
幼い少女らしきものの口から、飛び出たワードは。
聞いたことのないものや、聞き馴染みのないもの……。
――彼にはとても、解することができず。
ただただ、オウム返しするのが精一杯。
聞かされてないも何も、知らない概念で。
それどころか、到底ついていけそうにない、専門的な話。
自分は、少女の相手をできそうにない――。
(……正直にいえば、このまま相手が諦めて、引き下がってくれるとありがたいんだけど……戦いになれば勝ち目はないし、かといって逆撫でしないようにする技術なんてないしな……)
――だけど。
そう考えていたユーマは、あろうことか。
なんとか“繋げなければ”と、頭を働かせることになった。
相手を刺激しないような声色を選んで。
相手にショックを与えないような内容を選ぶ。
――理解したいという意思を、示すような。
そういう返しをしなければと……半ば反射的に、思考を走らせた。
……なぜなら。
少女の表情自体は、それほど変わらないものの……。
少年にはわかる。
悪魔の血が流れているユーマには、視えてしまう。
彼女の瞳に内包されていた負の感情……。
寂寥や失望、悲しみが。
彼が無理解な反応をした途端。
どっと、増大したことが――。
(――喰いたい)
その衝動を、速る鼓動を抑えつけて。
幻視の牙を食いしばり。
必死に慌てて、少年はセリフを紡いだ。
「わ、悪いっ! 俺、頭悪いからさ、そういう専門用語はよくわからないんだっ。だから、あんまり気にしないでほしいっていうか……悲しんでほしくないっていうか……」
「……ぼく、悲しんでないよ?」
「え? ……いや、でも……」
でも……確かに、自分には視える。
少女には視えずとも、自分には。
形なって、色となって……負の感情が、そこにある。
濃ゆい。
濃密な……重みのない、それら。
――哀情が。
……さすがに見間違えではないだろう。こんなの。
しかし……ならば少女が、嘘をついているということか?
――どうして?
「――悲しんで、ない」
「あ……」
そういう風に、訝しんでしまったからだろう。
認めずに、否定してしまったから。
だから少女は――ムキになる。
更に負の感情を、強めて――。
――嫌な色合いの、霧のようなものが。
これまで以上に、放たれる。
(まずい、ミスった――!)
思わず、少年は後退った。
怯えるように、恐れるように、後ろへと下がる。
それは、先程までの懸念とは、まるで質の違う――。
もはや少女が、翼を持っていることも意識できず。
少女の内側に渦巻く、青い感情に。
――いや。
それ以上に、自らの血に流れる“本能”が。
何よりも、今、怖かった。
こうなりたくないから、慎重に対応したというのに。
――視たくなかったと、いうのに……。
(喰いたくない――喰いたくないっ。喰うなッ!)
気付けば呼吸が、荒くなる。
嫌いな衝動に駆られる。正気が保てなくなる。
――喰べたい。
彼女の内側に秘める思いを……丸呑みしたい。
喰べて喰べて、楽になってしまいたい。
あれほどの絶望、きっと美味に違いないから――。
――あれほどの絶望、自分には耐性がないから……。
「……? なんで……?」
だけど、少女は。
幼い少女には、無知な少女には。
そんな事情――察しろという方が無理なわけで。
問いかける。
「なんで」と、少年に問いかける。
わからずに、解けずに、読めずに。
『不安』と共に――次から次へと、言う。
「なんで、そんな反応をするの? ……ぼくが、怖いの? あなたもぼくを、怖がるの? ぼくが……キメラだから?」
「ち、違う――違うから――」
更に強まる、彼女の負の思い。
――更に強まる、悪魔特有の食欲。
喰ってはならないと理性が叫んでも。
だけれど……欲望に抗うのは、苦痛なことで。
(喰いたい――喰いたい、喰いたくない――ッ)
――やばい。
もう、耐えられない……。
――これほどの『沈んだ心情』を前に。
頭が真っ白になりながらも、無理やり。
……これなら、まだモンスターに襲われる方が良かったと。
そう、盛大に肩を落として、両眼を手のひらで覆い。
ユーマは躊躇わず――“ごくん”と、唾を飲み込んだ。
まるで……何かを、食べたような。
ものを喉に通すような……そんな音。
“悪魔じみた”その音に……今度は、少女の方が後退るも。
両眼を隠していた手のひらが崩れ落ち。
ゆっくりと開かれるオッドアイと、目を合わせると――。
「……っ?」
その、水色と黒の瞳は。
一瞬にして――冷静さを取り戻していた。
それまで混乱して、困惑して、動揺していたのが。
それらが、無かったことにされたみたいに。
別人のように、変わる――。
「……ふぅ」
少年は息をつく。
嘆きとは異なる、整えるような軽い息を。
姿勢も。
いつの間にか、オドオドとしているものではなく。
芯がしっかりとしていて、打たれ強いような。
そんな――頑丈なものに変化していた。
その変貌ぶりに、先程から訊いてばかりの少女は。
またも、別の疑問を口にする。
「……お兄さん……雰囲気が、別人みたいになった……なに、したの?」
すると。
やはりユーマは、簡単には動じない声色で応じた。
怯えもなく、気の張らない態度で。
「あー……悪魔の特権、って言えばいいのかな。つい使っちまった」
まぁ――対象が少女ではなく、自分だったのが幸いだが。
衝動とはいえ、今回は使っても良かっただろう。
――そう、彼は判断する。
こうでもしなければ、状況に対応できなかったと。
対応できず――自分が潰れていたか、少女を喰っていただろう。
……本音としては、自力で何とかしたかったが。
あまりそうも、言ってられない。
――悩みが解消したとはいえ、手段が気に入らないからか。
自らの気持ちに、整理をつける少年。
甚だしく容易に、切り替える。
「? とっけんって、なに……?」
「いでんしとかいう難解単語は知ってるのに、特権はわからないのかよ」
それまでは、やろうとしてもできなかった苦笑を。
ユーマは、当たり前の如く浮かべた。
「いいか? 特権っていうのはな……」と、説明に入る。
「なんて言えばいいのかな……その人にしかできないこと、みたいなもんだよ。悪魔にしかできないことを、俺は俺に対してやったんだ」
「あくまの、とっけん……?」
「ああ」
――気付けば、あれだけ離れていた両者の距離は。
徐々に徐々に、自然と縮んでいた。
さっきまでは、互いに警戒し、遠ざかっていたというのに。
今ではもう、会話する程度には近寄っている。
その表情も、二人とも暗いものではなくて。
少年は穏やか、少女は憂いが取り去られたような顔つき。
和める程度のものには、落ち着いていた。
「ねぇ、あくまって何ができるの?」
そう、少女はユーマの衣服を摘む。
――それは好奇心というより、気を許した証であった。
随分と彼女の負の感情も収まっていて。
それを汲み取った少年も、また胸を撫で下ろす。
――どうやら問題の方も、ひとまずは解消したようだと。
膝を曲げて、少女と同程度の身長になるのだ。
「悪いけど、秘密。この力は便利だし強大だけど――とても危険なんだ。だから教えられない。意地悪なわけじゃないのは、わかってくれるか?」
「……うん、わかった」
「――ありがとな」
聞き分けよく頷く少女の頭――。
被っていたボンネットごと、撫でる少年。
――突然のことで、驚かせてしまっただろうか?
少女は戸惑い気味に、無言で――けれど。
深緑の瞳を閉じて、気持ち良さげに温もりを浴びていた。
その様子に。
ユーマも同様に、ほっとする。
だが、やりすぎるものでもないだろう。
なにせまだ、仲良くなったわけでもない。
だから。
ひとしきり撫でたら、止めようと思っていたのだが……。
「……お兄さんのそれ、なんだかとても安心する。もっとやってほしい」
「え? い、いいけど……」
まさかの要求に。
今度は、少年の方が戸惑いながらも。
嫌がられてないなら――いや、むしろ。
彼女のブルー加減が緩和していくので、続けることにした。
なぜそんな要求をされたのか、わからないまま。
それから二分、三分と経った辺りだろうか。
不意に少女が、口を開く。
「どうしてお兄さんは、ぼくの帽子をすりすりしようと思ったの?」
「どうして、か……うーん……」
……わざわざ『すりすり』と表現することからも。
もしかしてこの少女は。
“頭を撫でる”という行為そのものに、慣れてないのか?
はて……やろうと思った理由。
そんな何となくで、思いつきで、自然とやってしまった行いを。
どう……言葉にしたらいいものか。
――なんてことを思い悩んでいると、少女。
こちらを見上げて、疑問を見上げる。
「なんだかお兄さん、さっきから詰まってばかりだね。ぼくの質問が、変だから?」
「いや、変といえば変だし、そうでないとも言えるんだが……」
「? どっち?」
「そうだな……」
どうすれば彼女の暗い心に掠ることなく。
それでいて、こちらの言い分を伝えられるか。
思慮を重ねた末に、なんとか決意してユーマは話す。
「俺にとっては当たり前なことを訊かれたから、少し困惑してるだけだ。ほら、腹が減ったらこうやって擦りたくなるけど、なんで擦りたくなるのかって訊かれた困るだろ? それと同じことだよ」
「ん……たしか、に?」
納得したような口調でありながらも、首を傾げる反応に。
少年は、はにかんで謝罪する。
「悪い、あんまいい例えじゃなかったよな……けど俺、こういうの苦手だからさ、これで納得してくれないか?」
「帽子すりすりしてくれたらいいよ」
「……意外と抜け目がないな。ロリ見た目に騙されたよ」
許してくれるどころか。
許してほしいなら、こちらの望みを叶えろと返してきた少女。
そんな態度。
普段なら、苛立ちの一つも感じるものだが……。
あまりに意外だったこと。
何より……何とも可愛らしい『望み』に。
つい、毒気が抜かれてしまった。
これは、こんなの、怒れない。
そうこうしていると、少女からの催促が始まる。
「やって、やって」
「わかったわかった」
はちきれんばかりの思いを、起伏のない声に込める子供に。
少年は――支えるように、包むように、冷静に告げた。
――それからユーマは、少女の頭を撫でる。
正確には――その上にあるボンネットを、だが。
彼女はやはり、嬉しそうに与った。
だから彼は、少女が満足するまで止めないことにして。
――その結果。
「……な、なぁ、もうそろそろ夕飯の支度を始めたいんだが……」
「もう、ちょっと……」
少年は。
約一時間ほど、単調な動作を繰り返す羽目になった。