☆2話
「それで……」
「ん?」
「それで結局、勇者様の好みの異性はどんなタイプなのですか?」
「あれ、俺らそんな話してたっけ?」
もっと、シリアスな話をしていたような。
少なくとも、恋バナではなかったような気がする……。
……いや別に。
恋バナがシリアスでないなんて、不真面目なんて。
そんな失礼なことは、言うつもりはないけれど。
よりにもよって、異性の前で。
それも憧れてる人の前で。
そんなデリケートな話題、触れないようにするはずだ。
……触れてないはずだ。
しかし。
だがしかし。
あっけらかんと、少女は首を縦に振った。
「ええ、していましたよ――子供らしい言動がご所望なのか、それとも痛みを悦びとするメイドがご所望なのか。どっちが好きなんですか?」
「……ああ、そのことか」
まさかの解釈のされ方に。
少年は、自らのオッドアイを閉じ。
「確かにその選択は、少しは好みの異性が反映されているかもしれないけれど――さすがにそんな超個人的な願望を、赤の他人に強いたりはしないよ」
つまり俺は、君に演技なんかは求めない。
もっと親しい関係だったら、悪ふざけで頼んでいたかもしれないけどな。
――そんな建前だったなら。
そんな理由だったら。そんな断り方なら。
自分の本音は隠しきれるだろうと――。
バレないだろうと、そう企む。
……即ち。
そのままの少女が好きだから、演技しないでほしい――という憧憬を。
「それにしても」
と、それから少年は繋げる。
間髪入れず、セリフを繋げる。
変な勘ぐりをされる前に。
探られたく、ないから。
「俺がロリコンだったとして、あるいはSだったとして、臆すること無くそれらを口にするとして――引いたりはしないのか? というか、引いた方がいいだろ。女子として」
「ロリコンだとか、Sだとか、随分と直接的な表現をしますね。わざわざ避けたというのに」
「直接的な表現をすることによって、人は現実を認識し、向き合うんだよ」
「現実から目を背けることも、時と場合によっては正解となりえるのですが――まぁ、そうですね」
考え込むように。
整理するように。
彼女は幼い顔つきを、神妙に変化させる。
神妙に。
生真面目に。
生真面目なことを話した。
「私からすればその程度、引くほどのことではありません。そういう好みを持つ人がいても構わないと思いますし、さほど気にもなりませんよ。問題なのは、私が演じきれるかどうか……それくらいです」
「ふーん……」
「……期待外れな回答でしたか?」
「『いや……』と言えば、嘘になるかな」
彼女の、こういう寛容的な考え方は。
――その心の、有り様は。
引くどころか、むしろ惹かれてしまうのだけれど。
同時に。
気を付けてほしいと、そう思わされる。
――理想像を、押し付けそうになる。
守護者相手に。
間違いなく、自分よりもずっと“強い”だろう相手に。
『危惧』なんていうのは――不要なのだろうが。
それでも、注意せずにはいられなくて。
――ガキであるにもかかわらず。
説教じみたことを、わかった風なことを。
つい……声に出す少年。
「――これは余計なお世話かもしれないけれどさ、もっと自分を大切にしてくれよ。まだ会って間もないが――なんというか、君は自分のことを後回しにしてる節がある」
「それはこちらのセリフですよ。勇者様」
――彼女は。
即座に、そんな返しをしてきた。
常日頃から、そういう思いを抱いてるみたいに。
――ほんのりと、悲しそうに。
目つきを緩めて、こちらを見る。
乞うように――『後生だから』と。
祈るように――『届いてほしい』と。
いつにも増して、真摯な声色で。
少女は――控えめに。
けれど明確に、口を動かした。
「勇者様は魔王討伐よりも、ご自分の身を最優先にお考えください。……そうすると、私と約束してください」
「お願いします」――と。
その、あまりにも張り詰めた顔つきに。
――重みだけを残した、その言葉に。
少年は。
受けきることが、できなくて。
拾うことが、汲み取ることが、難しい――。
「……っ」
彼女がどれほどの心境で、どれほどの思いをかけているのか。
深いことは、辛うじて察することができたけれど。
どこまで深いのかが、ついぞ判明しなかった。
だから。
「あ、ああ……約束、するよ」なんて。
そんな。
そんな馬鹿みたいな、ちぐはぐな返事しかできない。
彼女からの要望に応えようとして。
……どうにも、失敗したような感覚がする。
「……ありがとうございます」
だけれど。
それだけでも。
どうやら少女は、満足しているようで。
視線を切り、景色へと向き直った。
――これ以上の会話は不要だろうと。
意味がないだろうと。
暗にそう、言われたような気もする。
……失望させたようで。
少し、悔しかったけれど。
(……まぁ、この子のこと、何も知らないしな)と。
何を望まれているのか。
どうして望まれているのか、何も知らない。
無知に等しい。
故に。
仕方のないことだと、割り切ることにした。
口約束できただけでも、十分だろうと。
(……マジで悔しいな)
――だからこそ。
期待に応えられなかったことを、理解しているからこそ。
次の彼女のセリフは、聞き入れることができるけれど。
その通りであると、頭を下げるけれど。
グサッともきた。
「正直に申しますと、先の勇者様の発言には、落胆を禁じえませんが」
「うっ……」
「もっとはっきりと、もっと自信ある返答が欲しかったのですが」
「……ううん……」
「だけど……」
一度まばたきをして。
そして、こちらに向けた少女の顔は。
――確かに、笑っているようだった。
気を楽にしたように。
今までで一番、可愛らしい笑みを――。
「今回の勇者様が、無理解な反応を示さない方で、本当に良かった」
……それは。
とても柔らかな、赤い瞳。
彼女に新たな表情をさせた自分が。
――今までにない、意外な一面を開かせた自分が。
なんだか、誇らしく感じてしまうほどに。
少年は、すっかり心を奪われてしまった。
景色のことさえも、色褪せて……。
ぼうっとしていると、彼女はおもむろに立ち上がる。
「――さて、すっかり昼食の時間になりましたね。食事の準備をしてくるので、私は一旦抜けさせていただきます」
「あっ……」
――もう、そんな時間になるのかと。
……でも、空の色を伺えば。
確かにその時間帯になっていそうだと。
彼は――残念な思いに囚われる。
一時的な別れとはいえ、別れることに。
隣にいたのが、談話するのが。
あまりにも――短く終わったことに。
――何より。
そんな自分のことを、自分自身で残念に思う。
こんなことで心に穴を空ける自分が。
照れくさくて、正直に。
「まだここにいてほしい」と――そう伝えられない自分が。
寂しさを覚えていしまった――自分に。
非常に、残念だ。
早く大人になりたいものだと。
改めて実感させられた。
「あ、あのさ……」
だからだろうか?
勝手に。
そんなつもりは、なかったけれど。
喉から、声が漏れ出る。
――呼びかける。去ろうとする彼女を。
用があったわけではないけれど。
呼び止める事情は、これっぽっちもないけれど。
無理に作って、彼女との時間を引き延ばそうとした。
さすがに、幼稚すぎる行いだろうか?
……うん、だろうと思う。
だけど。
だけど、今だけは、どうか。
――引き止めさせてほしい。
あと二つだけ、訊きたいことができたから。
「はい、いかがなさいましたか?」
少年からの呼びかけ。
策略と寂寥に塗れた、疚しい呼びかけに。
けれど。
相手は――何も気付いていない様子で。
純粋な思いで、純粋な顔つきで。
こちらに、振り返った。
どんな用事であろうと、無下にする気はないと。
――少年は。
「君は……」
少年は、そんな少女に問いかける。
「君は、この景色をどう思ってるんだ? 俺のこととか、抜きにして――どういう風に見えるんだよ」
この、街が沈み込んだ海を。
――『綺麗』としか形容できない、この景色を。
君は。
どう――捉えているんだ?
「…………」
その問いかけは。
少女にとっては――よほど予期しないものだったのか。
それまで。
さほど浮き沈みがなかった瞳を――大きくする。
驚いたように、数秒間。
眼を、見開かせた。
――それから少しして。
ようやく、処理を終えたのか。
こんな呟きをする。
「……宝玉のことでも、休める場所でもなく、私に興味を示すとは……今回の勇者様は、あまり勇者らしくありませんね」
「…………」
彼女もさっき、こんな気持ちだったのだろうか?
そんな返答をされるとは思いもせず――。
とてもとても、予想外。
――というか。
彼女からそんな認識をされていたのが。
地味に精神的ダメージというか、なんというか……。
「……え、え……勇者らしくないって……も、もしかして、俺って頼りがいがない!?」
――任命されてからというもの、初めて言われたその一言に。
しかも。
よりにもよって、憧れの人にそう思われていたのは。
パニックになるには、十分であった。
「たた、確かに俺は、過去の勇者と比べて特技とかないけど……い、いやいやでも、普通の人だっていたらしいし……え、じゃあ性格の問題とか!? もっと貫禄とか身につけるべきなのかっ!?」
「これは失言でした……落ち着いてください。今勇者様が想像しているような、貶す意味ではありませんよ」
「ほ、本当か……っ?」
希望を見出すような、弱々しい眼差しに。
少女は、反省するように目つきを下ろす。
――「ええ」と、頷く。
「そもそも、これまでの勇者様の立ち回り方が、必ずしも正しいとは限りません。勇者として名を残した彼らは、結局は“魔王討伐に失敗している”のですから。なのでそう、気を落とさないでください」
「あ、ああ……それも、そうだな」
大先輩である彼らを尊敬している、少年としては。
――あまり、認めたくないことだけれど。
それは紛れもない――事実である。
過去の勇者は――五人とも。
魔王の元へと辿り着けていない――そればかりか。
宝玉を集める段階で、命を落とした者もいるという。
そんな彼らのことを……見本には、できないだろう。
「でも、じゃあ……勇者らしくないって、良いことなのか?」
「――断言はできません。しかしだからこそ、あなたが選ばれたのだと私は推測しています。むしろ勇者らしくない者ならば、魔王を討てるのではないか……と」
「……なるほど」
これまで聞かされた、守護者や人々の態度や。
勇者の歴史、その功績から鑑みる少年。
そこで全てが、繋がった。
決して彼女は。
相手を貶すつもりはなく――けれど、褒めるつもりもなく。
ただ客観的観点から、意見したに過ぎないのだろう。
彼女なりに。
実際に、過去の勇者と言葉を交わした経験から。
(……やっぱり、こんななりでも長寿なんだな)
自分より、ずっと――。
再認識して、幼い少女へと視線をやれば。
彼女は、街の方を見ていた。
遠望するように――己の目に焼き付けるようにして。
そのまま、動かないのではないかと。
そう錯覚しそうになるほどに、静止していたが。
その口が――唐突に、開く。
「……これまで勇者様から、『この景色をどう思っているのか』……なんて、そんな質問をされたことはありませんでした。だからか、あまり意識したことがありません」
「え……」
――少年は、唖然とする。
彼としては。
こんなのは、特別な疑問なんかではなくて。
当然の疑問で、普通の疑問で。
なんとなく、訊いてみただけ。
……なのに、彼女にとっては。
特別で。
異例で。
普通じゃない――疑問。
――不思議だった。
それほどまでに、自分は――。
前任の勇者たちと、かけ離れているのかと。
違っていて、変わっている。
……それは一体、どう受け止めるべきなのだろう?
嬉しく思うべきなのか――それとも、嫌だと感じるべきなのか。
だが。
検討する前に――思考するよりも先に。
少女の声が、耳に入ってきた。
「私は好きですよ。この絶景――この眺めが」
――絶景。
景色でも、風景でもなく、絶景であると。
少女はそう、表現する。
別段、強調するわけでもなく。
誇示するような物言いもせず。
あくまでも、自然体で。内心をありのまま発露したように。
滑らかに――彼女は続けた。
「水中と地上は、本来相容れない関係なのです。水中に適応しようとしても、地上のものは脆く崩れ……逆に水中で生きる者が地上に適応しようとすれば、その未知な環境に戸惑い、死に至る」
だけど……この景色は。
水中と地上が融合した、この海底都市は。
「もう数百年もの歳月が経ちますが、建物は壊れずその形を保っています。暮らす者は私しかいませんが……それでも、本来地上で生きる者が、海の中で生活できている」
共生できなかったはずのもの同士が――。
混ざることが、できなかったはずのものたちが。
こうして有りえてしまうのは。
奇跡が、体現できたことは――。
「ロマンチックだなと……そう思います」
少年が、『綺麗』だと評したその景色を。
――見ているものは全く同じはずなのに。
しかし少女は、まるで違う感想を抱いていた。
……自分には、想像だにしない考え方を。
「……ロマンチック、か……」
「凄いな」……と、少年は素直に呟いた。
いや……素直、というより。
それこそ自然体で、内心をありのまま発露したように。
もしも彼女だったら。
――自分よりも大人びた彼女だったなら。
きっと、もっと違うことを。
その素晴らしさを。
的確に伝えられるような――“いい言い回し”を思いつくのだろうが。
どうにも、自分にはできないようだ。
できそうに、ない。
(……っ、なん、つーか……)
こんなに、離れてるんだな……。
――街から地面へと、見る先を変える少年に。
だが少女には、その意味が察せなかったようで。
「凄い……ですか?」
訊いてくる。
不思議そうに、首を傾げて。
……そんなにも。
そんなにも、彼女にとってその内容は。
当たり前な、ことなのだろうか?
素で……浮かんでくることなのか?
(……ああ、やっぱり)
到底――及ばない。
「うん。君の意見を聞いてからだと、とてもじゃないが胸を張れないけれど――俺、この景色を眼にしたときに、『すっげー綺麗』だなって思ったんだ。そうとしか、思わなかった」
そんな風に。
存在意義とか、役割とか、理由とか。
何も思いつかなかったと……。
そう、隠すことなく少年は暴露する。
――彼女の敬意も含めて。
「……なんか、恥ずいな。こんな語彙力ないことしか言えなくて」
「何を恥じるることがあるのですか。もとより私とは経験の数も、生きている環境も異なります。それに、今の勇者様を好む人は必ずいますよ」
「ん、んん……」
少女から、微笑を向けられながら。
そんな返しを、されてしまって。
今度は――別の意味で頬を赤くする少年。
「そ、そりゃあ……理屈としては通ってるけど……あんまストレートに伝えることじゃないだろ。好まれるとか、そういう話は」
……嬉しいけどさ……。
そう、少年は視線を泳がせながらぼやいた。
その反応に。
初々しいそれに。
少女はほんのり、面白がって。
――そして、見守るように微笑むのだ。
「もう、大丈夫そうですね。他にはなにか、訊きたいことはありますか?」
リラックスしたように。肩の力を抜くように。
こちらが平常心を取り戻す前に、彼女が切り替えるものだから。
大分、テンパってしまったけれど。
「あ、ああ……その」
別に、変なことを訊くつもりも。
頼むつもりも、要求するつもりもなくて。
――むしろ。
至極真っ当な質問を、するつもりだったのだが。
躓き、言葉尻を浮かせ、つっかえさせてから。
それからようやく――彼は発する。
「君の、名前――」
思えば、真っ先にするべきその内容。
今になって、ようやく明かした。
「俺たち、まだ自己紹介してないだろ? 俺の名前は、ユーマっていうんだ。……君は?」
――そのセリフは。
またも、虚を突かれたのか。
少女は少しの間、放心する。
……だけど、少しの間だけ。
すぐに順応して、すぐに対応して。
「これは失礼しました」と――姿勢を整えるのだ。
緩めていた姿勢を。
少女としてでも、彼女としてでもなく――。
一人の、“守護者”として。
「私はユエ。月の神より造られ、宝玉を託された守護者にございます」
一見して、若く小さきその子供は。
――だが、その実力は稀代の魔術師にも引けを取らない彼女は。
見入るほどに美しく。
魅せられるほど優雅に。
端然と一礼して――少年を迎え入れたのだ。
「お待ちしておりました。六代目の勇者、ユーマ様。ようこそ“月の宝玉が眠る都市”――海底都市に」