エピローグ③
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辻畑は事件における経緯等を全て素直に話し罪も認めたからだろう。裁判は比較的早く進んだ。その結果、母親に対する殺人教唆の罪は情状酌量され問われなかったものの、吾妻瞳殺害の共同正犯及び死体遺棄の罪で懲役十五年を求刑された。
罠に嵌める為とはいえ、瞳に手を出させるよう白木場に情報を提示したのは事実だ。辻畑の誘導が無ければ、彼女は死なずに済んだかもしれない。
結果彼女を死に至らしめた罪の意識は消えず、母の件も含め償わなければならないと覚悟していた。よって当初からの計画通り、毎日忙しく刑務所での生活を送ることとなった。
というのも記者として書き続けた記事を加え、一連の事件における当事者の視点に立った本の執筆に勤しんでいたからだ。
ちなみに白木場や懲戒免職を受けた並木は罪を軽くしようと抵抗し、また数が多く証拠固めに時間がかかった為、彼ら以外の事件に関わった人物達の裁判は長引いていた。
辻畑が書く事件の内容の一部は、もちろん刑事だった頃に知り得た情報もあった。その為出版するに当たって公務員法の守秘義務を破る恐れがある。その点は乗り気な出版社の編集部の提案で、限りなくノンフィクションに近いフィクション、つまり小説にする案が出ていた。けれども辻畑は納得がいかず、まだ結論が出ていない状態だった。
しかし出版自体は決まっている。前代未聞の逮捕者と被害者が出た事件で、世間の注目が高かったからだろう。よって辻畑が知る範囲内の事件の経過等を文章にまとめるだけでなく、警察の捜査により明るみとなった事件も追記しなければならない。その為編集者が用意してくれた数々の新聞や雑誌の記事等の資料を読み込み、コツコツと書き進めていた。
だが事件全体の規模が余りにも大きく、とても一冊でまとめるのは無理だろう。そうなると何冊かに分けなければならない。またいつ出版できるかも不明だ。
それでも辻畑は書き続けた。時間だけはたっぷりある。そしてこれを世に出し、自らが犯した行為の反省も記すことが今出来る贖罪であり、生かされている者の使命だと思っていた。
本の売り上げで得た印税は、全て事件の被害に遭った被害者遺族に、とはいかない。遺族自身が加害者でもあったからだ。
よって介護で苦しむ人や虐待、DV被害に遭っている人達を支援する団体や、様々な依存症に苦しむ人々に寄り添うNPO等に全額寄付すると既に宣言していた。
今回の事件に根差していたのは共依存の概念だ。アルコールやギャンブル、DVや万引きも同じで、当事者は痛みが生じると一方で理解しつつ分離を拒絶するとの特徴を持つ。
その上厄介なのは当事者を含め近しい人達が周囲の目を気にし、できれば隠そうとする点だ。辻畑も母のギャンブルに関してはそうだったし、並木も祖母のアルコール依存症については口を噤んでいた。だが取材でそれらを暴いたことが白木場の特定につながった。
依存症の人達は何故苦悩に満ちた関係を継続しようとするのか。何故そこから抜け出そうとしないのか。通常悪い状態を改善するには、当事者が病的なものに罹っていると認識し、周囲を含めまず引き離さなければならないと考える。しかしことはそう単純ではない。良くないとされる関係があることで、生き延びられた人だって中にはいるからだ。
もちろん命に関わる危険があれば、安易に容認はできなくなる。これ以上お酒を飲めば、または殴られれば死ぬとなったら止めるしかない。ゲーム依存や万引き癖もこれ以上進めば精神を崩壊、または経済的破滅をしてその後自殺してしまう可能性だってあった。
ギャンブルだってそうだ。けれど例えば親から虐待を受けながらも一緒にいなければ生きていけない、共に暮らしたいと考える人は存在する。その場合、無理に支援者が引き離す行為は当事者に対する別の支配関係を生み出す、とも捉えられてしまう恐れがあるのだ。
よって分離でなく、関係や繋がりを保つ中で解決したいと願う声の存在を忘れてはならない。これは辻畑と母との間に起こった事でもある。
別れたい、でも別れられない。ならどうすれば一緒にいながら関係を改善させられないかを考える事も重要だと、身に染みて経験したからこそいえるのだ。
客観視すれば引き離す事が最善の方法だとしか見えない場合でも、大切なものを守りたい何かがあるかの見極めは必要だった。そこに命を賭してでも関係を維持してみようと思えるかどうか、が解決の糸口なのかもしれない。
それを「愛」と呼ぶのだろうか。中には「偽物の愛」も存在するだろう。しかしそれすらも当事者にとっては「愛」と捉えることだって考えられはしないか。辻畑はこの事件を通し、そうした点も深く追及したかった。
分離どころかこの世からの排除という暴挙に出た白木場の思想は絶対許せないし、自らも含めた賛同者達も同罪だ。その上でどうすべきだったのか、個々の状況を把握し社会として考える一助になればいい。
もちろんこんな行為だけで多くの人達を救えるとは思えないし、母や吾妻瞳の死に対する罪が消えるはずもなかった。しかし事件に関わった一人として世間に知らしめ、二度とこんな痛ましい事件が起こらないよう、将来に向けての戒めの書としては使えるはずだ。
この社会の根深い闇の問題に対し多くの人達が関心を持ち、少しでも改善される方向に導きたい。そう願いながら辻畑は、時折母の顔を思い浮かべ、こぼれる涙を拭いた。(了)




