第六章~記者⑨
私が頭を下げると、彼は恐縮したように首と手を激しく振った。
「辞めて下さい。そんな堅苦しい挨拶をする仲ではないでしょう」
確かに一連の事件を追い始めてから換算して既に五年余りの月日が経つ。その間、彼とは度々情報交換をしてきた。相手は年下でも、立場は大きく異なる為けじめが必要と思いそう言ったが、彼は嫌がった為にやや言葉を崩して話を続けた。
「では早速だけど、要点を説明するよ」
そうしてかつて起きた滋賀の事故の概略を彼に話し、その人物が闇サイトの創始者ではないか。そう疑っていると告げた。もちろん根拠やその考えに至った経緯にも触れた。
彼は最初、かなり驚いた様子を見せたが、徐々に前屈みになり私の言葉を頷きながら真剣な顔で耳を傾けた。途中でいくつか質問を挟まれ、それも丁寧に答えた。ほぼ最後まで聞き終わった彼は、大きく息を吐いて尋ねてきた。
「それでどうすればいいですか。その白木場義信という人物が、まず今伺った通りの人生を歩んできたか、こちらでも裏を取り調べるのは構いません。しかし問題はそこからです」
「彼の足取りを追って欲しい。まずは岐阜で吾妻瞳が拉致され殺された日、彼が何をしていたか。アリバイはあるのか。それと以前話した、猪川理恵が刺殺された日も」
「分かりました。まずは二つの事件で白木場に犯行が可能だったかを確認しましょう。しかしアリバイがあったらどうしますか」
「もしそうなら他人に任せたことになるので、一から考え直さなければならないかな」
「ただこの五年余り、ほぼ一連の事件だけといっていい程調べ続けて来たあなたがそこまで言うのです。よって角度は高いと考えていいのですね」
「そう信じているけど」
「それならやりましょう。空振りでも構いません。どうせ一連の事件については警視庁も含めほぼ足踏み状態ですから」
「そうらしいね」
彼はそこで首を傾げた。
「あちらとも情報交換をしているのですか」
「警視庁に限らず全国各地を飛び回ってきたから、事件と遭遇する度にそれぞれの管轄の刑事達から事情を確認し話をしてきたよ。でもこの件を今初めて口にしたのは嘘じゃない」
「それなら構いません。だけどアリバイが無くとも怪しげな情報が出たら、上に報告することになるでしょう。もちろん警視庁を通じて警察庁へ話がいけば、全国の署に知れ渡ります。特に事件の発端が滋賀の事故なら、少なくとも滋賀県警に当時の資料があるか確認するはずです。それでも構いませんか」
「直ぐに報告するのは止めて欲しい。まずはこちらに教えてくれないと。内容次第で警察の全面協力が必要となれば止むを得ないけど、そこまで確実な証拠を掴めない内は、できれば二人で動きたい」
「私と、ですか」
「そう。もちろん私が警察の振りをすれば犯罪になる。だからまずは取材として相手に突撃し、その連れとして並木さんが同行してくれればいいでしょう」
彼は唸った。一般人、しかもマスコミと一緒の捜査となれば責任問題になる。それで彼が処分されるのは私も本意ではない。だからまずマスコミとして白木場を追求し、反応を探っておきたかった。私の後輩の振りをしていれば、職務上問題にはならないはずだ。
意図を理解した彼は頷いた。
「分かりました。ではこちらで捜査してみます。既に調べた情報で事前に伝えられるものがあれば教えて下さい」
交渉が成立したと判断し、これまで取材した白木場について語った。まず現在七十歳の彼が、二年前から名古屋市内にマンションを借り一人で住む場所を伝えた。さらに今も通う精神内科の名前も告げた。
「彼がこの地にいたから、猪川理恵と吾妻瞳を殺した実行犯だろうと睨んだのですか」
「それだけではないけれど、名古屋なら二つの事件現場と近く犯行も可能だから」
五十五歳の時、早期退職するまで保険会社に勤務していた彼は、各地を渡り歩く転勤族だったからか、祖父が事故死した後に家を売却し、土地勘のあるかつての勤務地を転々とした。裕福な経済事情と身軽な独り身だからできたとも言える。ただ闇サイトを開き犯罪に手を染めた為に警戒し、居場所を特定されないよう動き回っていたとも推測していた。
「そうなるとOKの息子の件の際は六十歳。その頃から闇サイト運営を始めていたと」
「もしかしてそんな高齢者に出来るか、疑問に思っているのかな」
「そうはいいません。高齢者でもパソコンの講師が出来る程、使いこなしている方はいますからね。それに高学歴で大企業に勤めていた人物なら、決して不可能ではないでしょう」
「彼の大学での専門は機械系で、会社も理系枠で入ったと取材で判明している。ただ最初の配属が営業で成果を出し、本社のシステム部門などに行かず各地を渡り歩いたらしい」
「そうだったんですね。でしたら能力や素地は十分あったのでしょう。ただ気になるのは現在の年齢です。相手が三十代と四十代の女子とはいえ、七十歳の男性が刺殺や車で拉致などできますか。特に瞳の場合はその後絞殺され、山中に埋められています。共犯者がいないと無理ではないですか」
「刺殺だけなら一人で十分だと思う。ただ協力者の存在は否定できない。他の事件ではまず間違いなく情報提供者などが複数いて、その中の一人が実行犯になっているはずだから」
「警視庁サイバー課の分析結果ではそう出ています。まず一人での実行は不可能だと」
「他の事件はそうだとしても、例外に当たる二つの事件に協力しているとなれば、白木場の信頼は相当高い人物かも。その証拠にサイバー課の分析では主犯格のサイト運営者と実行犯や依頼主の周辺を探る情報提供者との間ですら、特殊なアプリを使った可能性を示唆していた。つまりネットだけの繋がりで互いに面識がない。万が一誰かが逮捕されても主犯には辿り着けず、全容解明も困難だろうという話だった」
「ただ唯一、全ての情報を把握しコントロールしているのがサイト運営者で、その人物さえ逮捕出来ればその他も一網打尽が可能と言われています。だからあなたはずっとその人物を追っていたのでしょう」
「その通り。そこまで分かっているなら、今回の捜査がどれだけ重要かも理解できるはず。絶対、相手に気付かれてはいけないし、警戒されてはまずい」
「承知しています。まずは彼の周辺や協力者の存在、また使用するネット回線や通信履歴なども探ってみます」
「こちらで調べた限り協力者と思われる親しい、または近い人物は見当たらなかった。だから警察の捜査権力がどうしても必要と考え、今回打ち明けたのは理解できるよね。しかし逮捕状や捜索令状も取らず、回線や履歴など調べられない。どうするつもりかな」
「さすがにそれは教えられません」
「非合法な手段を使うのはまずいよ。フリー記者の立場ならともかく、現役の刑事が違法行為をしたとなれば問題だから」
彼は苦笑して言った。
「一般人でも違法行為は許されません。確か岐阜では捜査本部に届いた何者かの告発文がきっかけになったと聞きます。そこで事情聴取されたようですね。あれを出したのはあなたではないですか」
「その件はノーコメント。岐阜県警も深く追及しなかった件だから。それに管轄外の刑事が首を突っ込む話じゃない」
「分かりました。そこは目を瞑りましょう。でも私と共同戦線を張っている間だけでも危ない橋を渡るのは止めて下さい」
「それはお互い様。どちらかが逮捕される事態になれば追い込む人間がいなくなってしまう。または逃げられるかもしれない。奴がそろそろ足を洗ってもおかしくないだろうし」
彼は目を丸くした。
「そんな可能性があるんですか」
「ゼロでは無いと思う。年齢もそうだけど、いつ自分がどうなるかなんて誰も予測できないから。そう考えれば、彼が後継者となる人物を育てているかもしれない」
「なるほど。十年近く闇サイトを運営し、全国各地で少なくとも十数人の悩める殺人依頼主を救ってきたとの信念を持つ人物なら、そう考えてもおかしくはありませんね。その人物が協力者なのかもしれません。彼の思想に強く共感しているのならあり得ます」
「もしそうだとすれば捜査の手が迫っていると知り、逃げられないと思えば全ての証拠となるデータやノウハウをその人物に移譲し、捨て身となる準備をしているかもしれない」
「そうなる前に証拠を掴み、彼の身柄を確保したいところですね」
「頼みます。この機会逃し野放しにすれば事件は続く。それは更なる被害者を産む負の連鎖を許す事にもなるから」
「そうですね。では早速動きます」
彼はそう言って席を立ち、自分が注文した分だけを支払い、店を出て行った。その背中を見送った私も立ち上がり、会計を済ませた。扉を開けて外を出ると、スッキリと晴れ渡った青空が広がっていた。日射しが眩しい。その中を歩き、停めている車に乗り込んだ。
エンジンをかけ、独り言を呟いた。
「これで全ての事件を終わらせる」
前髪をかきあげ車を発進させた私は、次なる目的地へと向かったのだった。




