第六章~記者②
彼女は転倒せず、何とか踏ん張ってくれた。
「だ、大丈夫です」
「ランドセルは傷付いてないよね。私のカバンについた金具で引っ掻いたかも」
「え、ちょっと待って」
確か小学四年生だから、ランドセルも使い始めて四年目のはずだ。綺麗に使っても多少の擦り傷はつく。しかし気になったのだろう。彼女は自分で肩から降ろし確認した。だがざっと見て明らかに分かる大きな傷はない。よって安心し中腰で覗く私に向かって言った。
「大丈夫みたい」
「そう。良かった。ごめんね」
「いえ」
彼女が背負い直す所を後ろから持ち支えた。その隙に脇ポケットに盗聴器を押し込んだ。
振り向いた彼女は軽く頭を下げた。
「すみませんでした。有難うございます」
「こちらこそごめんなさい。じゃあね」
小学生の子供に見慣れない大人が近づきすぎれば、他人に怪しまれる。その為、私は反対方向へ向かい素早く立ち去った。
しばらく歩いた後振り返り、彼女が部屋に入る様子を確認してから、私は近くに停めていた車に乗り込んだ。運転席に腰かけ、イヤホンを耳に当てて盗聴器の感度を確認する。
「ただいま」
「お帰り」
「お姉ちゃん、おかえり」
彼女と母親と弟だろう声がしっかり聞こえた。問題は無さそうだ。無線で音を拾える範囲は半径二百メートルと広くないが、電池の寿命は五日ほど持続する。
周辺は住宅地だが、有料コインパーキングのおかげで駐車には困らない。車の中でスーツを着た営業社員がさぼっているよう振舞えば怪しまれないだろう。ランドセルを置く場所にもよるが、五日あれば自宅内の様子はそれなりに把握できると予想していた。
事前取材でアパートの間取りが五人家族、今では四人だが、二LDKで広くないと分かっている。もし得られる情報が不十分なら、今度は留守中にこっそり忍び込むつもりだ。
リビングのコンセントを入れ替え、新たな盗聴器を仕込めばいい。あのアパート程度の鍵ならピッキングで開けられる。かつての経験を活かせばどうってことはない。
もちろん言うまでもなく犯罪行為だ。しかしそれぐらいしなければ真実など探れない。また私の目に狂いが無ければ、彼らの中に殺人依頼した人物がいるのだ。郷野が殺されて当然の悪人だとしても決して許されない。また闇サイトに関わったなら、次に必ず実行犯または協力者にならざるを得なくなる。
私は長い間、この悲劇の連鎖を止める為に事件を調べ、サイト運営者又は実行犯のしっぽを掴み組織の闇を暴き公にし、この世から一掃することが使命だと思って来た。現在把握しているだけで、既に十人以上死に至らしめている。その実行犯はまず依頼主と同一人物と考えていい為、最低二人は殺している点から死刑になってもおかしくない。
闇サイト運営者と思われる中心人物は、ほぼ全ての事件に関わっているだろう。ならば極刑を下されても止むを得ない犯罪者だ。けれど警察は未だに逮捕出来ていなかった。
だから不法侵入罪程度を恐れては、彼らに太刀打ちできない。よって全ての罪を暴くには、自らも刑務所に放り込まれ刺し違える覚悟を私は持っていた。それに今回の事件でいえば、闇サイトに郷野の殺害を依頼した人物は、十歳の陽菜である可能性も捨てられないが、まず疑わしいのは妻の瞳か娘の由衣のどちらかだ。私は由衣ではないかと睨んでいた。
だからこそ事件を探り、何としても次なる悲劇を生み出さないようサイト運営者又は実行犯に辿り着きたいと思っていた。これまで依頼主と思われる十数人を追いかけ取材を続けてきたが、その人物達は全てといっていいほど不幸な目に遭っていたからである。
目の前の厄介者を排除したことで、一時は自由や解放感を得ただろう。だが決して長続きはしない。現に実行犯として人を殺した後、自らの命も失った者がいる。罪の意識に苛まれて精神を病み、命を絶った者もいた。
前者は大阪で起こった栗山が例として挙げられる。後者は愛知で起こった事件の依頼主、当時中学三年生の日暮航がそうだ。彼は事件後に京都の高校へ進学したが、大学受験中にビルの屋上から飛び降り自殺をしてしまった。
世間では大学受験で苦しんだ結果と見ていた。しかし私はそう思わない。もちろん受験ノイローゼに罹った可能性も否定できないが、それまで蓄積された罪の意識に耐えきれなくなったのではないかと推測している。
人は安きに流れやすく誘惑に弱い。追い詰められた者ほど罠に陥りやすかった。闇サイト運営者はそんな人の弱みに付け込み、善意の仮面を被り負の連鎖を生み出しているのだ。
私は由衣の通学途中の姿を思い浮かべた。今時の女子高生と言われればそう見えるが、栄養失調かと思うほどやせ細っている。顔色は悪く、大人しいからか友達も余りいないようだ。けれど不審な点もあった。
噂通り郷野から性的暴力を受けていたなら、彼の死後は少し元気を取り戻すと思われたが、そんな気配は友人達の証言からも得られなかったからだ。事故後も以前と全く変わらず、いやそれどころか余計に暗くふさぎ込んでいるように見えると言った同級生もいた。
そこで私は依頼主だからこそ、自分の犯した罪に慄いているのではと推測したのである。その一方で、もしかすると妻の瞳が依頼主かと疑ってもみた。何故なら事故後の彼女の評判は、明らかに以前と変わっていたからだ。職場の同僚達の多くがそれこそ憑き物が落ちたように、伸び伸びして元気な姿をみる機会が増えたと口にしたのである。




