第六章~記者①
私はいずれ本として世に出そうと書き綴った、闇サイトに関する一連の文章を読み返していた。ここは記事として、まだ公にしていない箇所である。そこにはこう記載していた。
―愛知県警本部刑事課所属の辻畑明警部補が、ひき逃げされた母親の死亡後間もなく一身上の都合で退職した本当の理由は、闇サイトの依頼主になったからだ。
彼は介護が必要となった母親との関係を拗らせ、妻との離婚も余儀なくされた。その為刑事という激務をしながら一人で約七年も母親の世話をし、精神的に疲れ切っていたのだ。
そんな苦しみに喘いでいる際に出会ったのが、当時所轄刑事だった尾梶朝幸巡査部長である。似た境遇だった彼に不満をぶちまけることで、どうにか日々の暮らしを続けていた。
それでも苦悩が消えなかった頃、偶然にも闇サイト殺人依頼事件の担当となったのだ。そこで彼は囮捜査の名目で、本当に母親が消えてくれないかと考え、闇サイト運営者に目を付けられるよう書き込みを行った。すると接触があり指示に従う内、母親を消し去るよう依頼したのだ。
しかし当時の彼の本音は直前まで本当だったが途中で母親と衝突し、殺して欲しいとの気持ちは消えていたのである。これは紛れもない事実であり、読者にも信じて貰いたい。
それでも現実に起きたのは母親の死だ。しかもひき逃げ犯は捕まらず、現金一千万円がドアノブにかかっていた。つまり闇サイト運営者により彼の依頼は叶えられたのだ。
その責任を取る為に彼は警察上層部に囮捜査を含め、これまでの経緯を全て報告した上で警察を辞めたのだ。―
ここまで読み終わった時、電話がかかって来た為にパソコン画面を切り替え、電話に出た。相手はいきなり言った。
「十田さん。続報記事はいつ頂けますか」
取引する雑誌社の編集者だ。私が直近で追いかけていた案件の反響が良かったからだろう。第二弾までは既に渡した。けれどその次も掲載できればさらなる売り上げアップが見込めると判断したらしい。
もちろんこういう記事は旬がある。世間が関心を示せば、第二、第三の矢を放たなければすぐ別の話題やスクープに移ってしまう。よって立て続けに出さなければならないのだ。
それにフリー記者としてもこうしたチャンスは逃せない。そこで駆け引きに出た。
「掲載が決定したのですね。既に書き終えたのでいつでも送れます。ただ原稿料は上げて下さい。当然第四弾も用意しているので、折り合いが付けばそちらも送信します」
編集者の権限では、即答できなかったのだろう。だが第三弾は欠かせないようだ。その為言葉を詰まらせながら言った。
「とにかく送って頂けますか。原稿料の引き上げは、内容を確認してからでないと」
「では第三弾だけ。ただ印刷前に返答下さい。でないと掲載はお断りします。記事を欲しがる雑誌社は他にもありますから」
ハッタリではない。実際、問い合わせをいくつか受けている。私の記事における世間の反応を見て、当然他社も後追い取材を始めた。それでも念入りに取材し先行した分を取り戻すには、時間や人手が必要だ。
なので手間暇かけず記事を手にしたい。だからだろう。相手がフリー記者ならそれが可能な為、かなり高額な原稿料を提示してきた雑誌社もある。
といって最初に買い取り掲載してくれた会社を、途中で裏切りたくはない。私の信条だけでなく、その後の付き合いにも悪影響を及ぼすからだ。そうした仁義など無視し、なりふり構わず高く買い取る相手に記事を渡すフリー記者は確かに存在する。
だが私はそこまでお金に固執してはいない。けれど慈善事業でないし取材には費用がかかる。また最低限の営業努力をしなければ、原稿料の引き上げなど相手からはまずしない為、足元を見られいいように使われてしまう。
フリー記者として信用され使い続けられるには、人が良いだけだと通用しない。多少の交渉技術は必要なのだ。先方もそうした記者で無ければ、いい仕事は出来ないと分かっている。よって彼は言った。
「分かりました。なるべく早めに返事します。でも他社の提示する最高額までは出せないでしょう。そこはご理解下さい。その分は次の記事を買い取る際、再度考えますから」
必要な時だけ高い原稿料を提示する会社は、切り捨てる時も容赦ない。この雑誌社とは既にそうしたやり取りを経て、私が信頼できると判断した取引先の一つだ。その関係は大事にしたかった。
「分かりました。早速記事を送ります」
そうして電話を切り、メールに第三弾記事を添付し送信した。
この案件は岐阜県内で起きた事故を扱ったもので、闇サイトに関係する新案件と睨み、取材を進め独自に掴んだスクープだ。具体的には工場勤務をしていた郷野哲郎、三十八歳が夜七時頃に職場近くの階段で転落死した件である。警察はこれを単なる事故で処理した。
だが私は闇サイト事件を探り当てる為、全国で発生した不慮の事故等を出来る限り取材するよう心掛けていた結果、これは一連の事件に関わっているのではと疑ったのだ。何故なら訳あり家族と知ったからである。
家族構成は三十六歳の母親で看護師の吾妻瞳と十六歳の女子高生の由衣と十歳の小学生の陽菜、五歳で幼稚園生の翔馬の五人暮らしで、郷野は内縁の夫だった。子供達と血の繋がりは無い。実の父親は翔馬が生れた翌年に病死し、その後瞳は郷野と交際を始め二年前から同居生活をしていた。
両親共働きで勤務時間も不規則だったので、両親がいない時間帯の妹や弟の世話は、長女がしていたという。問題は郷野が酒に酔うと子供達に暴力を振るい、由衣に対し性的暴行もしていた疑いがあった点だ。母親は郷野が怖かったのか、知らない振りをしていたらしい。というのも何度か児童相談所が介入したにもかかわらず、解決できずにいたからだ。
そうした状況で、近所では要注意人物視されていた郷野が事故で死ぬなんて余りに奇妙だとの噂が広まっていた。けれど瞳は勤務中で子供達三人は自宅で食事を作っていたと、アパートの両隣や近所の住民の証言等からアリバイは成立。その為疑いはやがて消えた。
安アパートで壁は薄く、また窓を開け声が良く聞こえたのが幸いしたらしい。子供達の会話を数人が確認し、さらには廊下を通った二人の住民が窓から三人の顔を見たという。
事故現場から電車又はバスに乗ると往復三十分以上かかる。その道程の防犯カメラも確認したが子供達の姿は無かったようだ。その為住民達が口裏を合わせた見方もなくなった。
それを耳にした私は取材を開始し、怪しいと確信を持った。そこで長女に狙いを定め接近しようとアパートにも訪問をした。けれどガードは固く、なかなか話が聞けずにいた。
そこで裏の手を使った。由衣ではなく小学校に通う陽菜の後を付け、放課後に友達と別れ帰宅する道の交差点でわざとぶつかったのだ。といっても相手が転んで怪我をしないようにほんの軽く、持っていたカバンと彼女が背負ったランドセルと接触する程度である。
「あっ、ごめん。大丈夫」




