第五章~尾梶⑦
通夜は一時間余りで終わり、通夜振る舞いは省略したのだろう。会場には親族と葬儀関係者以外残っていないと分かる程、人気が消えていた。この後は遺族だけが残り、夜通し灯明と線香の火を絶やさないよう、故人に寄り添う棺守りをするはずだ。喪主の辻畑には妻も子もいないので、妹夫婦と交代で眠りながら明日の告別式まで過ごすに違いない。
そのどこかの時間を割き連絡を入れて来ると思われた。自宅に戻り待っても良かったが、電話では話しにくい内容や至急動く必要がある場合に備え、閉まってしまう会場の敷地から出た所で待機した。車は課長が乗っていった。また生憎周辺は喫茶店等の店が無い。
その為道路脇に立って待った。帰る時は地下鉄の駅まで少し歩き、電車に乗るかタクシーを捕まえるしかない。ほんの少しまでざわざわとしていたが、今はしんと静まり返っている。閑静な住宅地だからだろう。夜の気温が下がり始め、肌寒くなってきた時期だ。それでも尾梶は手で腕をさすりながら待った。
八時を回った頃、ようやく電話が鳴った。辻畑だ。素早く出ると彼が言った。
「悪い、遅くなった。今、自宅か。それとも仕事中か」
「いえ。葬儀会場の外で待っています。課長には辻畑さんと打ち合わせの為に残ると言ったので、署に戻らずに済みました」
「それは悪いことをした。寒くないか」
「大丈夫です。ところで用件は何でしょう」
尾梶の質問に彼は少し口籠った。
「そ、外にいるなら俺がそっちへ行く」
「いいんですか」
「電話より、直接の方が話しやすい」
予想していた言葉に頷いた。
「分かりました。お待ちしています」
通話を切り五分ほど経つと、建物から彼が出てきた。駐車場と道路に出る間に仕切られた門扉越しで向かい合った。
「申し訳ない、こんなところで。一旦署に戻っても良かったのに」
「いえ。急ぎの用件かと思ったので。それに電話だと話し難い内容なら尚更良かったです」
「ああ。その事なんだが」
歯切れが悪くなり逡巡していた彼だが、しばらくして口を開いた。
「尾梶が俺の家の玄関まで来てくれたのは、カメラを回収した後だったよな」
一瞬、何故そんな質問を今するのかと理解できなかったが、とにかく頷いて答えた。
「そうです。厳密に言えば回収して、マンションの郵便受けを確認した後、になりますが」
「おかしなことを聞いてすまない。いやカメラの映像データや送ってくれた現場写真から、時間は確認できたんだ。そうなるとやはり警察署から引き揚げて、部屋に戻るまでの間か」
後半は独り言のように呟いた彼に、尾梶は尋ねた。
「そう言えばひき逃げの件で進捗はありましたか。中署の交通課は何と言ってますか」
管轄が違うのでこちらに直接情報は入らない。ただ遺族で県警刑事課の彼になら逐一伝えられるはずだ。しかし首を振った。
「まだ何も分かっていないらしい。知っての通り、周辺は防犯カメラが少ない場所だ。また現場の遺留物も少なかったと聞いている。それで車種の特定が遅れているのだろう」
「珍しいですね。今はぶつかった衝撃ではがれた塗料などや、僅かに欠けた車体の一部からでもすぐに判明すると思っていました」
「実際はその通りらしいが、どうやら何らかの細工が施してあったのではないか、と鑑識では見ているようだ」
「何らかの細工、ですか」
「ビニールテープ等に覆われた車体で衝突した可能性があるようだ」
「テープですか。塗料の剥がれや車体の欠落を防ぐ為等の細工がされていたというのですか。さすがにそれだと目立ちませんか」
「いや、透明なものなら一見しただけでは分からないらしい。車の補修等で、一時的にそうして固定するケースはあるようだ。しかしそれが意図的だったとしたら、単なる事故ではなくなる。つまり、人を轢き逃げする為に用意した車の可能性が高い」
「え、もしかして事故は偶然でなく、闇サイトの実行犯だというんですか。でもそれだったら一千万円が置かれているはずでしょう。それとも今回は例外だとおっしゃるのですか」
尾梶の問いに彼は眉を顰め、周囲を確認してから言った。
「実は帰った時、玄関のドアノブに紙袋が掛けられていた。中には一千万円が入っていた」
「えっ、それって、」
尾梶が目を見開き絶句すると、彼は頷いた。
「お前が帰った後、こっそり実行犯かその協力者が届けたのだろう」
「私が帰った後、ですか。辻畑さんは何時に戻られたのですか」
「夜の十時過ぎだ」
「その間となれば、八時間以上はありますね。といっても見知らぬ人が出入りしていたら、さすがに気付かれるでしょう」
「だが宅配業者を装えば、その程度の荷物を届けるのは簡単だ。コロナ禍以降、食事をデリバリーする人も増えたからな」
「なるほど。確かにそうですね」
尾梶達は情報管理の観点から使わないようにしているが、官舎でも若い世代の家族なら利用している人は多いかもしれない。警察としてもそこまでの利用規制は困難だ。
そこで気づき慌てて言及した。
「ま、まずいですよ。囮捜査が失敗しただけでなく、辻畑さんがお母様の殺人を実行犯に依頼した形になります」
「結果的にはそうなる。だが尾梶に見せた通り俺は直接的な事を言っていないし、具体的なやり取りに応じていない。第一、相手が指定した曜日や時間と全く違う。それが俺にはどうにも納得できないんだ」
尾梶は頷いた。
「そうでした。指定したのは火、木、土の三時から五時だったはずです。でも事故は水曜日の午前中でしたよね。辻畑さんが指示されたアリバイ作りも偶然会議が入っていたから成立していますが、そうでなければ辻畑さん自身が疑われてもおかしくなかった」
「そこだ。何故闇サイト運営者は、提示した条件でない日に実行をしたか。そうまでする理由は何だったかが全く分からない」
「他にも疑問点があります。自宅の住所は伝えていませんよね。それなのに例の金が届いた。つまり闇サイト側が辻畑さんについて調べていた証拠です。だからお母様の顔写真を送らずとも、また私達が把握していなかった行動予定まで知っていたう。しかしそれなら辻畑さんが刑事だとも気付いたはずです」
「俺もそこが腑に落ちないんだ。明らかに分かった上で闇サイト側が俺を巻き込んだとしか思えない。一連の事件を調べている刑事だと把握していた可能性もある」
「囮捜査をしていた辻畑さんを、逆に嵌めたってことですか」
「そうかもしれない。だが一千万円も払ってまで罠に嵌める必要があったのかが不明だ」
後悔と怒りによるものか、体を震わせる彼の様子を見ているとなかなか二の句が継げなかった。しばらく二人の間に沈黙が続いた。
そこで尾梶が恐る恐る尋ねた。




