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第五章~尾梶⑥

 内心、ドキッとし聞くと彼女は笑った。

「ちょっと部屋の前を通っただけ。なかなか戻ってこないし、どうしたのかと探したら二人の声が少し聞こえたの。でもお邪魔だと思ってすぐ離れたから、何を話していたかは知らないよ。どんなことを言ってたの」

「大したことじゃない。覗いたら丁度目を覚ました時で、久しぶりに俺が家事とかやったと聞いて悪いと思ったんだろう。自分を責めるからゆっくり休めと言っただけだ。もう泣き止んだし、夕飯が出来たらまた起こすからそれまで寝ていろと言っといた」

 彼女は手を動かしながら頷いた。

「たまにあるんだよね、陰に籠る時が」

「翼の前でも何度か泣いたことがあるのか」

「たまに、だよ。滅多には無い。でもお父さんの前とはちょっと違うんじゃないかな」

「かもしれないが悪い。任せっきりで」

「そんなことない。今日だって色々してくれているでしょ。仕事で疲れているはずなのに。私は学校で勉強しているだけだから」

「それだって大変だろう。朝から何時間も机に向かうんだ。宿題もあるし試験勉強もしなくちゃいけない。俺も学校や勉強は嫌いじゃなかったけど苦手だったから授業が辛いと思った事は何度もある。それを友達と遊んで息抜きしたりせず、家事やお母さんの世話をしながらやっているんだ。キツイに決まっているだろう。よく頑張ってくれているよ」

「お父さんの方が大変だと思う。お金を稼いでくれているんだから」

 安月給を得る為に働かずとも家に十分蓄えはあると言いそうになったが止めた。仕事する姿を見せるのも父親の勤めだ、と自分に言い聞かせる。途中で翼は洗濯物を取り込み部屋干ししてくれたが、結局二人で協力しながら夕飯を作った。用意し終わり妻を呼ぶのは尾梶の役目だった。今度は扉をノックし声をかけてから開けた。

「食事が出来たよ」

 目を覚ましていたようで、直ぐに体を起こしこちらを向いた。

「有難う。今行く」

 そう答え布団から出て立ち上がった際、部屋の電気が消え暗かったから分からなかった。だが明るい廊下で顔色を見ると、ここ最近ではなかった程スッキリした表情をしていた。

「どうした」

 思わず凝視し尋ねると、彼女も質問の意味を直ぐ理解したらしい。笑みを浮かべ答えた。

「あなたのおかげよ」

 その一言と彼女の姿を見ただけで、尾梶がしてきた行為は間違っていなかったと感じた。常識的には違うかもしれないが、世間の誰が何を言おうと二人にとっては正しかったのだ。そう確信した。彼女が元気を取り戻してくれさえすればそれだけで十分だ。祖母と同居する前の生活に少しでも近づくことができれば、尾梶も家の心配をしなくて済む。

 そうすれば辻畑にずっと勧められていた、警部補昇進試験の受験勉強も本格的に取り組める。目標とする県警刑事課への配属も夢ではなく、憧れの彼に様々な意味で近づける。

 砂羽の調子が良かったからだろう。そんな母親を見て、翼はいつも以上に明るく振舞っていた。こんなに気分良く一家団欒を味わうのはいつぶりだろう。その日尾梶は寝床に着くまで、ずっと幸せな気分に浸ることが出来たのである。

 翌朝出勤すると辻畑から連絡があった。母親の遺体は医師による簡易解剖をしただけで昨夜の内に戻ったらしい。その後葬儀会社と打ち合わせをし、今日の夕方六時から官舎近くの会場で通夜、明日の十一時から告別式をして火葬場に向かうと決まったようだ。

 通話はそんな業務連絡だけで終えた。例の件を話せる状況でもなく、そんな心境にならなかったと思われる。よって尾梶は頷いて聞き、お疲れ様ですとだけしか口にしなかった。

 当然県警関係者達にも連絡が周り、中川署では業務に支障が出ない範囲で通夜と告別式には各自任意で顔を出せばいいと課長から話があった。辻畑とは現在、捜査本部におけるパートナーでこれまでの付き合いもある。よって緊急事態が起こらない限り、課長と二人で通夜と告別式の両方に出る手筈となった。

 念の為にと黒に近いダークグレーのスーツを着ていたし、黒いネクタイと数珠も持参していたので、夕方準備し課長と車で移動した。想像以上に人が集まっていた為に驚く。やはり県警の刑事課所属だから、所轄だけでなく本部の関係者が多く出席しているのだろう。

 受付では若い男女が、「会社関係者」に並んだ参列者の対応をしていた。県警の刑事課または総務課あたりが手伝いをしているのかもしれない。 対して「一般」と書かれた方には余り人がいなかった。官舎に住んでいる為、隣近所の人も警察関係者になるからだろう。

 対応しているのは、辻畑の親戚らしき男性が一人だけだ。彼の両親か姉夫婦の関係者かもしれない。それともその友人か知人、もしくは葬儀社に依頼された人の可能性もある。

 尾梶は祖母の葬儀を思い出した。警察関係者も来ていたが、祖父母の家は代々続く地主の為、参列者のほとんどが近所に住む人々や借地人達だった。養子になった尾梶が喪主だったので、本来なら親戚達の誰かが受付をしてくれるものだが、それを両親は嫌がった。 

 大量の香典を預けられないと思ったのだろう。当然これまでの経緯もあり、伯父や伯母側からも手伝うと名乗り出る者は誰一人いない。よって一人一万円かかったが葬儀社に代行業者を四人出して貰い対応したのだ。

 忌々しい思い出を振り払って受付を済まし会場に入った。読経は始まっており、沢山並んでいるパイプ椅子には大勢の人が座っていた。前列の方には県警の上層部らしき人の姿も見える。

 後方は一杯だったが中ほどの若干空席があった為、そこへ課長と一緒に腰を下ろし焼香が始まるのを待つ。遠目で辻畑の様子を伺ったが、憔悴しているように見えた。

 しばらくすると司会者の指示で辻畑と横に座っていた男女が席を立った。恐らく彼の妹夫婦だろう。三人が参列者に向かい頭を下げ焼香を始めた。次に妹夫婦の子供達が続き、前列に座る警察関係者も立ち上がった。

 司会者が一般の方も順番に三列で並ぶよう促す。座っていた人達が順々に腰を上げ始める。その状況を見ながら尾梶達もほどよいタイミングで列の後ろにつく。順番が近づく間、辻畑に視線を送ったけれど彼は喪主の為にいちいち参列者に頭を下げており、こちらを見る余裕は無かったようだ。

 しかしいざ最前列に来て尾梶が一礼すると、彼はそれまで機械的にしていた礼とは違い感情を込めた目で頭を下げた後、目が合ったのを確認してから握った右手を耳に当てる仕草をして口を動かした。意図が理解できたので頷き、焼香を済ませた後に再度目配せする。

 どうやら後で電話をするつもりらしい。何か報告したい件があるのだろう。そこで業務に戻るという課長と会場で別れ、しばらくその場に残った。尾梶にとっては彼と連絡を取る事が仕事でもある。そう説明した為、課長から了承を得られたのだ。

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