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第五章~尾梶④

 刑事としてとても優秀で頼りがいのある先輩だった。だから妻や娘には悪いけれど、県警刑事課に配属されるまではもうひと頑張りさせて欲しいと思い、ここまで来た。そうしている内に、この一連の事件と出会った。

 これは辻畑同様、決して他人事ではない身につまされる案件だ。異なる境遇の家庭もあったが、家族の中で取り除きたい、消えて欲しいと思う人がいる点は共通していた。

 また辻畑はこれからだが、頭を悩ます人がいなくなってもその後の人生が全て上手くいく訳ではないと尾梶は知っている。人の死によって得た幸せなど決して長くは続かない。新たな重荷を背負うだけなのだ。

 それでも祖母がまだ生きていれば、尾梶は幸せになれたかと問われれば自信がない。祖母の死により、介護や多種多様の精神的な抑圧から解放されたのは事実だからだ。また定年まで働いたって得られなかっただろう多くの資産を手に入れたのも間違いなかった。

 だから今回の事件の首謀者であろう闇サイト運営者に対し、他の捜査員が思う程は単純な悪人だとまで言い切れない、刑事としてあるまじき心情を尾梶は抱えていた。

 当然その一方、被介護者などを殺し排除することで、依頼主を救った英雄気取りでいるとしたら絶対に許せないとの怒りも感じていた。何故なら尾梶のように、救われない新たな困難に苦しめられると分かっていたからだ。そこが同じ事件を追いつつも辻畑と異なる見方をしていた点だろう。

 けれど母を失った彼は今後同じ立場に立ち、同じ解放感を味わいながらも新たな喪失感と重荷に苦労するはずだ。母親が死んだのだから不謹慎かもしれないが、尊敬する先輩とこれまで以上に分かり合える仲となった。よってこれからも励まし合い、共に同じ方向へ歩んでいきたい。そう考えていた。

 ただ彼がその心境に至るまではしばらく時間がかかるだろう。それまで手伝えることは何でもしたい。明日か明後日には葬式の準備に入るだろうから、通夜か告別式には顔を出し慰めと励ましの言葉をかけたかった。

 だがその前にやるべき仕事がある。自宅に着いた尾梶はすぐ自分の寝室に入り、ベッドの横に置かれた机上のパソコンを立ち上げた。それから辻畑が設置した監視カメラからSDカードを抜き出し、専用の読み取り機に差し込んで読み込ませる。一旦ダウンロードしたデータを映像で確認してみたら時間は朝の五時だった。人気が無い暗い内に仕込んだらしい。それを早送りにして見た。

 思った通り、映っているのはマンション前を通るまたは出入りする住民らしき人ばかりだ。五時だと既に朝刊等は配り終えている為、外から郵便受けに何か入れる動きをした人は誰もいない。オートロック式のマンションなので、住民は郵便物などを中から取り出す方式だ。よって辻畑が指示したように金を放り込もうとする人物がいれば、直ぐに分かる。

 最後まで確認してからデータをメールに添付し、怪しい人物は発見できずとメッセージを打ち辻畑のパソコン宛に送信した。そこで一息をつく。これでしばらくは急な呼び出しを受けることはないだろう。娘も学校に出かけて家にいない平日だ。非番で在宅している今日は、普段できない家事や妻の介護に時間を費やしたかった。

 それでも事件に追われ忙しい時は、休日などあって無いようなものだ。実際午前中は辻畑が動けないと知った為、尾梶は外に出て忙しく走り回り、娘の帰宅前までにようやく腰を落ち着けられる時間を作りだせた。

 といって体を休ませている場合ではない。早速部屋を出てまず妻の寝室を静かに開けて覗いた。どうやら寝ているらしい。起こしては悪いと思い、再びこっそりと閉める。

 精神科の医師から、彼女は統合失調症と診断された、一口でそう言っても症状は人それぞれらしい。なかなか眠れなくなり昼夜逆転する人もいるというが、妻は睡眠過多だった。 

 どれだけ寝ても寝足りないらしく、起きては倦怠感や頭痛、動悸に悩まされるようだ。その為眠っていた方が体には負担がかからないのだろう。食欲はある為、朝昼晩は目を覚まして食事を済ます。トイレや入浴は自分で出来るが、それ以外ほぼ横になっている。

 よって介護というほどの手間はかからない。必要なのは食事の用意や掃除、洗濯といった家事が主だ。それを今は娘がしている。しかし今日は尾梶の番だ。

 なので朝の内に洗濯機に入れ回し洗っておいた衣服や下着などを、遅ればせながら干す。それが終わると使ったまま放置し溜まった食器を洗って片付ける。次はモップを取り出し、フローリングの床掃除をしなければならない。

 その前に娘では高くて手が届かない場所の埃をハンドクリーナーで吸い取る。それを先にしなければ床に落ちてしまうからだ。

 そうこうしている内に翼が学校から帰って来た。もう三時を回っていたらしい。

「お帰り」

「ただいま。今日はまだ家に居られるの」

 そう言いながらリビングへそのまま入ってきた娘に告げた。

「ああ。それより先に手を洗え」

 まだコロナは収束していない。しかも家には免疫力が下がった妻がいるのだ。これまで幸い家族は誰も感染していないが、今の状況なら重症化しかねない。

「ごめんなさい」

 素直に従った彼女は洗面所へと向かい、手洗いとうがいをした後で自分の部屋に入って行った。しばらくしてから着替え終わった彼女が姿を現し、また尋ねてきた。

「お母さんはどうしているの」

「お昼過ぎに覗いた時は、まだ寝ていたよ。だから今日は朝に少し話した程度で、それからは喋っていない」

「そう。じゃあ自分で起きてくるまではそのままでいいかな」

「ああ。夕飯の時間になっても出てこなかったら呼べばいいさ」

「あっ、食器洗いと掃除もしてくれたんだね。ありがとう」

「洗濯もしたけど干したのは少し前だから、まだ乾いていないだろう。暗くなる前に一度取り込んで部屋干しした方がいいかな」

「そうだね。今日の夕食はお父さんが作ってくれるの」

「翼が昨日買った食材を見て八宝菜にするつもりだったけど、他に何か食べたい物があれば言ってくれ」

「ううん。それでいい。お父さんが作る八宝菜、お母さんも私も好きだから。じゃあ、洗濯物は後で私が取り込んでおくね」

「悪いな。翼が出来ない力仕事なんかがあったら言ってくれ。やって欲しいことはないか」

「大丈夫。どうしても、というのがあったらメモに残すからって言ったじゃない」

「そういって、何も書いてないじゃないか、俺に悪いと思っているんだろう。例えば冷蔵庫や食器棚の上に溜まった埃とか、手が届かなかったりするだろう。カーテンレールの上もそうだ。今日はやったけど」

「椅子を使えば出来るから。でも最近サボっていたから溜まっていたかも。ごめんなさい」

「謝らなくていい。いちいち椅子を運ぶのは面倒だろう。俺は手を伸ばせばすぐ済む。家族なんだから助け合おう。遠慮はするな」

「分かった。ありがとう」

「他に何かあるか。今フロアモップで床掃除まではしたが、台所とかトイレ掃除はいいか」

「一気に何もかもやろうとしたら疲れちゃうよ。折角の非番でしょ。それにあれもやってない、これもやってないって言われているみたいで嫌なんだけど」

 翼が頬を膨らませた為に謝った。

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