第四章~辻畑⑪
尾梶の懸念にも一理ある。上層部に相談しても、保身を考え聞かなかったまたは報告を受けていなかったと振舞う為に、大勢の捜査員は配置しないと判断する可能性はあった。
「だったらどうする。もう実行犯達は動き出しているかもしれない。俺達二人だけでは、それこそ手が回らず取り逃がしてしまう。最悪、俺の母親が殺されるかもしれないんだぞ」
「そこですが、実を言うと私は殺害まで至らないと思っていました。それまでに実行犯達が手を引くと。何故なら闇サイト運営者は、相当数の対象者から絞りに絞った上で実行しています。つまり依頼主が刑事と分かれば、さすがに罠だと気付き中止するはずでしょう」
「しかし現に先方は実行に移すと言って来た。しかもアリバイを作れとまで指示してきた」
「ただこの四日間で考えましたが、もし今後辻畑さんやお母様について嗅ぎまわる人物を見つけても、逮捕は出来ませんよね。あくまで職質をして任意の事情聴取をする程度です」
それは辻畑も想定していた。
「そうだな。俺は一旦解放し、そいつをマークしどんな経路で依頼されたかを辿ればいい、と考えていた。だが単にメールなどで依頼を受けただけの第三者なら、闇サイト運営者まで手が届かない。尾梶はそう言いたいのだろう」
「はい。一連の事件で相当慎重な行動を取り証拠を残していない状況からすれば、そうなる確率は高いと思っていました」
「正直、俺もそれは考えた。だが俺達に出来るのはその程度だろう。それ以上は無理だ」
「ただ今回、想定外の流れになっています。この事件の本丸を押さえるには実行犯の逮捕が不可欠です。もし相手が動くなら指定した火、木、土の三時から五時の間です。その程度なら私達二人でも監視は十分できると思いませんか。その上辻畑さんもお気づきでしょうが、お母様が出かけた際に通る道で襲えるポイントは、相当限定されていますから」
「交差点か」
「やはりそう思いますか。あの場所で間違いないでしょう。しかもOKの話から予測すれば、お金を渡すのは犯行より先の可能性が高いと考えられます。押し込み強盗なら犯行と同時でしょうが、別となれば実行してからお金を置けばリスクが高まりますからね」
彼の言う通り、一千万円ともなれば持ち歩くには邪魔だ。また犯行に及んだ後、現場近くに少しでも長く留まるのは得策でない。そうなると先に済ませて置くに違いない。持ち逃げされる危険がある為、さすがに現金を置くのは第三者でなく実行犯の役目だろう。
といって余り早くても駄目だ。対象者が部屋を出て誰もいない時を狙って置き、その足で実行に移すと思われる。もし失敗すれば引き返し、一千万円を回収することも可能だ。
つまり実行犯は、指定された日時の間に伝えたマンションへ姿を現す確率が高い。
「情報収集に現れる人物の確保を諦めたとしても、二人での監視で十分ということか」
「十分とまで断言できませんが、大勢の捜査員を配置するよりは警戒されないと思います」
辻畑は唸った。限定された時間とはいえ、それが三日後か一週間後か一カ月後かも分からない。よって二人だけではかなりの負担だ。本部に応援要請すれば確実で間違いはない。
しかしいつまで続けられるかと考えた場合、囮捜査自体を辞めさせられる可能性はあった。折角ここまで来たのだ。尾梶の言う通りもっと早くに相手が察知し、手を引く恐れもある。現に明日から監視自体を辞めようとしていたのだから当然だった。
それなのに期待以上のやり取りが続き、実行犯を逮捕できる可能性が出てきたのだ。元々囮捜査というグレーな手法を取ったなら、最後まで貫くのも一つだろう。
また今は一人でなく尾梶がいる。リスクはあるが、母の命が狙われる前に大金を持つ人物を確保すれば問題ない。辻畑はそう決断を下し彼に告げた。
「分かった。今日は火曜日だから次は明後日だ。二時に官舎へ来てくれ。監視を始めよう」
「了解です。しばらくはその時間帯を空けておきます」
「大丈夫か」
「私は余程緊急性の高い事件が起こらない限り、辻畑さんと打ち合わせがあると言えば済みます。辻畑さんの方が大変でしょう」
中川署所属の彼が動くのは、管轄内での案件に限られる。しかも殺人以外の事件も含まれていた。だが県警刑事課となれば対象は基本的に殺人などの重大案件に限定されるとはいえ、範囲は県内全域だ。それこそ名古屋市外で大きな事件が起きれば、呼び出しに応じて出動しなければならない。
どちらか都合つかなくなる確率が高いかと言えば微妙だ。ただもし二人共監視できない状況になったなら、母に連絡を入れて絶対その時間は家を出ないよう告げればいい。
そう説明すると彼は不安げに言った。
「やはり本部に相談しますか。万が一実行されれば、取り返しがつかなくなりますよ」
「何だ、今更。お前が二人でやったらどうかと言ったんじゃないか」
「言いましたが、急に怖くなりました」
弱気になった彼を励ます為、辻畑は意図的に声を明るくして笑った。
「いいんだ。最悪の場合は俺が大金を手に入れ介護をせずに済むだけだ。というのは冗談だが、買い物の日程を変える位はそう難しくない。安心しろ」
こんな話は以前なら言えなかっただろう。最近は母との関係が改善し、多少まだぎこちないとはいえ、普通の会話ができる機会も増えて彼女は素直になった。どこの施設へ入るかについては棚上げしているが、今の状況ならそう慌てなくてもいいと思い始めている。
「笑えませんよ。でも辻畑さんがそこまで言うのなら、明後日から始めましょう」
「明日は俺が伝えたマンションの入り口に向け、これまでの監視でも使ったカメラを仕掛けておく」
「それがいいですね。少なくとも、一度は下見に訪れるでしょうから」
「ああ。それで相手が作戦を辞めたならそれまでだ。これまで集めたメモなどの資料を本部に提出し、警視庁にも情報として報告し分析して貰えばいい」
「分かりました。私は明日非番ですけど、何かあれば連絡して下さい。明後日は朝一にこちらから電話します」
「分かった。明日の午前中は以前伝えたように定例会議が入っているけれど、午後から動けるし何もなければ明後日は休みだ。今日はもう遅いからここまでにしよう」
そこで彼との通話を終えた。しかしこれが大きな過ちだったと後悔することになろうとは、この時全く考えもしなかった。何故なら翌日の午前中、外出した母が車にひき逃げされ、死んでしまったからである。




