第四章~辻畑⑨
そこでまずは朝九時から夕方六時まで、官舎近くを見張ると決めた。何故なら警察でもない一般人が、他人から事情を聞くとなれば明るい時間帯で無いと怪しまれるからだ。
調査事務所等が素行調査をする際も、浮気現場を押さえる場合を除けば、動くのは大体その時間帯と言われている。よって前半と後半の四時間半を二人で交代しながら、しばらく様子を見ることにした。
今日は既に五時近い為、まず明日と明後日の朝は尾梶、午後からは辻畑が担当で、それ以降は緊急の事件発生状況を鑑み随時決めると話し合った。連絡方法なども確認してそのまま駐車場で別れた後、辻畑は席に腰を下ろし通常業務に戻った。
その後呼び出される事件は起きなかった為、七時過ぎに帰宅の途についた。その前に明日の朝から昼過ぎまで急がない案件だが確認したい件があり、立ち寄りすると課長に告げた。忙しい状況では無かったからだろう。ああそうかと言われただけで済んだ。
それからは昨夜同様、最寄り駅の一つ手前の駅で降りて公園のベンチに腰掛け、スマホのアプリを作動させた。しかし伝言はなく、しばらく待ったが結局時間切れと判断し、歩いて部屋に戻った。そろそろ母の入浴の時間だ。そう思うと足取りは重かった。
だが実際にし始めたところ、いつもとは違った。昨夜遅くまで話合い、溜め込んでいた不満を全てぶちまけてスッキリしたのだろうか。母はこれまでになくとても静かだった。
普段なら何かと文句をつけ、黙る時間などほぼない。それが不気味なまで静寂が広がった。辻畑も何か言おうと思ったが、下手に寝た子を起こす真似もできず口を閉ざし、淡々とするべきことを済ませた。
するとこれまで感謝すら口にしなかった母が、風呂から上がり濡れた体を拭いた時、
「ありがとう」
と言ったのだ。聞き間違いかと思ったがそうでは無い。告げた母も照れ臭かったのだろう。こちらが反応する間もなく、そそくさと自分の部屋に引っ込んだ。
その後ろ姿を呆然と見送り、我に返ってふっと息を吐く。どうやらあの衝突のおかげで、二人の関係は新たな局面を迎えたようだ。それでもまたいつ悪化するか分からない。
現実問題として母が入る施設選びを始めたら、再び不満が募り喧嘩が始まる可能性は十分あった。それでもこうした日々が少しでも長く続けば、辻畑も心穏やかでいられる。
もし母の態度があのままでこれ以上介護の負担が増えないなら、無理に施設へ入れる必要はない。実際入浴以外は問題なく、買い物等をする為の歩行や料理または家事は、脳や足腰のリハビリになる。パチンコだって使い過ぎなければその一環と言えなくもない。
約七年近く苦しめられてきた日々は一体何だったのだろう。辻畑は久しぶりに安楽な気持ちになった。そこで思い出す。サイトのやり取りが続けば、母が買い物に出かける際のルートや時間帯の確認が必要だ。母の写真も念の為用意したい。そして閃く。
辻畑の担当は午後なので、明日見張る際に母が外出した時を狙い撮ればいい。今時のスマホは遠くの被写体でも撮影が可能だ。ルートは位置情報確認アプリを入れれば済む。改めて便利になったものだと思う。
そうして張り込みは開始したが三日間収穫は無く、相手からの連絡も途絶えていた。それでも焦ってはいけない。そう思い四日目の昼過ぎ、夕方まで辻畑が張り込む番になった。
それまでの行動監視や位置情報のアプリで、外出パターンとルートはだいたい把握できた。買い物やついでのパチンコに出かけるのは火、木、土の夕方三時過ぎで、車輪付きバッグを支えに家を出て、五時までに帰るのが基本だと分かる。通る道はほぼ決まっており、商店街まで歩き大型店等に入った店舗を見ながら、時間が余った時は途中で甘味処や喫茶店で休憩して最後にスーパーで買い物を済ませ帰宅していた。
一度辻畑は夜遅く実行犯の立場で母が通る道を歩き確認してみた。そこで襲うまたは事故に見せかけ殺そうと考えた時、狙う場合適したポイントを一か所だけ発見した。
そこは交通量の少ない交差点だ。しかも周囲に防犯カメラがない為、車で待ち伏せして轢けば目撃証言などを得るのは難しいと思われた。足が不自由な分、母はかなり慎重で危険な道は歩かないようにしていた。そのおかげで限定が可能となったのだ。
これまでの実行犯は、全く足取りを残していない。そう考えると車で轢く方法も安全とは言えない。何故なら衝突した際に車の部品等が欠けて現場に残れば、鑑識などが必ず車種を特定し手掛かりとなる。ひき逃げはかなりの確率で犯人逮捕に至るケースが多いのだ。
そうなると栗山のように逮捕や事故死を覚悟した実行犯で無ければ困難だろう。そこで一千万円について思い出した。偽の住所を伝えた辻畑に金を渡すのは事実上無理だ。そうなると、辻畑は対象から外されるだろう。だからその後の連絡が途絶えたと考えられる。
もうこの辺りが潮時かと諦め、五日目の監視は一旦中止しようと尾梶にメールで連絡を入れ、帰宅の途に着こうとした。
そんな時、待望のメッセージが届いたのだ。まだ犯人を追う道は残っていると安堵した一方、どんな言葉が来るか想像すると緊張しつつ開くと、そこにはこう書かれていた。




