第四章~辻畑⑥
部屋を出てリビングの灯りを消し、窓などが全て閉まっているかを確認してから洗面所に向かった。歯を磨き、トイレに入ってベッドに潜り込む。しかし脳が興奮していたからかなかなか眠れない。枕元に置いたスマホを見て、伝言が入っていないか確認したがまだのようだ。また早朝にならないと返信されないのだろう。
そう諦めて目を瞑り考えた。もし母との会話が数日前だったら、あんな書き込みはしなかったし出来なかった。ならば闇サイト運営者の接触もなかった可能性がある。やはり真に迫った想いを綴り、決裂が決定的になったあの時の気持ちを込めた書き込みのおかげだ。
警視庁が挙げたリストを見る限り、サイバー課も相当数の中から精査し対象を絞ったと想像できる。よって上っ面だけの記述など直ぐに化けの皮がはがれ、はじかれていただろう。そう思えばギリギリのタイミングだったと言える。
ただ問題はこれからだ。相手との直接交渉が始まった今、昨夜とは心の在りようが違う。そんな状態で殺人の依頼主を演じられるかと不安になる。いや出来るかどうかではない。やらなければならないのだ。辻畑だって本気で殺しを依頼したかった訳ではなかった。あくまで消えて欲しいと思う程憎んでいただけに過ぎない。
だからこれからは、栗山や麦原、神奈川の少女や日暮航の気持ちを想像し、相手の指示を引き出すよう心掛けるしかなかった。そうだ。公園で考えていたようにすればいい。
様々な思いを頭の中で巡らしている内に、いつの間にか眠ってしまったようだ。セットしていたアラームの音で目を覚ました辻畑は、まだスッキリしない寝不足の頭を振り、寝室から出た。いつもなら起きている母は、リビングに出ていなかった。遅かったからまだ寝ているのだろう。食事は自分で何とかしている。よって気にする必要はない。
それよりまだ顔を合わすのは気まずかった為に助かった。今日もさっさと顔を洗い着替え、出かけてしまおう。朝食は途中で済ませばいい。そう考え急いで支度をして家を出た。
電車に乗ってからスマホを確認する。例のアプリを立ち上げると、一件のメッセージが届いていた。やはり早朝に送信されていたらしい。一瞬慌てたが、気を落ち着けてすべきことを済ませる。中身を見て返信内容を考え打つのは、もっとゆっくりできる場所でした方がいい。電車の中ではメモも取りにくいからだ。
そこで県警本部の最寄り駅で降り、コンビニで朝食用の食事と飲み物を購入して近くの公園に足を延ばす。そこなら朝だと人もいないと確認し、ベンチに腰掛け辺りを見渡す。
会社へ向かう大勢の人は見かけたが、予想通りくつろいでいる人は見当たらない。昼辺りになると、食事をしたり営業中に休憩またはサボったりする会社員が大勢集まるのだ。
食事を済ませ再度アプリを開く。件名は先日の続き、とある。メモを取り出し前回の流れを確認した。昨夜ようやくこの世から消えて欲しい、との文言を先方から引き出した。
それに対し、その通りです。しかし自分の手を汚す勇気がありませんと返信したのだ。さてどう来るか。早速具体的な方法の打ち合わせをするのか。まだ本気度を測る質問がされるのか。返信文言が早く打てるよういくつか言葉は登録したが、他にないかと考える。
そこで母の顔写真や買い物など外出するルートの確認がまだだと思い出す。改めて撮影するのは照れくさい。母が出歩くルートを探るのなら一度休みを取って跡をつけるか。余りぐずぐずしていると、やり取りが途絶えたら元も子もなくなる。
今は急ぎの事件を抱えていないので、多少の余裕はあった。ただいつ起きるか分からない。よって今の内に面倒な事は済ませておくべきだ。いつまでもここでゆっくりしている時間はない。その為覚悟を決めてメッセージを開いた。するとそこにはこう書かれていた。
―ではあなたの望みを叶える為に、あなたと消えて欲しい人の名前、住所を記入して下さい。これは詐欺ではありません。信じないのなら、個別の相談には乗れません―
そう来たか。ここで記入しなければ信用していないと判断され、やり取りが途絶える。三分しかない。打つだけで過ぎてしまう。メモも取らなければならない。
焦った辻畑は返信画面を呼び出し、名前を打ちかけた。が、そこで思い止まる。これで本当にいいのか。考えろ。航や神奈川の少女、栗山のような高齢者ならともかく、麦原のような五十過ぎの男もいるのだ。そんな彼がこんな文言を直ぐに信じ、打ち返すだろうか。
相手が殺してくれると断言しているなら別だが、まだその段階ではない。余り先走れば怪しまれるのではないか。そう瞬時に考え、素早く打ち返した。
―待って。名前や住所を知ったらあなたが消してくれるのか。でも払える金なんてないー
それから相手の文言をメモに書き写す。やはりまたアドレスが変わっていた。それから画面を撮影した瞬間、文字が消えた。ギリギリ間に合ったようだ。
けれど冷静になって本当にこれで良かったのかと頭を抱えた。これで通信が途絶えれば、証拠として残っているのはこれまでの相手から送られてきた文言とアドレスのメモ、文字化けした画面、導入するよう指示されたアプリくらいだ。
この程度でサイト運営者に辿り着けるかと言えば疑問が残る。ただ今更どうしようも出来ない。返信が来るよう祈るしかなかった。また来たとしても夜だろう。それまでは何もできない。仕事もある。そう考え直し、公園から出て速足で県警刑事課の席へと向かった。
課での簡単な朝礼を終えてしばらく経った時、辻畑の携帯が鳴った。尾梶と分かり、廊下に出て通話ボタンを押す。
「辻畑だ。何かあったか」




