第四章~辻畑⑤
電話も父が持つ携帯に直接連絡するよう周囲に告げ、書類を届けたい時は取りに行くから、家を訪ねるのは止めるよう話したそうだ。そうなれば、何故家では駄目なのかと相手は疑問に思う。そこで母が民生の仕事に非協力的との話が広まったらしい。おかげで外を歩くと陰口を叩かれ、睨まれもしたという。
それが買い物以外、外出を控えるきっかけになったようだ。十数年以上前で真が家を出てからなので、兄妹は誰も気づかなかった。近所の人達とは表面上の付き合いだけが続いたらしい。父の恩恵を受けている為、母を邪険に扱えなかっただけと吐き捨てたのだ。
そんな環境にうんざりしていた為、父が死んでホッとしたのだろう。丁度その頃から弱っていた足腰の症状が出始め、イライラは募り箍が外れたように人を罵りだしたようだ。
実家を手放し、長年住み慣れた街から躊躇なく離れた理由もそこにあった。さらに施設を嫌がったのは、見知った人達と顔を会わせたくなかったからだと分かった。
その上不妊症と分かった咲良を責めたのは、同じ市内に住む辻畑の家に孫がいれば、面倒を看る口実で家を離れられると待ち望んでいたのに、その楽しみを奪ったからだという。
妹夫婦は千葉で真も東京に住み独身だったから、母にとっては唯一の救いだったのかもしれない。その後真が事故で亡くなり将来の期待が失われ、余計に鬱憤が溜まったようだ。
辻畑はベッドに腰かけ、初めて耳にする内容に驚きを隠せず聞き入った。ここまで長く面と向かって母の相手をするのは久しぶりだ。少なくとも結婚してからは無かったように思う。ずっと理不尽だと思い続けてきた母の言動の意味が、今になりようやく腑に落ちた。
それならそうと早く言えばいいのにと思いつつ、これまで取った行動を振り返ると自らが避けてきたと気付く。ここまで拗らせたのは母だけの責任では無かったのだ。
しかし今更反省してもしょうがない。母の気持ちや置かれた現状を踏まえた上で、これからどうすればいいのかを考えるのが先だろう。今目の前にある問題を解決するのは何か。
孫を与えるのは現実的に無理だ。再婚相手を見つけても、子供が生まれるまで時間がかかり過ぎる。母に何か生きる楽しみを与える件は後回しにしよう。
まずは二人の関係の見直しだ。入浴の介護はもう限界だった。最低でもヘルパーを利用してくれれば解決できる。嫌がる理由も単なるプライドだけか。他に何かあるのか。
そう思った辻畑は、まず全く地区が違う今住む周辺の施設ならいいのかと尋ねた。官舎近くなら、入所者も見知った人と顔を会わせる可能性は低い。辻畑が介護できるよう仕事を変わるのは困難だ。それなら介護を受けられる施設で暮らすのが最も現実的である。
決して追い出すつもりではないと説明した。今の生活を続けるのは互いに良くない。ストレスを溜めるだけなら一度距離を取り、新しい環境に身を置く方が改善の余地はあった。
辻畑は仕事を辞めずに済み専念できる。またいずれ再婚する精神的な余裕も出てくるかもしれない。そうすれば孫が生まれる希望もあるだろう。
母が施設に入れば、新たな人間関係を築くのは大変だ。それでも過去のしがらみがなければ、楽しみが見つけられるかもしれない。少なくとも現状よりはマシだ。もし再び他人との関係で頭を悩ませたら、施設を移るかここに戻る選択肢もあると告げた。
本音では再婚など考えておらず、再度二人で暮らすのも絶対に嫌だった。しかしまず現状を変えるには施設へ移るか、最悪でもヘルパーを受け入れるかだ。その為最も望ましい選択をするよう、真剣に母の立場を尊重した上での提案との態度を貫き説得を試みた。
すると鬱積していた不平不満をさらけ出した為、少しは気持ちが軽くなったからだろう。これまで即座に反発していた母が、俯き考える仕草をした。これは大きな前進だ。辻畑の言い分をことごとく跳ね除けてきた母が、ようやく聞く耳を持っただけでもすごい事だ。
沈黙が続いた為に何気なく時計を見ると、いつの間にか一時半を過ぎていた。話し始めて二時間近く経っていたらしい。
まだスーツのままだったので立ち上がり、部屋着に着替えた。顔を上げその様子をぼんやりと見ていた母は、辻畑が再びベッドに腰を下ろしたタイミングでやっと口を開いた。
「そうかもしれないね。だけど少し考える時間をくれないか。直ぐには答えられないよ」
「もちろんだ。施設といっても色んな種類があるし、今の母さんにとってどこがベストかも考えないと。資料を見たり見学したりして、しっかり選んだ上でないと余計なストレスを抱えるからな。もちろんいきなり施設への入居に抵抗があるなら、まず通いの介護ヘルパーの利用から始めたって良い。そうしてどんな生活スタイルがいいかじっくり二人で考えよう。そうしないとこのままじゃ、お互いストレスで参ってしまう。そうだろ」
「ああ」
気の抜けた返事にやや肩透かしを食らった気になったが、ここで焦ってもいけない。その為、精一杯の気持ちで優しく声をかけた。
「今日はもう遅いし疲れただろう。早く横になって休んだ方がいい。この話は明日以降にまたすればいいから。俺も仕事があるし、もう寝ないと」
「そうだね」
母が腰を上げかけたので、立ち上がるのを手伝った。それから体を支えながら母の寝室まで連れて行き、そこで別れた。
扉を閉めるまでその背中を見つめていた辻畑は、寝室に戻って大きく息を吐き、この七年間は何だったのかと思いを巡らす。もっと早く話し合い心の内をさらけ出してくれていたら、離婚しなくて済んだのではないか。
腹立たしくなりながら、時間がかかったのは辻畑にも責任があったと反省した。恐らく昨夜ぶちまけられた怒りを受け、やっと母も本心を打ち明ける気になったのだろう。つまり辻畑の態度も中途半端だったのだ。咲良はそんな煮え切らない対応に嫌気を差したのかもしれない。結局自分が蒔いた種でもあったのだ。




