第四章~辻畑③
昨夜、一方的に罵声を浴びせられたからか、ここぞとばかりに攻撃してくる母の顔を見ただけでイライラした。一体いくつだと思っているのか。いつまでも子供扱いしやがる。面倒を看て貰っているとの自覚が全くない。老いては子に従えとの言葉があるだろう。それこそ自分はどんな教育を受けたんだ、と怒鳴りたかった。
けれど仕事に加え歩き疲れ、またメールのやり取り等も含め、今日は朝から頭を使い過ぎている。時間も遅く相手にすれば罵り合いとなり、近所迷惑だし精神的に持たない。
「はい、はい」
そう受け流し、自分の部屋に入った。外でまた何やらぶつくさ言っているが、無視して着替えを始めた。いつもならそのまま向こうも寝室へ引っ込み、朝まで顔を合わせなくて済むパターンだ。しかし今日は違った。腹の虫が治まらなかったのか、ノックもせずいきなり扉を開け部屋に入って来るなり文句を言い続けた。
「だからあんたは、ただいまも言えないのかい。二人だけなんだよ。しかもあんたはほとんど家にいない。帰って来たと思ったら、ムスッとした顔で親を無視するなんてどういう神経なんだ。いい年して常識も分からないのかい」
こうなると売り言葉に買い言葉だ。それでも声を抑えて睨んだ。
「勝手に入るな。常識が無いのはどっちだ。ノックぐらいしろ。しかも帰ってくるなり怒鳴り散らすのは止めてくれ。もう遅いし一軒家じゃなく官舎だぞ。静かに出来ないのか」
「馬鹿言うんじゃないよ。あんたがこんな時間にしかいないからしょうがないだろう。嫌ならもっと早く帰ってくればいいし、私を怒らせなければこんな事にはならないんだよ」
「だったら俺が警察を辞めればいいのか。それで他の仕事を探せとでも言うのかよ。そんなことが出来る訳ないだろう。四十半ばの歳でどこに再就職できるって言うんだ」
「警備会社とかあるだろう。それなら夜遅くても、昼間に帰って来られるじゃないか」
これにはカチンときた。
「本気で言っているのか。それで母さんを風呂に入れろってか。冗談じゃない。人の仕事を何だと思ってるんだ。給与だって下がるだろう。それに住む場所はどうする」
「何言っているんだい。その年にもなって家も建てず、今は子供も嫁もいないんだ。忙しくてお金を使う暇もないだろうから、それなりの貯金はあるはずだよ。実家を売ったお金や私の年金を使えば、今の暮らし程度なら十分維持できるじゃないか」
内容が具体的だった為、どうやら真面目に言っているらしい。思わずカッとなった。
「あんたの世話をする為に、俺の人生を変えろというのか。だったらあんたがくたばった後、俺はどうする。どうでも良いというのか。高校卒業後、三十年弱続け県警刑事課に配属され警部補にまでなったんだ。何故あんたの介護の為に仕事を変えなきゃいけない。金はあるから施設に入れと言っているだろう。それが嫌だと我儘言うのはあんたじゃないか」
「親が我儘言って何が悪い。誰が育てたと思ってるんだ。一人で大きくなったと勘違いするんじゃないよ。清美は馬鹿な相手と結婚したから当てにできないし、真が生きていたら私にこんな思いをさせなかったはずなのに、悔しいったらありゃしない」
「またそんなことを。真がいても同じだ。愛想を尽かし、清美のように近寄らなくなっただろう。咲良が出て行ったのも、あんたを嫌ったからじゃないか」
「あの女はいない方がマシだよ。それに離婚は私だけが原因じゃないだろう。人にばかり責任を押し付けるんじゃない」
「あんたのせいだよ。あんたがいなけりゃ別れずに済んださ。あんたと一緒に暮らすのが嫌で介護など絶対無理だから離婚したんだ。あの時俺はあんたを捨て、咲良を選ぶこともできた。それなのになんだ、その言い草は」
「長男が親を見捨てるなんてよく言えたね」
「長男がなんていつの時代だ。父さんがいた時は、そんな話をしたら怒られただろう。その時は素直に黙っていたくせして、いなくなった途端に好き勝手言いやがる」
すると思わぬことを言い出した。
「あの人は外面が良かったから良い格好をしたがっただけ。子供達にもそう。いつも私が悪者で自分が正しいって顔をする。好きで黙っていたんじゃない。我慢してきただけさ」
母から父の悪口を聞くのは初めてだった。一人になった後の、急激に変わった言動から何となく察してはいた。それでもここまであからさまに言うとは思っていなかった。
「そんなに父さんが嫌いだったのか。だから実家もすんなり売ったのかよ」
「そうだよ。あんな家に良い思い出なんかたいしてないからね」
吐き捨てた暴言に辻畑は衝撃を受けた。
「父さんが一生懸命働いて建てた家だろう。それに俺達が育った家でもある。なのに良い思い出が無かったと言うのかよ」
「少しは良いことも探せばあるさ。だけど嫌な目に遭った方が良く覚えているよ」
「なんだよ。そんな話、今まで一度だって聞いたこと無いぞ」
「ずっと黙っていただけだよ。あんた達はお父さんが大好きだったからね。でもあの人は私にだけ厳しかった。子供や他人にはいい顔をしていたから、誰も気づかなかったんだよ」
「そんなはずない。父さんには怒られて、殴られた事だってある。清美や真もそうだ。甘やかされた覚えはないぞ。近所の人にだってそうだ。よく覚えていないけど、町内に問題が起こった時には厳しい口調で言い争っていたじゃないか」
「それでも嫌われなかった。後でいい顔をしていたから。その分私がいつも損していたよ」
「父さんは昔から子供会や学校のPTAに参加し、民生委員もしたから慕われたんだろ」




