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第三章~辻畑⑨

「あの、例の書き込みはあくまで囮捜査の為ですよね。それとも本当に辛いのですか」

 事情を知っているからこそ心配したようだ。それに彼も昨年まで似た境遇だった為、他人事に思えなかったのだろう。その心情が分かった為、正直に打ち明けた。

「半分は本音だ。いやもう少し割合は高いかもしれない。特に昨日はかなり参った」

 昨晩帰宅した後で起きた母とのやり取りを説明すると、彼は大きくため息を吐いた。

「きついですね。私の立場では辻畑さんの気持ちを全て理解できるとまで言えませんから、軽く聞こえるでしょうけど」

「そんな事はない。奥さんの様子を見ていた尾梶なら、分かってくれると思っているよ」

 祖母の介護で辛い目に遭ったのは彼の妻だ。辻畑と同じかそれ以上の罵詈雑言を浴びたと聞いている。彼は帰宅する度、精神を削られた妻から鬱憤を晴らすように不平不満を投げつけられたようだ。

 互いに状況や想いを察しながらも、心から共感できるかといえばそうではない。それぞれ微妙に事情や立場が異なり、受け取る側の精神状態や心構えも違うからだ。根本的な解決方法が見い出せず耐えるしかないと陰に籠る為、余計に心が荒む。昨夜のように、母がいなくなればと考えてしまう時はある。けれどそれで全てが消える訳ではないのだ。

 現に介護から解放された尾梶達の家族が、その後救われたとはとてもいえない。また長期に渡る介護は、施設などに預ければ負担軽減できるといった単純なものとは違う。

 もちろん一時的には緩和されるかもしれない。だが後ろめたさや別の苦悩が待っている。もし辻畑の母が今事故や病気で突然いなくなったら、昨夜感じたストレスは確かに無くなるだろうが、新たな喪失感が生まれるはずだ。

 さらに憎き相手を失い、情緒不安定になる恐れだってあった。今回の闇サイト殺人依頼事件を担当し最も感じたのは、いとも簡単に一生消えない深い傷跡が残る手口で対象を排除する、極めて残虐な犯人達への怒りだ。

 当然尾梶や母にも直接言った通り、消えてくれと思う気持ちはある。だが実際にそうなった場合の後遺症を考慮すれば、決して選んではいけない禁断の手段なのだ。よって闇サイト運営者関係者を逮捕し、一連の事件における負の連鎖を早期に止めなければならない。 

 辻畑は改めてそう言い聞かせる。ただ依頼主の立場になりきり、実際書き込んで分かったこともある。鬱憤を晴らす為に文字で打ち込めば、一定のストレスは確実に発散されたが、続けると脳は麻痺を起こす。麻薬と同じ常習性を秘めた危険なものだと気付いた。

 しかも闇サイト運営者に個別で相談に乗るとの悪魔の囁きに導かれた時、一種の安堵感を覚えたほどだ。藁にもすがる思いを抱く身だからこそ、手を差し伸べられた際の安心感が強く残るのかもしれない。刑事の俯瞰した目が無ければ、邪悪な闇に吸い寄せられていただろう。こうした感覚を持てたのは、事件を把握し理解する為にも重要だと感じた。

 そこで尾梶が鋭い質問を投げかけてきた。

「ところで闇サイト運営者からの接触は無かったですか」

 不意を突かれ、動揺を隠せなかったのだろう。息を呑んだ辻畑の反応に彼は食いついた。

「え、あったのですか」

 どこまで打ち明けてよいかと一瞬悩み、誤魔化そうかと考えた。だが既に書き込みを特定され、しかも警視庁や本部から守ろうとしてくれた彼に嘘をつくのは申し訳ない。

 それにこの先、相手とのやり取りが始まれば、残せる証拠は手書きメモだけだ。それなら彼に経緯を説明し情報共有しておけば、万が一の場合に備えられる。

 そうした考えから辻畑は口を開いた。

「実は昨夜、それらしき接触があった」

 個別で相談するとのコメントに返信し、その後の経緯を説明した。当初はかなり驚いて聞いていたが、その内に警視庁でも把握していなかった事情言及すると彼は興奮し始めた。

「すごい手がかりですよ。これまで何の証拠も残さなかった理由がよく分かりました」

「だから手書きで残したが、それだけだと証拠能力は薄い。それに今後、どの段階で接触を断たれるか不明だから、尾梶には把握して貰った方がいいと思っていたんだ」

「メモは念の為コピーして別途保管が必要ですね」

 彼のアドバイスに頷いた。

「そうだな。そうする」

「それと良ければ私も見ていいですか」

「ああ。迷惑でなければコピーを預ける」

「私で良ければ。闇サイト運営者に辿り着き逮捕した際、証拠や裁判で立証する場合に役立つかもしれません。辻畑さんが書いただけだと、偽の証拠をでっちあげたと相手が主張する可能性があります。でも複数の目で確認していたとなれば、信憑性が高まるでしょう」

「俺もそう思う。だから証人として出廷する場合も想定しておかなければならない」

「事件解決の為なら喜んで証言しますよ」

「だったらこれまでのスクリーンショットなどのデータは送信しておく。メモは所轄内便で送付する。親展で出せば他人に見られる心配はないだろう」

「ちょっと危険じゃないですか」

「だったら直接受け渡すか」

 彼は少しの間を置き質問してきた。

「毎日、やり取りする訳じゃないですよね」

「分からない。毎日何度か続く場合や、長期間連絡がないケースも考えておく必要がある」

「それなら私がそちらに寄る機会があった時、連絡します。できれば直接がいいですから。会えない時はどこかに置いて頂ければ取りに伺います」

「分かった。どうするかは別途考えておく」

 入れ違いになる際は事前に渡す用意をし、封筒にでも入れ分かるよう机に置いておけば良い。そうすれば勝手に彼が持って行けばいいだけだ。あくまでコピーに過ぎず、一部の文面だけでは余程決定的な文言が書いていない限り、他人が見ても理解できないだろう。

 そう話し合い電話を切った。辻畑は少し肩の荷が軽くなった気がした。

一人で秘密を抱えるのは辛い。事件に関わるものなら尚更だ。そうした状況等を防ぐ為、常日頃から捜査は二人一組で動くことを義務付けられている。かつては一匹狼気取りで単独行動を好む刑事もいた。だがそんなものは時代遅れだ。今やどんな時でもすぐに連絡が付く携帯等の普及により、そうした行為がし辛くなっている。

 それにやはりそうした行動は危険が潜む。誰かが知っていれば、万が一の事態が起きても別の捜査員が動く事で、事件の捜査に支障をきたさずに済むのだ。手柄を得たいが為の勝手なスタンドプレーは、今や逆効果にしかならない。それどころか辻畑の囮捜査が表に出れば僻地の駐在所に飛ばされるか、少なくとも減給などの処分を受けるだろう。

 だから今回、決して的場達を出し抜きたいとの個人的な思いから行動したつもりはなかった。それでも一人で思うままの感情を書き込んだから、相手は喰いついたのだろう。もし仮に本部承認の元での囮捜査だった場合、あれ程のコメントが書けたかどうかは疑問だ。 

 どこかでプライベートを明かす決まりの悪さや、本音を見透かされたくない想いが先立ち、上っ面だけの愚痴やわざとらしい大袈裟な書き込みで終わっていたかもしれない。警視庁のサイバー課に目をつけられたのは迂闊だったが、それほど目を引いた書き込みだった証拠とも言える。そう考えると、第一段階はクリアしたと喜んでいいだろう。

 それに幸い辻畑とはまだ特定されていない。気付いているのは尾梶だけだ。やや恥ずかしいが、これまでも不平不満は打ち明けてきた間柄だし彼からも聞いている為に今更との想いがあった分、気は楽だった。今後のやりとりも、彼が控えていると思えるのは心強い。  

 何しろ個人事情においては一番の理解者だ。彼なら辻畑がどれだけ惨めで情けない愚痴を漏らしても、静かに頷きながら耳を傾けてくれる。時には一緒に怒り、泣いてくれると信じていた。

 何者にも代えがたい援軍を得た気持ちになった辻畑は、昨夜抱えていたやるせない鬱憤は収まり、落ち着いた状態で仕事にとりかかることができたのだった。

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