第三章~辻畑⑥
―お気持ちお察しします。こういうところには書けない事ってありますよね。文字で残せばまずいと思うのも当然です。そこで提案ですが、添付したアドレスからアプリをダウンロードすれば、そんな心配は無用です。もちろん不正アクセスに誘導するものではありません。心配なら別途アプリ名を検索し、問題ないと確認してからダウンロードして下さい。もしその気があれば、手続きを済ませた後でご連絡ください。お待ちしております―
アカウント名を書き換えていたが、昨日のものだと分かる。しかも驚いたことに記載されていたのは、まさしく警視庁サイバー課が突き止めた、闇サイト運営者も使用していたと思われる無料メッセージアプリの名だった。
これは通信内容が暗号化され、他人にデータを盗まれても読み取れない特徴を持つ。しかもサーバに保存されないので情報開示請求され恐れる必要もない。相手が同じアプリを導入していれば電話番号だけでメッセージ交換が可能で、五秒から一週間と幅のある一定時間を設定すれば、メッセージは自動的に消えてサーバにも残らないものだ。
その上ご丁寧にも、履歴削除できるシークレットアプリを同時使用するよう指示されていた。これは画面の記録とスクリーンショット防止機能がついていると、警視庁での分析で明らかになっているものだ。間違いない。これは闇サイト運営者からだ、と興奮した。
辻畑はその文言をコピーしようとしたが、何故かできなかった。どうやら相手の画面自体に防止機能を働かせているらしい。そこでこういうこともあろうかと、機種変更後に処分せず残していた旧端末のスマホを取り出しそれで撮影してみた。
しかし確認して驚く。文字化けで読み取れなくなっていたからだ。後に調べたところ、特殊な加工により文字表示を記録させなくすることが可能だと分かった。
これほどまで証拠を残さないよう抜かりない技術を駆使していたとは、サイバー課でも把握しきれていないと思われる。そうなると残る手はアナログだが手で書き写すしかない。
そうすればどんな段取りで、どのように指示を出されたか明らかにできる。けれど裁判等で証拠能力が認められるかは微妙だ。それでも殺人依頼が実行されるまでの流れを掴む行為は無駄で無い。これはこれで後の捜査に役立つ。そう信じ、急いで手帳に書き写した。
いつこの文言が消えるか分からない。ダウンロードする手続き等に手間取るだろう時間を考慮すれば、直ぐには消えないだろう。しかし既に証拠を残さない為の処置をしている状況から、どれだけ余裕があるかは不明だ。
辻畑は焦った。けれど間違えてはいけない。一字一句正確に残そうと必死になった。日時やアドレスなども記入した。少しでも相手を特定できる情報は多い方がいいからだ。やがて書き終わり一息つく。
まだ文言は残っていた。そこで冷静になって考える。アプリをダウンロードするまではいい。問題はその先だ。恐らくその先のやり取りも、この画面と同じく撮影できないだろう。ならば筆記しか方法はなかった。しかしここまで慎重な手段を取っている相手だ。その点も考慮していないとは考え難い。当然証拠能力がないと読んでの行動とも取れる。
例え辿られても途中でアドレスを頻繁に変え、また海外等のサーバを複数経由し追跡されない自信があるのだろう。それでも足跡や指示内容等はできるだけ明らかにされたくないはずだ。そうすると少しでもリスクを軽減する為この後はメッセージが短くなり、また早く消去される可能性があった。よって細心の注意を払い、どんな状況でも素早く対応できる体制を整え、覚悟しておかなければならない。辻畑は大きく息を吸って吐き腹を括る。
これからは母の殺害を願う息子を演じるのだ。一方で冷静に状況を俯瞰する刑事の頭は残さなければならない。そう何度も言い聞かせてから手順に従い、相手にダウンロードした旨を返信で伝えた。直ぐには返答されないだろう。相手が本当に闇サイト運営者ならそれなりの手を使って本気かどうかを確かめるに違いない。そこで気づく。
ネット等に高度な知識や高い技術を持つとなれば、こちらのアドレスを元に辻畑の身分特定も可能ではないか。もし刑事とばれれば、間違いなく罠だからと切られてしまう。しまった。全く別人の携帯を借りてアクセスするべきだったのかもしれない。
しかしそれも今更だ。以前から長い間、介護に関する悩みや質問を真面目に続けてきたからこそ相手が食いついてきたと考えられる。もしそうでなければ、いつまで経っても反応は無かっただろう。いやもし本気でやるなら、別の利用者に協力依頼し書き込んでいれば、こんな心配をせずに済んだのかもしれない。
警視庁サイバー課なら、それぐらいは思いついただろう。だがよく考えればそれは無駄だ。まず警視庁が囮捜査まがいの手法は取らない。適法性についてはいくつかの裁判所判断で肯定されているものの、あくまでグレーな扱いだ。よって余程特別な必要性が認められない限り、採用されるとは思えなかった。
また他の関係ない一般人のアカウントを使用したとしても、身元を探られれば同じだ。辻畑と似た境遇又はそれ以上の厳しい環境にある利用者で無ければ説得力がなく、相手も反応しないだろう。最悪なのは、その協力者の被介護者が間違って殺される場合だ。
万が一そんな事態を引き起こしたら取り返しがつかない。警察は世間から集中砲火を浴び、ちょっとやそっとの責任の取り方では済まないだろう。警視総監クラスの首が飛び、国家賠償請求も避けられなくなる。
そこでふと思う。もし仮に辻畑の母が殺されたらどうなるのか。一瞬、それならそれでいいかもしれないとの想いが頭を過り、慌てて首を振った。違う。これはあくまで闇サイト運営者や実行犯をおびきだす為の捜査だ。母の死を願っている訳ではない。そうだよな。
辻畑は改めて胸に手を当て確認する。駄目だ。おかしな思考に吸い寄せられてはまずい。元の推論に戻ろう。相手がこちらの身元を特定する可能性について考える。
これはもう避けられず、突き止められる心積もりは必要だ。その場合を想定し進めるしかない。途中で切られようと、少しでもその後の捜査に役立つ情報を得られれば十分だ。何も証拠を掴めていない状況よりはましだろう。そう開き直っている内に職場へ到着した。
画面を見たが、相手からまだ何も返信はない。それを確認した上で本来の業務に戻った。念の為に着信があれば気付くよう、サイレントモードのバイブレーションに設定しておく。
席に着き一呼吸した時、刑事課で支給されている携帯が鳴った。ディスプレイには尾梶の名が表示されていた為、素早く廊下に移動しながら出た。
「辻畑だ。どうした」




