決断
「ナルム・レクターニャ公爵令嬢。私、シャイム帝国皇帝カイラド・ヤシェクスの妻となっていただけないだろうか。」
突然の求婚に目を見開いていた。
この世と別れる覚悟を決めていた彼女にとって、青天の霹靂といっても過言はなかった。
「ですが! 私は陛下を裏切ったアーク王国の...元とはいえ王太子婚約者です。世論が許すでしょうか...。陛下のお立場も...」
「その件に関しては問題はない。レアス殿がいらした暁には、ナルム嬢へ説明すると約束しよう。」
「私の妻となって頂けるのなら、一生涯を捧げ貴女1人を愛すると誓う。」
「ナルム嬢の気持ちを聞かせてくれないか?」
その時、庭園へ強い風が吹いた。
漆黒とシルバーブロンドの髪が風にキラキラと靡くように揺れる。
色とりどりの花が宙へ攫われ、風が次第に止むとふわりふわりと2人の周囲を彩るように舞いおちてくる。
夜露に濡れた花弁はより一層美しく、庭園を照らす照明に反射し宝石のように見える。
ナルムは、左手で舞い落ちる花弁をふわりと受け止める。花弁に視線を移し数秒思案の後、ゆっくりと静かに語り始めた。
「私は...、アーク王国では不出来な婚約者でした。学園内でも私への醜聞を流布される始末。それを撤回しようとも思えませんでした。学園内で友と呼ぶようなご令嬢は1人もいません。」
「リム殿下との仲も婚約当初より、私の存在が受け入れ難いようでした。」
「殿下には、心から愛するご令嬢がいらっしゃったのです。ただ、身分が釣り合わなかったがため私がその座に就くことになってしまったのです。なぜ私が婚約者の座に座り続けられたのかは、今の状況を鑑みれば納得がいきます。」
ふうと息をつき、先ほどよりも強い意志を持ってナルムだけを見つめる瞳をまっすぐに見つめ返す。
(陛下が必要だと求めてくださるのならば...!)
「私はシャイム帝国皇帝カイラド・ヤシェクス殿下の妻となり一生涯を貴方様をお支えする事を誓います。」
「どんな時もお側にいます。」
にこりと笑う彼女の表情は、いつもの凛とした姿ではなく、年相応の少女のように見えた。
「ナルム嬢の気持ち、とても嬉しく思う。ありがとう。」
跪いた姿勢から立ち上がり、ゆっくりと2人の距離は縮まっていった。そして人生で初めての口づけを交わす。
身体の熱が一気に沸騰するような感覚。
気恥ずかしさと、嬉しさが混ざり合う幸せな時間。
2人はこの日を、一生涯忘れる事はなかった。
ー時刻は翌日の昼さがり。
カイラドとナルムは、ナルム最愛の弟レアス・レクターニャと対面のためエスコートを受けながら皇帝執務室へと向かっていた。
執事が重厚な扉を開けると、そこには愛しい弟の姿が。
レアスは立ち上がり、一礼する。
「お初にお目にかかります。シャイム帝国皇帝、カイラド・ヤシェクス陛下。」
「私、レクターニャ公爵が息子。
レアス・レクターニャでございます。」
「カイラド・ヤシェクスだ。遠路はるばるご苦労だった。暫くはこちらで姉君と共に過ごされると良い。」
「ご厚意に感謝いたします。陛下。」
「ありがとうございます。このご恩は忘れません。」
ナルムからもカイラドへ感謝の意を述べる。
そして、
「レアス!!! 無事だったのですね!!」
最愛の弟の姿を見て、思わず駆け寄り抱きしめてしまうナルム。
レアスは、シルバーブロンドの髪に青眼の青年だ。髪はしっかりと整えられ清潔感があるようにセットされている。
「姉様! よくぞご無事で...!」
「姉様が近衛兵に連れて行かれたと聞いた時には、既にもう出国された後でした。守ることができず申し訳ありません。」
「そんなこといいのよ!」
「私も貴方に一目でもと思ったけれど、近衛兵に連れて行かれた後王宮に軟禁されていて叶わなかったの。」
感動の再会を喜ぶ2人。
そこでレアスと共にいた宰相ロムが口を挟む。
「立ち話もなんですから! ささっ! どうぞお座りください!」
促されるままカイラドとナルム、ロムとレアスに分かれ机を挟み対面でソファに座った。
「レアス殿。アーク王国国内での情報はどうなっている?」
「はい。姉様と王太子殿下との婚約破棄は王国中に公示されました。その中で市民が王室相手に声をあげているのです。」
「市民が?」ナルムが声をあげる。
「そうです。」とレアスは続ける。
「姉様がアーク王国を出る際、市民たちがその様子を見ていたと聞き及びました。」
その話に続くようロムは、
「その市民の中に、どうやらナルム公爵令嬢のことを存じ上げていた人物が複数人いたのです。私は彼らに接触することができました。」
「最初はシャイム帝国と聞き、とても話を聞けるような状態ではありませんでした。ですが令嬢の現状と今後をお話しした所信用していただき情報を得ることができました。」
「今後...?」ナルムは時系列を考えても、今後を話す事などシャイム帝国として予定している事柄は思い当たらなかった。
そしてロムは、
「カイラド陛下は、私が帝国を出発する前までにこのような事を仰ったのです。」
「令嬢を妻にしたい」
「!?」
驚きを隠せないナルム。
横にいるカイラドを思わず見ると、照れている様子で視線を他に外して冷静さを保っていた。
そんな可愛らしい一面もナルムはとても好ましく思っていた。
「しかし、令嬢には婚約者の王太子殿下がおられました。」
「ですが陛下は、」
「今は彼女の気持ちに寄り添いたい。」
「そう仰ったのです!!
あの女性嫌いと言われた陛下が!
それはもう黙ってなどいられませんでした。
市民にはこう伝えましたよ。
“令嬢はシャイム帝国の太陽になる”
そうしたら市民の態度が一変しまして、協力して頂けることになったのです!」
鼻息を荒くして熱量高めに喋るロム。
「市民たちは、令嬢に対して多大なる恩があると言っていました。
貧しい人々への炊き出しや、農業・漁業の効率化を図る事など並大抵の知識では成し得ません。」
「令嬢はやんごとなき身分の方だと認知していたようです。
それでも、ご令嬢が明かすまではとそのまま知らないふりをしていたようでした。
そんな時、王太子の婚約者が国境壁を通り帝国へ人質に行くと聞きつけ姿を見に行ったそうです。」
「簡素な馬車から出てきたのは、いつも彼らを想ってくれていた1人の少女だったのです。
その場で声をあげたようですが、近くにいた兵士に押さえ込まれてしまったようでした。」
「そんな...!
怪我はなかったのですか?!」
ナルムは泣きそうな声をあげる。
横にいたカイラドは、机から見えない位置でナルムの右手を取り宥めるように撫でる。
「幸いにも大事には至らなかったようでした。が、この事件を皮切りに彼らは、各地で義勇軍を組み王族を排除しようとしています。」
レアスはそれに続く。
「王宮内ではこのような指示が陛下より出ていました。」
歯向かうものは根絶やしにせよ
「それほど大事と捉えてはいなかったと思います。ですが、ここまで押されるとは思わなかったはずです。」
「私たちが王国を脱したのち、彼らは王宮と国境壁との中心地まで迫っているのです。」
カイラドが
「この件が昨日、ナルムへ伝えられなかった事の次第だ。
私は、帝国の次期王妃へしたアーク王国の行いを許す事はない。」
「だが中心地からは辛い戦いになるだろう。王国の中枢へ向かうには一般市民含め大勢が犠牲になる。彼らには武器も兵力も足りない。....支援が必要だ。」
レアスが、
「そして母様父様なのですが...。
どうやら姉様と王太子殿下が婚約するにあたって、多額の金銭を王宮から賄賂として受け取っていたみたいです。
家から帳簿が出てきました。
両親は私を王宮へ送り込んだ後、その大金を持って姿を消しました。」
カイラドから、
「私は、ナルムの気持ちが知りたい。」
そう聞いたナルムは王国内での出来事を思い出していた。
(私を汚物を見るような目で見てくる人たち。)
(私を救い、人の温もりが温かいと知ることができたのは市民の皆様のおかげだわ。)
(でも、王国やリム殿下は反乱分子には容赦しないと指示を出している。犠牲者が...大勢出てしまう。)
(父様、母様...。いつからだろう。私が2人の娘でなくなってしまったのは。)
彼女の中で決断は早かった。
どちらの手を取るかは明白だった。
「その国を滅ぼしてください。」
それからは、行動が更に早かった。
カイラドはすぐにあらかじめ待機させていた援軍と物資を送り込んだ。
流れに乗った義勇・帝国連合軍は数日の間に王宮まで攻め上ったのだ。
あっという間に国王は捕縛された。
リムは王宮のベッド下に、新婚約者と共に隠れていた所を発見され捕縛となった。
両親はというと、人身売買に手を染めていたことが発覚しシャイム帝国の情報網を駆使して郊外にある洞窟にてドロドロの姿で発見捕縛した。
アーク王国で数日の裁判の後、国王、王太子、王太子婚約者は罪が認められ処刑。
3人の遺体は広場へ晒された。
レクターニャ公爵・公爵夫人はその悪事により爵位は取り消しとなり、奴隷へ落とされた。
今は、戦いにより荒れたアーク王国の様々な戦場跡地へ向かわされているようだ。
帝国軍はアーク王国全ての領土を支配下とし、広大な領地を手に入れた。
だがカイラドは、市民から支持を受けているナルムが統治するようにと推薦した。
そして旧アーク王国は、妃となったナルム・ヤシェクスにより治められ繁栄したという。
2人の間にはたくさんの子宝に恵まれた。
ナルムによく似た王子2人に、カイラドに似た姫が1人。
もう1人は今ナルムの身体の中にいる。
先に生まれた宝物たちは、カイラドから笛を習い始めたようだ。
2人はたくさんの愛で広い国中を包み込み、市民からもとても愛されたという。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。