真意 思惑
-時刻は夜明け前-
一報が入ったシャイム帝国では緊急の“軍議”が開かれていた。
帝国会議室により大臣、帝国に騎士団長など名だたる幹部が列席している。
一様に皆重苦しい空気で満ち、その静寂を破るように現れた人物が、
シャイム帝国皇帝カイラド・ヤシェクスである。
入室すると全員が立ち上がり、皇帝陛下へ礼をする。
カイラドは静かに中央の座席に座ると、すべての家臣が一様に座していく。
「では、緊急の軍議を開く。」
「既に耳に入っているだろうが、アーク王国よりナルム・レクターニャ公爵令嬢へ婚約破棄の公文書が我々に提出された。」
「そして、人質のナルム・レクターニャ公爵令嬢の処遇についてだ。
王国からは永久に人質の返還は望まないと。このように申し入れがあった。」
ざわめく家臣団。そんな中でも至って冷静な騎士団長が口を開く。
「陛下。申し上げます。失礼ながらナルム公爵令嬢は、王国から拒否をされている。そのように取る事ができますが」
と言うと「その通りだ。」と深く頷く。続けて、
「なぜ彼女が、そのような処遇になっているのか調べる必要がある。最愛の弟へ別れも言えなかったと聞いた。」
だが、口々に大臣たちは言う
「陛下! その令嬢は生かしては置けません。アーク王国からは裏切りにあっているのです。こちらに捕虜を解放させるため、我々を欺いたのです。
令嬢は捨て駒でしかなかった。
処刑して広場へ見せしめにしても足りないくらいです。」
「そうだ!そうだ!」と賛成の意見が多数聞こえてくる。
だが、カイラドはあくまでも感情を見せずこう伝える。
「皆の意見はもっともだ。だが、私たちは冷静でなくてはならない。
彼女に何の罪がある?
もはや婚約者ですらなくなった彼女に、一体何の非があり処刑をしろと言うのだ。」
「それは....。」
静まり返る家臣たち。
しばしの沈黙ののち、こう伝える。
「ナルム・レクターニャ公爵令嬢へはまだ伝えていない。
感情のままに流されては王国側の思う壺だ。
彼女の処遇については私に一任させてもらう。」
「私にも考えはある。そしてそれには、ナルム嬢に判断してもらう事も含められている-。」
ナルムは自室の中で、昼下がりの雨空を窓辺に立って眺めていた。
いつになく慌ただしく働く城の使用人たち。
(いつもと空気が違うように思う。)
「こちらに来てから、毎日聞いていた笛の音も昨日は聞こえなかった。」
窓辺で憂いを帯びた彼女は、絵画で描かれたような美しさだ。
(宰相が王国内にて国王陛下に謁見しているはず。)
(もしかして...。もう何らかの情報が渡った可能性がある...?
婚約が...正式に破棄された...?)
「そんな......私は...」
雪のように白い肌。
血色の良い頬と唇。
血色が失われ全身から血の気が引いていく感覚。
乱れる息遣い。
視界が暗くなる。
ぐらりと崩れそうな身体を、何とか自身の細い手で支える。
異変に気づいた双子の侍女は、すぐにナルムへ駆け寄っていく。
姉のリミエールは背中に手を当て、「いかがされましたか?」と声をかける。
妹のリミールはか細い腕とは思えないほどの力で、豪華な装飾が施されている椅子を軽々と持ち上げナルムを座らせるよう促す。
「医務官を呼んで参ります。」
立ち去ろうとする姉のリミエールを、
「大したことないわ。」一言で制止するナルム。
「ですが...!」と食い下がる妹のリミール。
「...私が、皇帝陛下へご迷惑をおかけする訳にはいかない。それに、具合が悪いわけではないわ。
平気よ。だから、陛下にはお伝えしないでいただけるかしら...?」
「お願い?」
麗しい主人からそう伝えられれば、侍女としては受け入れざるを得ないのが現状だ。
2人は納得がいかないまま頷くことしかできなかった。再び何か起こった場合は主人を守ることだけを考えて。
その日の晩餐。
「断りを入れたほうが...。」
リミールからの申し入れも断り、日常の中に溶け込みつつあるカイラドとの晩餐に向かうナルム。
入室すると、公務に追われているカイラドの方が先に着席していた。定刻よりもまだだいぶ早い時刻だ。
淑女の礼をする。
「申し訳ありません。先に陛下がご到着されているとは思いませんでした。」
「問題ない。今宵は私の方が早く公務が片付いたからな。
...ナルム嬢に会うことが唯一の楽しみなんだ。」
ポーカーフェイスにも慣れてくると、ナルムとしてもカイラドの感情が読み易くなっており、
(照れている...?)位には感じ取ることができる。
ナルムはいつもの位置へ着席する。
「実は、ナルム嬢に今日伝えたいことがあるのだ。」
「...なんですの。それは...?」
生唾を飲み込む。
「...ロムより、報告があった。
アーク王国王太子リム・アーカイズ殿より、ナルム嬢との婚約を破棄するという公文書が提出された。」
(恐れていたことが起きてしまった....!)
「公爵家からも認められたようだ。公爵家の印章も確認された。」
「そう....ですか....。」
俯く事しかできないナルム。
「その後ロムはナルム嬢の弟君...レアス殿と面会のため公爵家を訪れた。あろう事か門前払いをされたと。」
「それもそのはずだ。ナルム嬢との婚約破棄の見返りとして、弟君を政の中心へ送り込んでいたのだから。」
「両親はレアスへそのような期待を常々寄せていました。」
「そうか。」
「だが、ロムも優秀だがロムが引き連れている部隊も優秀でな。
彼と接触することができた。」
「!!⁇ 弟は無事なのですか!?」
「それなんだが...。
君の話をしたんだ。そして彼は、ここシャイム帝国へ亡命する事を選択した。彼は今ロムと共に行動し、国境壁を通過し帝国領内に入ったと報告があった。」
「亡命?? レアスは...レアスは無事なのですね!?」
深く頷くカイラドを見て、泣き崩れるナルム。
そんな様子を見て、落ちつきを取り戻すまでカイラドはナルムと同じ視線でゆっくりと背中を撫でたり、優しく叩いてくれる。
まるで幼子をあやすように優しく。
「弟君がこちらに入られた暁には、公爵家ご姉弟へ改めて話すこともある。この話の続きはそれまで待っていて欲しい。」
「...承知いたしました。陛下のお心のままに...。」
「少し、外を歩かないか?」
すっかり泣き止んだナルム。陛下からの提案だ。快く承諾する。
「お手をどうぞ?」と差し出される左手。
「ありがとうございます。陛下」
2人で手を取り、カイラドのエスコートで歩み庭園まで向かった。
庭園に出ると、先ほどまで大地を濡らしていた雨はすっかり止んでいた。
雨粒で濡れた花々は、昼間と違う表情を見せてくれる。
噴水広場で歩みを止める。
「昔はここでいつも妹と共に遊んでいた。だが、いつの間にか背負うものが大きくなり必死にもがいた。その分だけ月日が流れ自分の身体も大きく成長していた。」
「そんな時、気付いたのだ。自分は孤独だったと。」
カイラドを見上げるナルムは、空に燦々と輝く星をも背景にし更に美しいとすら感じる濡れた金色の瞳から視線が外せなくなっていた。
「言い寄ってくる女性は何人もいたんだ。だが、皆私のことは“権威”“欲望”“見返り”を求めるばかり。女性へは苦手意識が芽生えた。おかげで陰では、婚約者も持たない無責任な皇帝と揶揄されるようになった。」
「そのようなことは...。いつでも皆様の為に全力を尽くされているではないですか。人質としての役割しか持たない、私をこのように扱ってくださりとても感謝だけでは伝えきれません。」
「ここに来てから私は幸せでした。」
「私へお伝えになっていないことがありますでしょう?」
「私の首を刎ねてくださりませ。」
「アーク王国、王太子婚約者として覚悟はできております。弟のレアスは、陛下になら安心してお任せできます。」
泣き笑いのような表情。
堪らずカイラドは強くナルムを抱きすくめる。
息も満足にできないほど強く、そして暖かかった。
「また1人にさせる気か?
いつ、私がナルム嬢を殺すと言ったのか。私が貴女へ伝えていない事のもう一つは...。」
身体をゆっくりと離す。
ナルムの元へ跪くカイラド。
右手を取り、手の甲へ口づける。
「ナルム・レクターニャ公爵令嬢。私シャイム帝国、皇帝カイラド・ヤシェクスの妻となっていただけないだろうか。」