情
明朝、食事前にロムより陛下からの言伝を預かった。
陛下からの言伝は
晩餐を共にしたい。
部屋に篭りきりよりも庭園で過ごすことはどうか
との提案だった。
ナルムにとって願ってもいないことであり、快く了承した。
昼下がり双子の侍女を伴って庭園へ赴いた。
色とりどりのバラのトンネルを潜り抜けると、低木から囲まれるように噴水が現れる。
(昨日人影が見えたのはこの辺りね。)
噴水へは縁に腰掛けられるようになっており、リミエールにハンカチを敷かれその上に腰掛けた。
「今日はいい天気ですね。」
そう言ったリミエールは、どこからか持参していた大きい日傘をさしてくれる。
「ありがとう」と言うとにっこりと微笑んでくれる。
リミールは、「お天気も良いですし、こちらでティータイムにしてみてはいかがでしょうか?」と提案があった。
「じゃあ...せっかくだからお願いするわ。ありがとう。」と伝えるとあっという間に準備を整えてくれる。
仕事の早さと、まだあどけなく年相応に微笑む彼女らには驚かされてばかりだ。
楽しい時間は過ぎ、次第に夜へ近づいていく。
自室では湯浴みを終えたナルムが双子2人に囲まれていた。
ドレスの着用を手伝っているのは妹のリミールだ。
今日のドレスは薄紫色でマーメイドラインが美しい。胸元には深くVネックになっておりナルムの豊かな谷間がのぞく。
気恥ずかしさを覚えたナルムはリミールに伝えると、黒レースのタートルネックをインナーとして着ることを提案され承諾した。
姉のリミエールは化粧台に座ったナルムに化粧を施している。
「今晩は陛下からのお誘いの日ですね! きっと陛下は気合いの入ったメイクはお気に召さないはず。ナルム様の持っている美しさを引き出さなくては...!」と鼻息を荒くしている。
そして妹のリミールはナルムの髪を整えていた。
気恥ずかしさの残るナルムを見て、アップヘアにする事はせず元々の艶やかなストレートヘアを生かすようにしたようだった。髪飾りを「うーんうーん」と言いながら選んでいる。
完璧にドレスアップしたナルムを見て双子はさらに鼻息を荒くし、「陛下に早くお見せしたい!」とのことで定刻より数十分前になるが先に食事の間で待つことになった。
定刻より前に陛下が食事の間へ入室された。
ナルムは立ち上がり、淑女の礼をする。
「陛下。今宵は晩餐へのお誘い、とても嬉しく思います。」
と淑女の笑みを浮かべて伝えると、
「そのように堅苦しくなくて良い。私も今日は皇帝としてではなく、個人としてナルム嬢を呼んだのだ。ゆっくりしていってくれ。」
と仰られる。
次に
「とてもドレスが似合っているな。ナルム嬢の透き通った肌にはそのドレスは最適だったようだ」と笑みを浮かべてくださる。
前菜と食前酒が運び込まれ食事が始まった。
王国国内でのこと、帝国内でのことなど他愛のない話を楽しむ2人。
気づけば話の内容は陛下のご家族の話題に推移していた。
「私には妹がいるんだ。他国へ嫁いでしまい、しばらく会っていない。両親も幼い時に他界している。だから唯一の家族なんだ。他国での活躍は耳にするがやはり心配は尽きないな。」
と仰る陛下の金色の瞳に影が落ちる。
それに気づいたナルムは自身の家族の話を静かに話し始めた。
「私にも3つ離れた弟のレアス・レクターニャがおります。物心ついた時からやんちゃな男の子で、私両親には放任されていましたが弟だけは姉様と慕ってくれていました。」
「国内から出る時に何も説明することなく出てきてしまい、弟がどのようにしているのか心配でならないのです。せめて息災であると伝えたいのですが...」
と告げるとナルムの表情が凍りつき、顔からサァーと血の気が引いていく。
明日の命すら保証されない身。
それを命を奪う立場である、この国の皇帝陛下にあろうことか願い出てしまったのだ。全身から冷や汗が滲む。
カイラドはこれを理解した上でこう話す
「ナルム嬢にも弟君が居たとは。心配であろう。数日後に私の側近が王国に向け発つ事になっている。その際公爵家へ寄りナルム嬢がどのような暮らしをしているか伝えよう。」
「そのような事は....!私は客人として迎えて頂いておりますが人質の身。立場を弁えず、このようなことを申し上げてしまい申し訳ありませ」ぷにゅっと柔らかいさくらんぼのような唇に人差し指があてられる。
いつの間にか反対側にいた陛下がこちらにやってきて、俯いたナルムの顔を覗き込むように見ていた。
思わず神秘的な金色の瞳に見惚れてしまう。曇りのない純金のような瞳。
カイラドは宥めるような優しい表情だった。
ナルムにはこのような事をされた経験がない。婚約者がいる身と言っては良いものの、異性に触れることなどなかった。それどころかナルムを見る目は悪意に満ちており、嘲笑されるためにしか存在していない婚約者だった。そのため純粋な彼女には、異性への耐性が皆無なのだ。
陛下は妖艶に微笑むと、
「ただ言う通りにするわけじゃない。条件がある。」
「.....?」
固まるナルムには返事も出来ない。
唇から手が離れたかと思うと、陛下の手はシルバーブロンドのストレートヘアを遠慮がちにナルムの耳にかける。
くすぐったさと、気まずさにピクリと震える。
カイラドが吐息の聞こえる耳元まで近づき低く、どこかかすかに甘い声音で囁く。
「毎夜、私と晩餐を共にすること。これが条件だ。」
「どうだろうか?」と一際妖艶な笑みを浮かべ微笑む陛下。
声が出せず、ただ固まるしかないナルムは精一杯に頷くことしかできなかった。
それ以降何を食べたのか、何を話したのか、どのように自室に帰り、ベッドでこうして横になっているのか全くナルムは覚えていない。
(なんて失態をしたのかしら....!こんな過ちを犯すなんて、一生の恥よ)
とベッドの中でむむむむと考えていた時、再び笛の音が聞こえてきた。
(笛の音がする。)
「昨日より音が明るい気がするわ。何か良いことでもあったのかしら。」
不思議とこの音色を聴いていると落ち着きを取り戻してくるナルム。
音に聴き入り微睡んでいると次第に夢の中へと誘われ、ついには寝息を立て始めるのだった。
数日後、首都より陛下の名代として宰相のロムが王国へ向けて出立していった。勿論王宮へ行った帰りに、レクターニャ公爵家へと向かう予定になっている。弟のレアス・レクターニャへナルムから伝言を伝えるためだ。
その間も陛下との晩餐は続いており、お互いへの理解は日に日に増していった。
私の好む食材、陛下の好む食事が織り交ぜられた晩餐を提供してくださる。
(陛下は何をお考えなのかしら。明日の命も知れない人質の私を客人としてもてなし、毎夜晩餐をする約束をもちかけるなんて。)
(まるで私に死ぬなと言ってくれているみたい。絶望に満ちたこの身体に希望を持てと言われているかのようだわ。)
(その時になれば、間違いなく彼が躊躇なく私の頸を刎ねるはずなのにね。)
(おかしな人だわ。)
日に日に疑問は増していくが、解決する事などない。状況は今より悪化するだろう。婚約破棄の通達は恐らくロムへと情報が渡るはず。
(それ以降私はなんの価値もなくなる。)
心配は現実のものとなった。
婚約破棄の知らせが、王宮を訪れていたロムに齎されたのだ。
速やかに伝達され、翌日には陛下の耳に入ることになった。
ナルムがこの帝国に来てから1週間後のことだった。
まだこの事実を彼女は知らない。