その名はケイオス【挿絵追加】
キャラクターの色イメージ参考のため、挿絵を追加しました
勢いよく頬にキスをされた魔人は、きょとんというか、ぽかんというか。意表を突かれた表情をしていたけれど。ルナが彼の頬から唇を離す頃には笑顔に戻って見つめ返した。
「そこまで嬉しい?」
「うん。魔人のあなたが、ただの人間にそこまで気を使ってくれるなんて、正直想像もしてなかったから……凄く驚いたし、嬉しかったわ。ありがとう魔人さん」
素直に伝えたお礼に反して、彼は若干むすくれた顏になった。
「その魔人さんって呼ぶの止めろ。ルナも、人間さんって呼ばれたくないだろ」
「だってあなたの名前教えてもらってないもの! あなたは私から勝手に読み取ったみたいだけど、私はちゃんと口で言ってくれなきゃ分からないわ。教えて?」
「俺の名前……そういえば、無い」
「えっ?」
「俺も今気付いた。俺は今まで自分で名乗ったことが無い。いつも相手が先に、俺を魔人と呼んできたし。複数の魔人が居た時代でも、空の災厄とか闇の破壊者とか、人間たちが区別の為に付けた呼び名があって。やっぱり勝手に色々呼ばれた」
そういわれてみると。ルナも彼に、あなたは魔人なのかと聞いた一人だ。
「なるほどね……その頃の呼び名ってなんだったの?」
「忘れた。輝ける混沌がどうとか、妙に長くて。覚える気にもならなかったな」
「うーん、それも忘れちゃったなら、私はあなたのこと、なんて呼んだらいいの?」
「今は無いんだから作ればいい」
そう口にした魔人は、にっこにこしながらルナの言葉を待っている。
「? ……え? えっいやちょっと待って、まさか私にあなたの名前を決めろって?」
「そうだ」
「いきなり言われても……物語の勇者とかから格好良さそうなの選ぼうか? パーシヴァルとかアレキサンダーとか」
「勇者は止めろ。それは俺を封印したやつと、王都から俺に一騎打ち挑みに来たやつだ」
「待って情報量が多い!」
「何?」
「あー……色々聞きたいところはあるけど、とりあえず勇者の名前はなしね、あとあんまり長いのもなし、と」
「聞きたいことがあるなら聞け」
その言葉に、ルナは疑わしさを隠しきれない顏をしたけど。少し間をおいて頷いた。
「わかった。じゃあちょっとずつ聞かせて貰うわ。でも今はあなたの名前を決めるのが先だよね……好きなものとか、格好いいのが良いとかシンプルなのが良いとか、教えて?」
「好きなものは、強いやつを倒すことと、ルナが好きだな」
「ふぐっ」
真顔で好きって言うのやめて欲しい、恥ずかしい。
「格好いいとかシンプルとかそういう好みは特にない。良いと思えば良い、嫌なものは嫌だ」
「うーん好き嫌いはっきりしてそうなのに。好みのイメージはないのね」
「似ているものが全部良いとは限らないだろ? 俺はルナが好きだが、銀花の民はどうでもいい」
「ふぐぅ……え、えっと、特に好きなものとかこだわりないなら混沌なんて、どうかな? 昔の人が付けた名前から取ってみたけど」
「ケイオスか、うん……良いな。今から、俺の名はケイオスだ」
「気に入ってくれたなら良かった。ふふっ、それじゃ改めてこれからよろしくね、ケイオス」
「ありがとうルナ」
さっきのお返しか、ケイオスがルナの頬へ唇を寄せた。
「ひやぁぁ!」
思わず両手で顔を覆ったので、手の甲にキスすることになり。ケイオスはムッと目を細めた。
「お前はしたのに、俺にされるのは嫌なのか?」
聞かれてもルナは顔を見せない、が。なにやら小さい声でぶつぶつ呟いている。
「……あぁぁうっかり忘れてたけどお姫様抱っこされてる真っ最中だし綺麗な顔が近過ぎるしドストレートに好き好き言われるとか初めてだしどうすればいいのかよく分かんないし恥ずかしいしやばい顔熱いどうしたらいいのこれぇぇ」
本当に小さな声でボソボソと囁いているが。いくら小さくても抱き上げられて至近距離では丸聞こえである。
「――なんか、落ち着くまで時間かかりそうだし、俺はのんびり王都でも滅ぼしに行ってこようかな」
「なんで?! やめて?!」
即座にバッと両手を外してルナが顔を上げると、彼は少し考えてから口を開いた。
「だって、俺が近すぎると落ち着かないんだろ? そろそろ新しい魔封じも作り終わるから俺がここに居なくてもしばらくこの辺は安全だし。ルナが落ち着くまで少し王都で遊んでこようかと思って。そうしたら多分最終的には滅ぼしてくることになるよね」
「よねって言われても……えっと? あー、まず。新しい魔封じって何?」
「さっき魔獣を呼ぶために1つ壊しただろ? あれを新しく作り直してる」
「は?! 長老の! 長老は隊長に斬られたと思ってたけど、生きてるの?!」
「あいつらもすぐに魔獣が来るって知ってたから、年寄り斬るよりそっちの対処を優先したんだろ。――さっき、俺が行った時に生きてたやつは全員元気だと言ったじゃないか?」
「具体的に誰が助かったのって聞こうと思ったけど、聞きそびれてたのよ!」
「あぁ。――誰が、というか、ほとんど生きてるぞ。俺が見つけた銀花の死体は2つだけだし」
「二人だけ……」
少なくとも二箇所のテントが襲われていたはずで、ルオも含めて2人しか死んでないのは明らかに少なすぎる。けど、見つけたのがそれだけ、だったのだろう。
銀花の死体も魔封じを外した時ほどではないけど“魔”を呼ぶ力が強くて、死んでしばらくすれば必ず魔獣が来て、死体は跡形も残らなくなる。銀花の民に墓を作る習慣はない。誰がどう生きてどう死んだのか、互いに覚え、語り合い、思い出として抱くのが銀花の弔い方だ。
「えっとケイオス……お願い、生きてる人の顔を自分で見て確かめたいの、皆と一緒には住めなくなるってお別れも言いたいし、一度降ろしてくれない?」
「嫌だ」
「どうして?! お願いケイオス、ちゃんとあなたの所に戻るから……皆、集会場に集まってるみたいだし、挨拶だけでもさせて!」
また即答で駄目だと言いかけて、一旦言葉を止めてから言い直した。
「もうあいつらと関わるな。向こうも今、ルナは死んだものと諦めている。このまま忘れさせた方が良い」
「なんで……どうしてだめなの……」
ルナが再び両手で顔を覆って泣き出した。
「会わないのが、一番傷つかないからだ。――ルナ。お前はどうしたら泣き止む?」
「知らない! 私だってっ、泣きたくて泣いてるわけじゃないっ! ふ、うーーっうぇぇんっ、ひ、くっ……」
明らかにケイオスが困っているのは伝わってくる、でも、ルナにだってどうしようもない。抑えきれずに漏れだした嗚咽はいつまでも止まらず。
結局、朝が近付いてくるまでルナが泣き止むことは無かった。キャンプを見下ろす上空にふわふわ浮かんだ状態さえそのまま。
ケイオスはただ困った顔で、泣き続けるルナを抱えて見守っていた……