息子の叱り方
初めて我が子をこの腕に抱き上げたときの感動は、僅かにだがこの胸に刻まれている。
温かく、まるで生まれたてのエイリアンのような、それでいて何処か愛嬌のある、不思議な顔だった。
半年になって、初めて高熱が出たときは裸足で駆け出して、三軒先の小児科に隣接する医師の家を打っ叩いた。ガラスが割れ、中へ向かって息子を診るよう懇願した。
医者は、こんな私にも丁寧に対応してくれた。後で修理代とお菓子を持って行った。
三歳。何をしても可愛い年頃の息子を、一日に何度もカメラを向けては「わらって~」とシャッターを切った。
ネガに映る暗色の君。写真は既に色あせて古ぼけているけれど、私は未だにハッキリと覚えている。貰ったばかりのお気に入りのバスタオルにウンチをした事を、私は一生忘れないだろう。
初めて本気で怒ったのは、五歳の頃だっただろうか。
私も母親から、テーブルマナーについてはとやかく言われた口なので、息子にも口煩く説き続けた。
何度言っても直らない息子がついに癇癪の末に泣き出し、夫が少し寂しそうな顔で私を睨んでいた。
小学校、他のママさんに「お利口でお行儀が良くて羨ましい」と言われ、私は間違ってなかったと確信した。
息子も泣き言を言わなくなり、黙々と勉強に励んでいた。
時折、夫とキャッチボールをする姿を見て、段々と背格好が似てきたなと思うようになった。
息子が警察のお世話になり、ショックで一週間食べ物が喉を通らなかった。十四の秋だった。
何度も息子が部屋の前へ謝りに来たが、私は一言も口を効くことが出来なかった。
それ以来、何処か息子との距離感がおかしくなってしまった気がする。
高校は近くの県立に通い、卒業後は就職をすると言い始めた。都会へ行き、見聞を広めたいと言うのだ。
息子の独り立ちに嬉しい半面、寂しさも感じられた。
当時私は、母から『公務員になりなさい』と、半ば無理矢理公務員試験を受けさせられた。地元の行政センターへ勤務したが、長くは続かなかった。逃げるように私は夫のアパートへ転がり込んだが、全く後悔はしていない。
三十を過ぎて、息子が実家へ帰ってきた。
地元の産業を世界にアピールしたい。と、胸を張って新規事業を立ち上げた。
好きなことに向かって全力で突き進む息子を、私は全力で応援したい。
四十になり、息子が二十代の嫁を連れてきた。
ふっくらとした、農家の末っ子で、気がとても強く、私は上手くやっていけるだろうか、少し心配だった。
それから五年以内に八人の子どもを拵え、私はあっという間に孫達に囲まれてしまった。360°どこを向いても孫、孫、孫。幸せな光景だった。
夫も始めこそは戸惑っていたが、次第に「俺のが一人居ても分かんないよな」とか言い出したので、スリッパで叩いた。差し歯が抜けて慌てて歯医者へ駆け込んでいった。
息子は五十路になると、何処か気が変わったかのように、不思議な事をするようになった。
裸にマントを一枚身につけ、ピザの空箱を持って露出を繰り返し、度々警察のお世話になっていた。
愛想を尽かし、嫁が出て行った。
それから三日後、すぐに別な女が家にやって来た。またもや二十代の若嫁だった。
新しい嫁の間に五人の子どもを作った息子は、遂にはマントすら身に付けなくなった。
夫が「俺も若い頃は散々言わしたモンだよ」と、嘯いた事をブツブツと言い続けているので、排水枡の生ゴミネットを縛ってぶつけてやった。当たり所が悪かったのか、やがて目を腫らし、その事が原因かは定かではないが、何故か夫は亡くなった。
還暦を迎え、少しは大人しくなるかと思われた息子だったが、行為はエスカレートするばかりだった。
最近流行のドローンを使い、道行く女子のスカートをめくるのに、躍起になって遊んでいた。
あまりにも行為が過ぎたのか、遂には懲役刑を喰らい、三年ほど息子とは離れ離れになってしまった。
ムショ上がり、息子は何故か婦人警官を連れ立って帰ってきた。どうやら獄中で意気投合したらしい。婦人警官は妊娠三ヶ月だそうだ。
七十になると、息子は急に弱り始めた。
生気を失ったように、あまり立ち上がることが少なくなった。まるで古くなったゴムヒコーキのように、いくら巻いても飛びそうな気配は無い。
孫達が続々と見舞いに来たが、数が多すぎて名前が覚えきれず、部屋にも入れなくて予約制を取った。
八十。何とか生き長らえた息子も、旅の終わりを予感させる程に衰弱しきっていた。
ひ孫達も顔を見せ、意気投合したひ孫達が結婚したりと、家系図は既に訳が分からなくなっていた。
息子より先に死ぬ孫も居た。それも運命だ。
どうか安らかに眠ってほしい。
今日、生きていたら九十歳を迎える息子。
まともな写真を残してなかった息子の遺影は、よりによってあの時の物だ。
ピザにマントを翻し、黒塗りの股間を指差しては嬉しそうに笑っている。
今思えばあの時、ちゃんと叱っていればまた違う人生があったのかと思うと、少しだけ希望が湧くような気がしたが、それも後の祭りだろう。
時折三人の嫁達が代わる代わるで家に遊びにやってくる。もう玄孫の名前はどうでもいい。
ただ、眩しい笑顔がそこにあれば……。
「お婆ちゃん。ギネスだって」
「長寿130歳。世界一おめでとうございます」
今年で100歳になる天国の息子が、空箱を手に祝ってくれている気がした。手を伸ばせば届きそうな、ほんの少しだけ離れた場所で




