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9.デュナン邸の再建

式を終え、リオネルが正式にエリアーヌの夫になったところで、ふたりはジールを伴ってデュナン邸を訪れた。

「ラグランジュ侯爵様、その節はどうも」

突然現れたリオネルとエリアーヌにロバートは明らかに驚いていたが、侯爵相手では悪態をつくこともできず、大人しく屋敷に招き入れた。

「ご挨拶をと思いましてね」

リオネルは何でもない風に訪問の理由を述べた。

「挨拶?」

「えぇ。エリアーヌと結婚しましたので、その挨拶に伺いました」

「何?」

ロバートはリオネルの言葉に驚き、彼の後ろに控えていたエリアーヌを見た。リオネルはわざとエリアーヌの腰に腕を回し、その手を取って、新妻となった彼女を愛おしげに眺めてから言った。

「エリアーヌとの縁を結んで下さったロバート殿には感謝の言葉しかありませんね」

リオネルはわざとロバートをデュナン伯爵ではなく、その名前で呼んだ。デュナン伯の名は、デュナンの血を引くエリアーヌの夫となった自分にあると遠回しに言っているのだ。

「どういう意味でしょう?」

ロバートは固い表情でなんとか言葉を発した。それとは対照的にリオネルは優雅な物腰で応じる。

「言葉通りの意味ですよ。貴方が結婚の許しを下さったので、わたしはエリアーヌという素晴らしい女性を妻として迎えられたのです。それに謝意を示し、提案をしましょう」

リオネルの言葉を受けてエリアーヌが言った。

「ロバート様にはデュナン領に関わる執務をお願い致したく思います、ただしすべての決裁はわたくしにお任せ頂きます」

「なんだと?」

エリアーヌの提案にロバートは気色ばんだ。彼が怒りを現すのも無理はない、エリアーヌの提案は彼女の手となり足となって働くことを意味している。大の大人が社交界デビューも果たしていないような小娘の、しかも実の娘に、コキ使われるなど、到底承諾できる内容ではない。

しかしロバートの怒りはリオネルの予想の範疇であり、彼は涼しい顔で言った。

「不服ならこの屋敷から出ていって頂こう」

「それはあまりにも」

「当然だ、この屋敷はデュナン伯爵邸。その執務をしないのなら、貴公にはここに住む資格がない」

ここまではっきりと侯爵に言われては、さすがのロバートも反論はできず悔しそうな顔をしながらも、承知した、と返事をするしかなかった。相手の戦意が失われた気を逃さず、リオネルはさらなる提案をした。

「よければ貴公の愛人、デボラとかいったか、彼女を侯爵邸で預かって教育をしようか?」

ここでデボラの身柄を要求するということは、つまり人質だ。デュナン伯としての責務を果たさず、エリアーヌに危害を加えればデボラの命はない、と言ったも同然で、これには今まで顔色ひとつ変えなかったデボラでさえ、動揺を見せた。

「わたくしのような者が侯爵邸になど、恐れ多いことです」

「我が屋敷には平民の使用人も大勢いる、遠慮することはない」

デボラは平民ではあるが、伯爵の愛人だ。愛人をどう扱うかはそれぞれの家によるが、平民の使用人として扱うと言外に滲ませたリオネルの発言にふたりはどう返事をしていいか、考えているようだった。しかし、その沈黙を破ったのは、許可もなく部屋に入ってきたジョアンヌだった。

「ならば、わたくしが参ります」

「ジョアンヌ!」

デボラが悲鳴のような声をあげたが、ジョアンヌは動じるどころか、幾分の笑顔を見せて言った。

「行儀見習いとして、侯爵様のお屋敷で働かせて頂きたく思います」

確かに、ロバートへの見せしめとしての人質は愛人でなくても、その娘でも構わない。それにジョアンヌは平民の娘とは言え、デュナン伯爵邸に住まう人物であり、今後、貴族との接触がないとは言いきれない。ラグランジュ侯爵という高位貴族の許しもなく入室するという無作法を働くようでは、確かに教育は必要だ。

「いいだろう、ジョアンヌ嬢にお越し頂こうか」

リオネルはしばらく黙って考えをまとめたあと、そう宣言した。

「侯爵様、それは」

エリアーヌがリオネルに言い募る。エリアーヌを陥れたのはデボラとジョアンヌだ。だとしても、年端も行かない娘が人質として他家に送られるなど厳しすぎる処置だと思ったからだ。

リオネルはそんなエリアーヌの手を取り、その指先に口付けを落とし、

「大丈夫、心配しなくていいから」

と言った。異性からそんなふうに扱われたことのないエリアーヌはすっかり動揺してしまい反論できず、ジョアンヌが侯爵邸に行くことは決定事項となってしまった。

「数日後に侯爵邸から迎えの馬車を寄越す」

リオネルは、親子で別れを惜しむ時間くらいは与えるつもりでそう言ったのにジョアンヌは、

「この後はお屋敷に戻られるのですか?」

「そうだが」

「では同行させてください」

と、言った。侯爵に同行を願い出るなど、これまたとんでもない無作法だ。頭を抱えるエリアーヌとは対照的に、ジョアンヌははきはきと言葉を続けた。

「わたくしが未熟だということはよくわかっています、ですから、少しでも早く教えを請いたいのです」

と続けた。

「ジョアンヌ」

その殊勝な心がけにロバートは愛娘の名を呟き、その身をしっかりと抱きしめた。

「少しでも早く、お前を迎えにいけるように努力する」

「わたくしも、立派な淑女になれるよう頑張ります」

それにデボラも加わり、家族水入らずの光景にエリアーヌは白々しさを感じ、視線を逸らした先でリオネルと目が合った。彼は少し微笑んで、

「わたしたちも新婚なのだから暫しの別れを惜しもうか」

と言い、エリアーヌに向けて腕を広げて見せた。

ロバートへの引継ぎがあるエリアーヌは侯爵と共に屋敷に戻るわけではなく、彼の言う通り、それぞれの屋敷での生活となる。リオネルが腕を広げたのはエリアーヌから彼の腕の中に飛び込んでこいということで、エリアーヌはその意図を読み取り、少し顔を赤らめ、

「遠慮いたします」

と言った。リオネルは予めそれがわかっていたようで、残念だ、とだけ言った。


リオネルは侯爵邸の馬車に乗り込み、その後にジョアンヌが続いた。

「義姉様、ご心配なく」

ジョアンヌはエリアーヌの前で立ち止まり、わざわざそう言って馬車に乗り込んだ。それがどういう意味か、問う間もなく馬車は出発した。ジョアンヌの残した笑顔に不吉なものを感じたエリアーヌであった。


デュナン邸に戻ったエリアーヌはロバートへ執務を教えると共に、ジールと使用人の選別を行った。エリアーヌが屋敷を追い出されるキッカケとなったジョアンヌを大袈裟に擁護していたメイドはとっくに辞めていた。察するにデボラが金を払って雇った人物なのだろう。しかし、デボラとジョアンヌに心酔してしまった使用人も多く、また、ジョアンヌが自ら人質を名乗り出たことでますますその度合いが増した。この屋敷の実質的な主はエリアーヌとその夫であるリオネルであり、ロバートは執務を代行する管財人、つまりは使用人だ。デボラに至っては使用人の妻以外の何者でもなく、それ以上の扱いをさせるつもりはない。

リオネルに結婚を強要してまで取り戻した主導権を、また奪われるわけにはいかない。エリアーヌはジールと共に大幅な使用人の入れ替えをし、居残りを願う者は降格させた。


ふた月ほどして漸く、デュナン邸は落ち着きを取り戻した。

ロバートはエリアーヌの予測を遥かに上回る優秀さであった。そもそも彼はエリアーヌの母、オレリアと結婚した当初は真面目に執務に取り組んでいたのだ。勘を取り戻した彼は卒なく執務をこなし、エリアーヌの手元にあがってくる彼の作成した書類はよくできていた。

こうなるとデボラとの恋がなければ、立派にデュナン伯爵としての責務を果たしていたように思え、オレリアが無理を重ね、逝くこともなかったのかと思わないでもない。しかし、たられば論を語ったところで、故人が戻ることはなく、エリアーヌはその考えに蓋をした。


「奥様、お手紙が届いております」

「ありがとう、どなたからかしら」

エリアーヌは手元の書類に目を通しながら尋ねた。

「ラグランジュ侯爵様からと、あとはいくつかの商会からです」

リオネルの名に思わず顔をあげ、慌ててまた書類に視線を戻した。

「そう。後で読むわ、そこに置いてちょうだい」

「かしこまりました」

メイドはそれぞれの手紙の封をあけ、デスクの端に置くと部屋を出ていった。彼女が立ち去ってたっぷりと時間が経ってから、エリアーヌはいそいそとリオネルからの手紙をとりあげた。

エリアーヌがデュナン邸に住んでいる間、リオネルとはこうして手紙のやり取りをし、近況を報告し合っていた。今回の手紙には、社交シーズンに入る前に侯爵邸に戻って欲しい、ということが書いてあった。

『君に似合いそうなドレスを数枚用意したが、自分でも選びたいだろう?』

リオネルの美しい文字で綴られたそれは彼の美しい笑顔を思い出させ、エリアーヌも自然と笑顔になった。

執務はロバートに任せても問題はなさそうだ。もちろんジールというお目付け役と、ロバートの補佐としてエリアーヌ個人の管財人をこの屋敷に置いていく。

エリアーヌはリオネルへの返事に、近々、そちらに向かいます、と記した。

お読みいただきありがとうございます

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