6.侯爵邸でのもてなし
エリアーヌがメイドに案内された客室には、見るからに高価な調度品が設えてあり、恐らくこの屋敷の中で最も格式の高い部屋だった。アポイントもなく突然押しかけた、それも侯爵家より格下の令嬢が使っていい部屋ではなく、
「別のお部屋はございませんか?」
そう言うエリアーヌにメイドはにっこり微笑んで、
「旦那様のご命令ですから」
と取り合おうとはしない。おまけにエリアーヌの荷物はすでに運び込まれており、その半分ほどは荷解きが済んだ状態になっていた。
「お召し物はシワになるといけませんので、ご無礼を承知でクローゼットにかけさせて頂きました」
「わたくしは明日にはここを出ていきます」
エリアーヌの抗議にもメイドは、左様にございますか、と言い、聞いているのかいないのかわからない。
「あの」
エリアーヌが声を掛けたところでドアがノックされた。
「あぁ、支度が出来たようね」
彼女はそう言ってドアを開ける。そこには食事の乗ったカートを運んできた使用人が立っていた。
「まずはお食事をどうぞ。それが終わりましたら湯浴みにいたしましょう」
ふたりはテキパキとテーブルに食事を並べ、
「どうぞお召し上がりください」
と、エリアーヌをテーブルにつかせた。
それは侯爵家から金をだまし取った一族の者に対する待遇ではなく、豪華な食事を目の前にしたエリアーヌは途方に暮れてしまう。
そこで再び扉がノックされた。今度はメイドもエリアーヌの許可を待っており、彼女の予定した来客ではないということになる。
誰だろうと訝しく思いながらも、ドアを開けるようサラに言った。
「エリアーヌ嬢、食事は口に合いましたか?」
それは先ほどエリアーヌを置いて退室してしまったリオネルで、エリアーヌはますます困惑した。とはいえ、屋敷の主がわざわざ訪ねてきたのだから、淑女らしからぬ態度を取るべきではない。
「素敵なディナーまでご用意頂きまして、ありがとうございます」
立ち上がって礼を言おうとするエリアーヌを制した彼は、ワゴンを押したシリルを伴っていた。そのワゴンが部屋に入った途端、ラベンダーのいい香りが辺りに漂う。
「これは?」
テーブルの横に並べられたワゴンにエリアーヌは首をかしげ、リオネルはふいっと目を逸らすと、
「今夜はワインより温かい飲み物のほうがいいかと、用意させました」
と言った。それは怒っているようにも、そうでないようにも見えて、エリアーヌはどう返事をするのか正解かを悩んだが、結局、
「お気遣いいただきありがとうございます」
と、当たり障りのない言葉と少しの微笑みを添えて言った。
一瞬、リオネルがこちらを見たように思えたが、彼はまたもなにも言わずに部屋を出ていってしまった。
今度はなにがいけなかったのだろうと、エリアーヌは困惑したが、シリルもメイドも、気にしなくていい、と微笑むだけだった。
翌朝、目を覚ましたエリアーヌの目に一番に飛び込んできたのは豪華な絵画の描かれた天井だった。それはベッドの天蓋に描かれたもので、自分は今どこにいるのかと考え、ラグランジュ侯爵邸の客間だったと思い至るのとノックの音は同時であった。
「エリアーヌ様、起きておられますか?お部屋に入ってもよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
エリアーヌは軽く髪を整え、彼女を招き入れた。
「おはようございます、よく眠れましたか?」
「ありがとうございます、おかげさまでゆっくり休ませていただきました」
エリアーヌの言葉にメイドは微笑んでから、
「旦那様が朝食を共にと申しております、いかがいたしましょうか」
と言った。
侯爵の誘いを断れる立場の人間などこの世の中にはそういない。それはエリアーヌも例外ではなく、
「はい、喜んで」
と応じるしかなかった。
ダイニングにはすでにリオネルが待っており、エリアーヌは礼儀正しく挨拶をした。
「おはようございます、侯爵様」
「おはよう、エリアーヌ嬢」
エリアーヌが席に着くと給仕がされ、ふたりは食事を食べ始めた。
「今日はデュナン領へ行かれるのでしょう?」
「はい、そのつもりです。管財人に連絡を取って、伯母とも話をしなければなりません」
「そうですか、ではわたしもご一緒しましょう」
エリアーヌは、わかりました、と言いかけて、その発言に疑問を感じ、思わずリオネルを見た。エリアーヌの視線を受けた彼は彼女を見て、
「なにか問題でも?」
と言う。そう言われたらエリアーヌはうつむいて、いいえ、かしこまりました、と返事をするしかなかった。
外出の支度を整えたエリアーヌが屋敷の外に出てみると、そこには四頭曳の大きな馬車が用意されており、その傍には侯爵家の御者とエリアーヌをここまで連れてきたデュナン家の御者が並んで立っていた。
エリアーヌの姿を見たデュナンの御者は転がるように飛んできて、彼女の前で縮こまった。
「お嬢様、申し訳ございません。俺が間違っておりました!」
「間違っていたってどういういこと?」
「昨日、ここの使用人と話をしまして。おかしいのはお嬢様ではなく、その、デボラ様だと気が付いたんで、はい」
汗を拭いながらしどろもどろに言う御者は、エリアーヌをここに連れてくるときはとんでもなく恐ろしい顔をしていたのに、今は憑き物が落ちたかのように人のいい顔をしている。
彼は昨日、エリアーヌを送ってすぐデュナン邸へ帰ろうとしたが、侯爵邸の使用人たちに引き留められ、泊まることになったのだ。これはもちろんシリルの指示で、御者の証言からデュナン邸で起こった出来事を把握するためであった。
「へぇ、あのお嬢様がそんなひどいことを?」
最初は居心地悪そうにしていた御者であったが、少しばかりの酒を飲ませると舌が滑らかになった。聞き役である侯爵家の使用人の相槌に、御者は得意気に頷いている。
「あんな天使みたいな顔して、陰では酷い折檻してたっていうんだ。恐ろしいこったよ」
鼻息を荒くする御者に、聞き役は酒をついでやりながら聞いた。
「そいつは怖いなぁ。だが、折檻ってのは誰かが見たのかい?」
その言葉に御者は馬鹿にするように笑った。
「そんなもの、こっそりやるに決まってんだろ?」
「そうか、じゃぁ痕になっちまったんだなぁ」
「痕?」
「傷痕が残ってたから折檻されたってわかったんだろ?」
聞き役は、可哀相になぁ、と続けたが、御者は首をひねっている。
「いや、違う。湯浴みの後、デボラ様もジョアンヌ様も女中に体を確認させるんだ。いつだったかちっちゃなデキモノを見逃した若い女中がぶたれてさ。だからその仕事は当番にしたんだよ、みんな、ぶたれたくねぇから」
「でも折檻の傷ならメイドにはどうしようもないだろう」
「いや、だから傷はねぇんだよ。デボラ様にぶたれずに済んだって女たちは言ってた」
「折檻されたのに傷がねぇたぁ。不思議なこったね」
聞き役の言葉に御者は黙りこくってしまった。聞き役はさらに酒をつごうとしたが、彼はそれを断ると、もう寝る、とあてがわれた寝室に向かってしまったのだった。
一晩中、考えた御者は、折檻の話は全くのでたらめだったと結論付け、朝一番にエリアーヌに謝罪をしたのである。
人の良いエリアーヌは誤解が解けたことを素直に喜び、
「気にしてないわ、信じてくれてありがとう」
と言って微笑んだ。その背後にリオネルが立つ。
「侯爵様」
振り返ったエリアーヌにリオネルは手を差し出し、エスコートを申し出る。
「行きましょう、エリアーヌ嬢」
「はい、よろしくお願いいたします」
エリアーヌは恐る恐る彼の手に自分のそれを乗せた。紳士淑女のマナーとして互いに手袋はしていたが、薄い布越しでは体温が伝わってくる。それに落ち着かないエリアーヌではあったが、リオネルと共に馬車に乗り込み、デュナンの街に向けて出発した。
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