5.縁談の真相
クレール領のラグランジュ侯爵邸に着いたのはすっかり日が落ちてからであった。先ぶれもなく到着したにも関わらず、彼らはエリアーヌを温かく出迎えてくれた。
「デュナン伯爵令嬢ではありませんか。ようこそ、クレールへ」
ホールに駆けつけたのはラグランジュ侯爵の側近のシリルで、オレリアの葬儀に参列してくれた人物であった。
「シリル様、夜分遅くに突然の訪問、誠に申し訳ございません」
未だ喪に服す意味を示す黒いベールを身に着け、謝罪をするエリアーヌに彼は柔らかい笑みを見せた。
「お疲れでしょう、まずはこちらへ」
彼はエリアーヌをサロンへと案内し、主人を呼んでくると言って出て行った。入れ替わりに給仕のメイドがエリアーヌのためにお茶を用意するが、エリアーヌはそれを辞退した。
「お茶は結構です」
「ですが、お疲れではございませんか?」
「お招きもされず突然押しかけたのです、わたくしは侯爵様の客ではございません」
「それはわたしが決めること。貴女は間違いなく我が侯爵家の来客です」
声をかけられて振り向くと、そこには美しい黒髪にグレーがかった青い瞳を持った長身の男性が立っていた。
彼自身のセリフと彼の後ろでかしこまっているシリルの態度から、この男性がラグランジュ侯爵であると推測したエリアーヌはお辞儀をして口上を述べた。
「突然の訪問を申し訳ございません、デュナン伯が娘、エリアーヌと申します」
エリアーヌの挨拶に彼は、ようこそ、と彼女の手をとり、その指先に軽くキスをした。
社交界デビューをしていないエリアーヌが成人男性の挨拶を受けるのは初めてのことで、彼女は自身の顔が赤くなっていないか心配になった。
しかし彼はなんでもない顔でエリアーヌの手を取ったまま彼女をソファへとエスコートし、そこに座らせた。自らは彼女の右側のソファに座り、その後ろにシリルが立つ。
「貴女のことはデュナン伯爵から伺っています」
「では侯爵様とのお話は本当だったのですね?」
リオネルの言葉にエリアーヌは驚いた。本当のことなら、やはりあんな風に軽々しく朝食の席で話題にすることではなかったと思う。
「伯爵からはどのように聞かされたのですか?」
「父は、デュナンの隣領を治めるラグランジュ侯爵との婚姻が決まったと申しておりました」
それを聞いてリオネルは困ったような顔をして傍らに立つシリルと目くばせをしあった。その不自然なやり取りにエリアーヌは困惑する。
「あの、ロバートは侯爵様になにを申したのでしょうか」
不穏なものを感じたエリアーヌはふたりに尋ねた。父親のことを屋敷で呼んでいたようにロバートと称していたが、それを訂正する余裕すらない。いったいあの男はなにを言ったのだろう。
「それは」
リオネルはそれきり口をつぐんでしまい、側近もなにも言わない。そこでエリアーヌはソファから滑り降りるとその場にひれ伏した。
「あの者が侯爵様にご迷惑をおかけしたのでしたら、デュナンの名にかけてお詫び申し上げます。どうか内容を教えていただけないでしょうか」
「おやめなさい、エリアーヌ嬢。貴女が詫びることではない」
エリアーヌの行動にリオネルは少しばかり声を荒げて制したが、エリアーヌはその言葉尻を捕らえて言った。
「やはりお詫びしなければならないことがあるのですね?」
彼女の言葉にリオネルはハッとした。そこで控えていたシリルが口を開く。
「リオネル、お話ししましょう」
「だが」
「君が言わないなら、俺から言うけど?」
この二人は主従であると同時に幼なじみであり、親友だった。決断できないリオネルにシリルは友人としてアドバイスをし、それに後押しされて決心がついたのか、彼はつぶやくように言った。
「貴女は、借金のかたとして侯爵家に嫁ぐことになったのです」
「借金?」
エリアーヌのつぶやいた疑問に答えたのはシリルだった。
「正確には共同事業です。両領地をつなげる街道を整備する話になっており、その資金をいくらか融通したのです。我が領土側はそれなりに進んでいますが、デュナン領は整備する気配すらなく、それを指摘したところ、詫びとして貴女を寄越すと言っていました」
本当はそのあとに、侯爵様の好きにして構わない、なんなら娼館に売り払ってもいい、器量のいい娘だから高く売れるだろう、とまで言ったのだ。自分の娘にそのような暴言を吐くデュナン伯が許せず、リオネルは彼を殴り飛ばしてしまい、その夜はふたりそろって紳士クラブから追い出された。
「それは初耳です」
エリアーヌは驚きでそれ以上の言葉が出なかった。長年、領地管理をしていたのはオレリアで、そのあとを引き継いだのはエリアーヌ。ロバートに領地のことなど分かるわけもなく、それなのに彼は事もあろうかラグランジュ侯爵から金をだまし取ったのだ。
「失礼ですが、額をお聞きしてもよろしいでしょうか」
リオネルの言ったそれは確かにとんでもない金額ではあったが、エリアーヌが個人的に持っているすべての信託と三人の伯母にいくらかを融通してもらえば支払えない額ではなかった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした、お金はきちんとお返しいたします。父との約束通り、わたくしのことはいかようにもしてくださってかまいません」
今度はリオネルが驚く番だった。
「支払うと言っても当てはあるのですか?」
「わたくしの所有している信託の全てで大半は賄えますし、足りない分は母方の伯母たちにお願いしてみます。伯母たちはデュナンの人間ですから、きっと助けて下さいます」
それを聞いたふたりの男はまた目配せをし合う。
「あの、なにか問題が?」
「いいえ、ありません。だとしても、今日はもう遅い時間です。まずは体を休められてはいかがでしょう」
「そう致します、お時間を頂戴しましてありがとうございました。では明日、改めてお伺いいたします」
そうしてエリアーヌは立ち上がり、その場を辞そうとするがリオネルに止められる。
「今夜はどうするつもりですか?」
「近くの街で宿を取ります」
エリアーヌの返事にリオネルは首を振った。
「それは難しいでしょう、侯爵領は今、祭のシーズンで、どの宿もいっぱいですから」
今夜はここに泊まるといい、と言ったリオネルは鈴を鳴らしメイドを呼んだ。
「いけません。これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはまいりませんわ」
固辞するエリアーヌだったが、リオネルはそれを一瞥すると部屋を出て行ってしまい、ドアですれ違ったメイドになにやら指示をして立ち去った。
リオネルの機嫌を損ねてしまったのかと戸惑うエリアーヌであったが、シリルが苦笑いを浮かべて、気にしなくていい、と言い、メイドもエリアーヌに笑顔を見せて、お部屋へご案内いたします、と言った。
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