4.追放
いつものように書斎で仕事をしているエリアーヌの元にメイドがやってきた。
「お嬢様、お支度はいかがいたしましょうか」
今日は外出の用はなく、メイドの言っている意味が分からなかったエリアーヌは尋ねた。
「支度って何の?」
するとメイドは微笑んで、
「お嬢様のお輿入れですわ」
と言った。その言葉に驚いたエリアーヌは思わず声を荒げてしまう。
「誰から聞いたの。そんなでたらめ、誰が言いふらしているの?」
「でたらめなんて、いくらなんでも酷いですわ。ジョアンヌ様はお嬢様のお輿入れを大層お喜びでしたのに」
そこへ当のジョアンヌが飛び込んできた。
「ごめんなさい、わたし、お姉様がご結婚なさると聞いて舞い上がってしまって」
「ジョアンヌ」
エリアーヌが溜息交じりに彼女の名を呼ぶと、彼女はメイドを抱き寄せて大げさに言った。
「あぁ、お姉様、どうかお許しください。わたくしがすべて悪いのです」
その芝居がかった物言いに呆れるエリアーヌをよそにメイドも大声を上げる。
「お優しいジョアンヌ様を罰するなど、おやめください」
エリアーヌにはふたりの言っていることがさっぱり理解できなかった。勘違いしただけでいちいち使用人を罰していてはこの屋敷で働いてくれる使用人は誰もいなくなってしまう。いったい何を言っているのか。
「ふたりとも落ち着いて。わたしは誰も罰したりしないわ」
そこで人の気配を感じたエリアーヌはそちらに視線を送ると、ジョアンヌが開け放った扉の外には多くの使用人たちが集まっており、彼らは部屋の様子を伺っていた。
「あぁ、またエリアーヌ様から折檻をされるのか」
「なんておかわいそうなジョアンヌ様」
彼らは口々にそう言っていたが、エリアーヌにはそれすらも意味がわからなかった。そのとき勢いよく手を叩く音と威勢のいい声がした。
「さぁさぁ、みなさん。もう仕事にお戻りなさい」
それはデボラであり、使用人たちは、エリアーヌの目にも明らかなほど、彼女の登場に安堵していた。
「デボラ様、ジョアンヌ様が!」
「大丈夫、わたくしが取りなしますわ」
「でもデボラ様の身が危険です」
「ありがとう、わたしは平気よ。心配しないで」
デボラと使用人のやり取りは、これからデボラが強大な敵に立ち向かうことを暗示しており、それを案じる言葉であった。そして彼女が立ち向かうであろう敵というのは、
「エリアーヌ様」
彼女はエリアーヌが見たこともないような美しく妖艶な笑みを見せた。
ジョアンヌはメイドと共に部屋を出ており、今はその扉も閉められている。エリアーヌはデボラとふたりきりのこの空間に恐れを抱いた。
後から考えてもこれがいけなかったと思う。デボラはエリアーヌの恐れに漬け込むように、高圧的に言った。
「これはデュナン伯爵家の当主である我が夫が整えた縁談よ、あなたは従うしかないの。それとも家長に逆らうほど偉くなったとでも言うの?」
「正式な書面も取り交わしていないのですよ、侯爵様はお認めにならないわ」
「そんなこと、関係ないの」
「関係ないってどういう意味ですか?」
「あなたはここを出ていくしかないって言ってるの」
デボラはエリアーヌを値踏みするかのように見つめながら言った。
「あなたは本当に貴族のお嬢様なのね、だから下々の気持ちがわからない。わたしがちょっと悲しい顔をして泣いて見せたらこの屋敷の使用人はみーんな騙されてくれた。平民が貴族にいじめられるなんて話は日常茶飯事なのよ。
わたしは、意地悪で恐ろしいお嬢様に虐げられている可哀想な女。ジョアンヌはお嬢様の憂さ晴らしに虐待されている娘なの。
悪いけど、もうこの屋敷にあなたの味方なんて一人もいないわ。今頃、メイドたちはあなたの荷物を手当たり次第に詰め込んでるはず。大人しくここを出ていったほうが貴女のためだと、わたしはアドバイスをしているのよ」
あまりのことにどう反論していいかわからないエリアーヌの目の前で彼女は突然自らの衣服を乱し、髪をめちゃくちゃにし始めた。それに不吉な予感を抱いたエリアーヌは慌てて彼女に駆け寄り、その手をつかんで制止させようとした。
「なにをしようというの?」
「ふふ、決まってるでしょ」
デボラはにっこりと微笑んだ後、大声をあげた。
「エリアーヌ様、おやめください。どうか、どうかお許しください!」
彼女の悲鳴にドアの前で待機していたのであろう数人の使用人たちが一斉に飛び込んできた。エリアーヌは男性の使用人によってその場に組み敷かれ身動きが取れない。
「なにをするの、放して!」
声をあげるエリアーヌを無視して、数名のメイドはデボラを気遣っている。
「デボラ様、ご無事ですか?」
「お怪我はございませんか?」
デボラは小娘のように激しく泣きじゃくり、ちょうど帰宅したロバートがその声を聞きつけて駆け付けた。
それから後は悪夢でしかなかった。エリアーヌはそのまま馬車に押し込まれ、荷物と共に侯爵領へと向かって送り出されてしまったのだ。
「いいか、必ず侯爵邸に送り付けろ」
ロバートは御者にしつこく言い聞かせている。
「お父様、話を聞いてください!」
馬車の中から訴えるエリアーヌにロバートは冷たく言い放った。
「今更、娘の面をされても迷惑なだけだ」
絶句するエリアーヌの目にはメイドに縋りながらもこっそりとほくそ笑むデボラの顔がはっきりと見えたのだった。
デュナン領を駆けていく馬車の中で、エリアーヌはこの状況を冷静に分析していた。
自分がこのまま侯爵家に嫁ぐことになったら、この領地はどうなってしまうのだろうか。あの屋敷で領地管理ができそうな人物はエリアーヌ以外にはジールくらいしかいない。しかしそのジールも今は不在だ。
今思えば、彼はとっくの昔に追い出されていたのだろう。それに気づかなかった自分は間抜けだと思う。
デボラとジョアンヌはデュナン邸に入ったあの日から、エリアーヌに虐げられる母娘を演じていたのだろう。悔しいが彼女の言うとおりだ、生粋の貴族であるエリアーヌには平民である使用人たちが期待する姿を演じることはできなかった。
彼女の言う通り、あの屋敷に自分の味方は一人もいないのだ。今はおとなしく侯爵邸へ向かうしかない。そこで事情を話し、オレリアの三人の姉、エリアーヌにとっての伯母たちに連絡を取らせてもらうしかない。
「この領地だけは守ってみせるわ」
馬車の中から見える美しいデュナン領の景色に、エリアーヌは決意をかためた。
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