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12.王都への旅路

社交界シーズンの開幕に合わせて、エリアーヌは王都へと住まいを移すことになり、決裁権のいくつかをロバートへ移行することにした。王都から領地は少し距離がある、それに社交に忙しくなるであろうエリアーヌの決済を待っていては業務が滞る可能性があるからだ。

これはある一定の信頼をロバートに示したこととなり、それならばジョアンヌを人質としてこの屋敷に留め置く必要もない。しかし、ジョアンヌは一向に侯爵邸から出ていく気配はなく、それどころか、王都への同行を希望したのだった。


「リオネル様はお義姉様に遠慮して、わたくしを王都へ連れていくとは言い出せないようですの」

エリアーヌの部屋に突撃してきたジョアンヌは開口一番、そう言ったが、それは当然だろう。正妻のエリアーヌと愛人のジョアンヌが一つ屋根の下でともに生活している今の状況のほうがよっぽど異常だ。

エリアーヌは、社交の為という建前はあるが、要するにこの屋敷を追い出されて王都へ行くのだ。そのせいでデュナン領の執務も一部、ロバートに移管させられた。ジョアンヌはこれ以上エリアーヌからなにをむしり取ろうというのか。

「この屋敷の女主人は貴女のものになるのだから、それでいいでしょう?」

ジョアンヌは平民でありながら、実質上の侯爵邸の女主人となるのだ、もう充分だろう。

「わたくしもそれでいいと申しました、でもリオネル様が」

そこでジョアンヌは言葉を濁した。彼女を熱望しているのはリオネルだと言いたいのだろう。

「勝手にすればいいわ」

エリアーヌは話は終わりとばかりに、手元の書類に目を落としたが、ジョアンヌはなおも食い下がった。

「お義姉様からわたくしの同行をお願いしてくださいませんか?」

「何故?」

「夫の平穏を守るのも、妻の役割ではないですか?」

この言葉にはさすがのエリアーヌも黙ってはいられなかった。エリアーヌでは心が休まらない、と言われたも同然だからだ。

「ジョアンヌ!」

思わず大声をあげ、同時に鳴ったノックの音に我に返った。

返事をしないエリアーヌにジョアンヌは小さく言った。

「誰か来ましたよ?」

その顔は意地悪く歪んでいて、それがデュナン邸での苦い経験を思い起こさせた。

「どなた?」

「お茶をお持ちしましたが、いかがいたしましょうか」

それはメイドのひとりだったが、エリアーヌの怒鳴り声は聞こえてしまっただろう。そしてジョアンヌはデュナン邸での茶番と同じように、ありもしないエリアーヌの罪をでっちあげ、また彼女を屋敷から追い出すに違いない。

「必要ないわ、ありがとう」

エリアーヌはメイドの入室を許さなかった。メイドが立ち去ってからエリアーヌはジョアンヌに言った。

「わたくしから侯爵様にお勧めします」

エリアーヌの敗北宣言にジョアンヌはにっこりと微笑み、よろしくお願いしますね、と言った。


リオネルとの夕食の中で、エリアーヌはジョアンヌの王都行きを切り出した。

「侯爵様、ジョアンヌを王都に連れて行ってはいかがでしょうか」

エリアーヌの言葉にリオネルははじかれたように顔を上げ、驚きに満ちた顔で彼女を見ていた。

リオネルの様子にエリアーヌは呆れていた。素直に喜べばいいのに、正妻の怒りを買うことが怖いのだろうか。

「その必要はない」

リオネルは正妻への遠慮からそう言ったのだろうが、エリアーヌはこのやりとりすら面倒になっていた。すっと席を立ち、

「どうぞジョアンヌを同行させてください、わたくしは気にしませんから」

そう言って食堂を出て自分の執務室に籠ると、王都へと移る前に片づけなければならない仕事に専念した。


しかし、翌朝、ホールにジョアンヌの姿はなかった。王都へと向かう馬車も一台しか用意されていない。エリアーヌは勝手に、リオネルたちとは違う馬車に乗り込むつもりでいた為、これには戸惑った。

「侯爵様、ジョアンヌは」

エリアーヌが言い終わるより早く、リオネルが言った。

「連れて行かない」

その声色には明らかな不機嫌さがこもっており、エリアーヌはそれ以上言い募ることができなかった。

出発の時間となり、リオネルと共に馬車に乗り込んでもジョアンヌは姿を見せなかった。

「留守は頼んだ」

「デュナン領のことでなにかありましたら、お知らせください」

リオネルとエリアーヌはシリルに屋敷を任せ、王都へと出発した。


スピードの出る四頭立ての馬車でも王都は一日では着かない。その日は予め手配してあった宿に泊まることになった。

一日中馬車に揺られ、おまけに不機嫌なリオネルと狭い空間に閉じ込められ、エリアーヌはすっかり疲れ果ててしまった。

「エリアーヌ?」

エスコートの為、先に降りたリオネルはなかなか出てこないエリアーヌを怪訝に思い、中を覗き込んで声をかけた。

「すみません、侯爵様。わたくし、あとでまいります」

先にお部屋へどうぞ、と言ったが、リオネルは再び馬車に乗り込んできた。

「あの?」

リオネルはエリアーヌの隣に座ると言った。

「立てないのか?」

エリアーヌはうつむいて、疲れてしまって、と小さく言い訳をした。

「そうか」

リオネルはそう言ったかと思うと、エリアーヌを横抱きにし、そのまま馬車を降りた。

「侯爵様、少し休めば大丈夫ですから!」

慌てるエリアーヌにリオネルは涼しい顔で、おとなしくしていなさい、とだけ言った。


夕刻だけあって宿にはたくさんの客が到着しており、彼らが注目する中、リオネルはエリアーヌを抱いてそのまま客室へと向かった。恥ずかしさのあまりエリアーヌはうつむくことしかできず、それがまた余計に縋り付いているよう見え、宿屋の店員はその様子に顔を赤くしながらも、あの客の部屋には近づかないでおこう、と心に誓った。


リオネルはエリアーヌを抱いたまま部屋へと入り、彼女をそっとソファへと下ろした。

「大丈夫か?」

リオネルの発言にエリアーヌは大丈夫ではないと言いたかった。あんな風に突然、抱き上げられて平気な令嬢なんていない。と、そこまで考えて自分はリオネルの妻であることを思い出し、夫ならばあのように抱き上げるのは普通のことなのか、とも思った。

「お手数をおかけしまして、すみません」

エリアーヌの言葉にリオネルも謝罪をした。

「君のことを考慮すべきだった、すまない。明日はもう少しスピードを落とすように言っておく」」

「いつもこんなに早く移動されるのですか?」

「わたしは気にならないからな」

その言葉にエリアーヌは驚きつつも、

「早々に王都に入らなければなりませんわ。わたくしのことはお気になさらず」

と言った。しかしそれをリオネルが止める。

「シリルが王都よりずいぶん手前にもうひとつ宿を取ったんだ。わたしは必要ないと言ったんだが、ヤツにはわかっていたんだろう」

そう言って再度、すまなかった、と謝罪した。


翌日はゆったりとしたペースで馬車は進んでいった。

そこはもう侯爵領ではなく別の貴族の領地で、数えるほどしかデュナン領から出たことのないエリアーヌには目新しいものばかりであった。

街道に植えられている木々もその一つで、エリアーヌは休憩の際、その木に近寄って眺めた。それはとても背が高く、頭上の遥か上に大きな実と大きな葉が茂っている木だった。

「ヤシの木だよ」

リオネルはエリアーヌに近づきながら言った。

「図鑑では知っていましたが、本物は初めて見ました。とても大きいのですね」

「そうだな、幹は細いのに、背が高い」

その説明にエリアーヌは思わず、

「リオネル様みたいですね」

と笑った。そんなエリアーヌをリオネルは不躾な視線でじっと眺め、それにエリアーヌは自身の失態に気が付いた。

「申し訳ございません、お名前でお呼びするなど無作法でした」

「いや、いい」

「え?」

「そう呼んでほしい」

そう言ってリオネルは馬車のほうに体を向けた。

「夫婦なのだから、名前で呼び合うのが普通だろう」

エリアーヌから、ちらりと見えるリオネルの横顔が赤く見えたのは、気のせいだろうか。

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