11.リオネルの母
数台の馬車で構成された商隊がラグランジュ領の街に着いたのは、夕暮れ間近の時間であった。
「なんとか間に合ったな」
商隊のリーダーは宿屋の主人と会話をする。
「この時期に侯爵領へくるたぁ珍しいな」
「侯爵様からお声掛けを頂いてね。ほら、ついこないだご結婚されただろう?その奥様の為にいくつかドレスを仕立てるんだそうだ」
「へぇ?それなら王都で注文してくれりゃここまで来る手間が省けるだろうに」
「それがさ」
ここでリーダーは幾分声を落とし、それにつられて宿屋の主人もリーダーのほうへ耳を寄せた。
「奥様になられたご令嬢は、まだ社交界へのデビューもしてないらしい」
「そりゃまた」
そこで主人は言葉を切った。
貴族令嬢が年頃になると我先にとデビューすることは平民の間では有名だった。言葉は悪いが、彼女らは家や領地の為になる相手に身売りされていくのだ。令嬢のいる家はいち早くデビューさせ、適齢期を迎えるまで時間を掛けて相手を選別していくのだ。
だからエリアーヌのように結婚ができる年齢になっていてもデビューをしていない令嬢は珍しく、そうなるとデビューが出来ない理由のある令嬢、言わば、瑕疵のある令嬢として見られてしまい、ますます婚期が遅くなるのが常であった。
そんな令嬢と結婚した自領の長が心配になるが、それを口にすることは侯爵家を否定することと同義であり、リーダーが声量を落としたのも、主人が最後まで言わなかったのも、そういうことだった。
「それに大奥様もお召し物を新調なさるとお話を頂いたんでね、こうして大所帯で来たってわけさ」
暗くなってしまった雰囲気を覆すかのようにリーダーは底抜けに明るい声で言い、主人もそれに同調して笑いながら言った。
「そりゃいいな、せいぜいふっかけるこったね」
「そうさせてもらわぁ」
明るい笑い声が侯爵領の街に響く頃には、すっかり日が落ちていた。
朝食の席、エリアーヌはリオネルと共に食卓についていた。
「エリアーヌ」
リオネルの呼びかける声は堅く、それに気づいたエリアーヌは食事の手を止め、彼の方に顔を向け、はい、と応じた。
「仕立て屋が街に到着したと連絡が入った。君のドレスの他に、母も仕立てたいというのでお呼びしている」
エリアーヌはまだリオネルの両親と対面していなかった。この婚姻は急であったことが理由ではあるが、突然、侯爵夫人に収まったエリアーヌをリオネルの両親がどう思っているのか、不安はあった。それが顔に出ていたのだろう、リオネルは困ったような笑顔を見せ、
「心配はいらない、母はおおらかなひとだ。嫁が気に入らないと言って、つまらない嫌がらせをするようなひとではないよ」
と言った。自分がどんな顔をしていたかを指摘されたようでエリアーヌは恥ずかしくなり、うつむいた。
エリアーヌは侯爵家に来て、マナー教育を受けている。ラグランジュ侯爵家は紛れもなく高位貴族であり、その夫人ともなれば、より洗練された振る舞いを求められるのだ。自分の考えを顔に出さないことも課題のひとつであり、エリアーヌはジョアンヌのことも含めて、些細なことで顔色を変えないように努力していたが、義母の来訪に不安を見せてしまった。
「申し訳ございません」
エリアーヌはそういう意味で謝罪をし、リオネルはそれに対して首を振り、
「わたしたちは家族なのだから、わたしの前ではそのままのエリアーヌでいてほしい」
と、言った。思いがけない甘い言葉にエリアーヌはうろたえる。リオネルにはジョアンヌという存在がありながら、形だけの妻にこのようなことが言えるのだろうか。いや、ジョアンヌの言っていたことは全くのデタラメでリオネルはエリアーヌを好ましく思っているのかもしれない。
そんなことを考えたらつい、顔が赤くなってしまい、可愛らしい様子を見せるエリアーヌにリオネルも困っているようだった。
「それで、ジョアンヌ嬢のことだが」
リオネルは咳払いをして本来伝えたかった話題を口にし、エリアーヌもジョアンヌの名が出たことで居住まいを正し、甘い空気はあっという間に散霧した。
「腹立たしくはあるが、君の義妹であることは違いないのだから、母にはそのように紹介する」
「わかりました」
リオネルの母の来訪を聞き、エリアーヌがホールに向かうとそこにはリオネルと腕を組み、彼にぴったりと寄り添うジョアンヌがいた。上目遣いで可愛らしく首をかしげ、ブルーグレーの瞳を見上げる姿は男性なら誰もが心を奪われるのだろうか、リオネルの側近であるシリルも幾分顔を赤らめているかのように見えた。
その光景に一瞬、足を止めたエリアーヌであったが、マナー講師の教えに従って見てみぬふりをし、極めて優雅な足取りで寄り添うふたりに歩み寄った。
「エリアーヌ」
彼女に気づいたリオネルは慌ててジョアンヌを引き剥がし、そんなリオネルにジョアンヌは、ふふっ、と笑みをこぼした。
「これはジョアンヌが俺に」
そこで馬車が到着し、三人は姿勢を正した。
執事が扉を開け、リオネルは座席に座る夫人に手を差し出した。
「ようこそお越しくださいました、母上」
「久しいわね、リオネル」
リオネルとは対照的に透き通るようなプラチナブロンドの女性が姿を見せた。
「それで?どちらがあなたの奥さんかしら?」
ラグランジュ前侯爵夫人はリオネルの背後に居並ぶふたりの令嬢を面白そうな顔で眺めた。からかわれていることが分かったリオネルではあったが、大人しくエリアーヌを紹介した。
「妻のエリアーヌです」
「お初にお目にかかります、エリアーヌと申します」
エリアーヌはにこやかな微笑みと共に夫人に挨拶をし、夫人も笑顔で応じた。
「デュナンのお嬢さんね。初めまして、リオネルの母です。急なことで式もせずにごめんなさいね、落ち着いたらきちんと披露宴をさせますからね」
夫人の言葉にリオネルはバツが悪そうな顔をしている。
「もう一人のお嬢さんはどなたなの?」
「彼女はエリアーヌの妹です、行儀見習いの為に我が家で預かっています」
ジョアンヌははにかむ様な表情をしてみせた。それは恥じらうようにも見え、彼女の愛らしさが一層増している。ジョアンヌは計算してこの表情を作っており、マナー講師から急ぎ足で学んだエリアーヌの付け焼き刃な微笑みよりよっぽど、他者を引きつける魅力があった。
ジョアンヌの魅力がその場に充分に染み込んだところで、自己紹介の為、彼女は口を開いた。が。
「そう、お姉様をよく見習いなさいね」
ジョアンヌが言葉を発するより早く、夫人はそう言ってジョアンヌの話を打ち切った。
ジョアンヌと知り合ってまだ間もないエリアーヌではあったが、彼女にこんな扱いをする人物は初めてであった。誰もが、そう、エリアーヌを含めた誰もが、ジョアンヌの愛らしく無邪気な雰囲気に巻き取られてしまうのだ。
これはジョアンヌ自身も初めてだったのだろう、淑女のマナーも忘れ、扇で口元を隠すことも無くあんぐりと口を開けている。それはどうみても平民の娘で夫人は眉をひそめた。
「まだまだ教育が足りないようね」
高位貴族のこの言葉は、マナーを再教育しろ、ということであり、ここが社交の場であったのなら事実上の追放を意味する。
エリアーヌは謝罪を口にしかけたが、ジョアンヌの教育にエリアーヌはかかわってはいない。高位貴族はおいそれと謝罪をしてはならない。それが大きな政局へと発展する可能性もあるからだ。エリアーヌが、自らに関わりのないことで謝罪をするというミスを犯せば、エリアーヌの教育係であるマナー講師が注意を受け、悪くすれば彼女は職を失う。
「商人がたくさんの品物を用意しております、あまり待たせては可哀想ですわ」
エリアーヌは務めて明るい口調で新しい話題をふり、夫人も彼女の意図を汲んで、そうね、と応じた。
「では参りましょうか」
夫人の宣言にメイドが素早く、ご案内致します、と進み出て、夫人をその場から連れ出し、エリアーヌもそれに続いた。
廊下を曲がる瞬間、ホールに取り残された形のジョアンヌにちらりと視線を走らせれば、エリアーヌの予想通り、リオネルが彼女に寄り添って、慰めていた。
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