1.母の死と父の来訪
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デュナン伯爵令嬢エリアーヌが物心ついた頃には、父、ロバートの姿は屋敷になく、母のオレリアは執務室で仕事をしていることが普通だった。
母娘は普通、王都の町屋敷に住み、お茶や、観劇、買い物を楽しみ、執務は父親がこなすものだということを知ったのは、エリアーヌが随分大きくなってからのこと。そして、ロバートが屋敷にいないのは愛人宅に入り浸っているからだと知ったのは、オレリアが病に倒れてからのことだった。
オレリアは少しずつ、娘のエリアーヌに仕事を教えていた。その為、病床のオレリアに代わってエリアーヌが執務をすることはごく自然な流れであった。そのエリアーヌは支払処理を確認していて、覚えのない住所へ送られた商品の請求書に気が付いたのだった。
「ジール、この住所はなにかしら?」
エリアーヌは、デュナン家が所有する邸宅が、自身が住むこの屋敷以外にあるのだと思い、執事のジールに尋ねたのだが、返ってきたのは予想外の回答だった。
「そちらにはロバート様がお住まいです」
そう言われてから実父が存命であったことを思い出すあたり、エリアーヌが正常な家庭環境で育ったのではないと言い切れるだろう。
しかし、この屋敷からそれほど遠くない場所に住んでいるなら、一緒に住んだほうが効率がいいように思える。ということは住めない理由があるのだ。請求書の内容を注意深く確認する。それは仕立て屋からの請求書で品名はドレス数点の裁縫料。要するに、
「お父様には愛人がいたのね」
エリアーヌの言葉にジールは何も言わず、ただ黙って彼女を見つめていた。しかしその顔には明らかな苦悩の色が浮かんでおり、それだけでエリアーヌには充分に伝わった。
両親は政略結婚だった。それはオレリアの三人の姉(エリアーヌの伯母)の内のひとりが言っていた。
この国の法律では、女性は爵位を継ぐことはできない。そのため、末娘のオレリアは子爵家の三男だった父と婚姻したのだ。
あちらは商売を営んでおり、デュナン家と縁づくことで販路の拡大を狙った。もちろんデュナン家の目的は爵位を継げる成人男性である。しかしロバートには想う女性がいたようで、その仲を引き裂く形の婚姻になってしまったのだ。
伯母は、妹にすべてを押し付けてしまった、と詫びたが、オレリアは、領地と領民を守れたのだからよかった、と笑っていた。オレリアも伯母たちも、デュナン家の人々は皆、領地とそこに住まう領民を大事にしていた。それを見て育ってきたエリアーヌはいつか自分も、この愛すべき領地の為に政略結婚をするのだろうと感じていた。
ある冬の寒い夜、オレリアは旅立った。伯母たちや使用人に囲まれて、幸せな最期だったと思う。
オレリアが病みついていた期間は長く、その間にすっかり覚悟ができていたエリアーヌは涙を見せることもなく、葬儀やそれに伴う様々な手続きを淡々とすませた。
弔問客が去り、エリアーヌを心配して屋敷に留まっていた伯母たちの最後の一人も帰宅すると、それを見計らったかのように、ロバートと愛人のデボラ、それに娘のジョアンヌが屋敷にやってきたのだった。
執事のジールは、戸口に立ったロバートを屋敷の中にいれるべきか迷った。デュナン家の当主は実質エリアーヌでこの男は肩書を持っているだけに過ぎない。だとしても彼が戸籍上のデュナン伯爵であることは紛れもない事実で、ジールが仕えるべき主人であることもまた事実であった。
「さっさと中に入れろ」
数年ぶりに対面した主人はますます横柄になっていて、彼のその態度にジールの心は決まった。
「エリアーヌお嬢様に伺ってまいります、少々お待ちくださいませ」
「関係ない、今すぐ入れろ!」
使用人に逆らわれ、愛人とその娘の前で恥をかかされた形となったロバートは声を荒げる。
「ジール?なにかありましたか?」
誰か来たことは馬車が到着した音でわかっていた。いつもならジールがすぐに客の来訪を知らせにくるのに、それが遅かったことを怪訝に思ったエリアーヌがホールまで様子を見にやってきたのだった。
見知らぬ男性が不作法にもジールに掴みかかっている。エリアーヌはデュナン邸の主人として毅然とした態度でその男性の前に立った。
「その者がなにか無礼をしたのでしょうか?失礼ですが、どちら様でしょう」
ジールを睨みつけていた男は、その視線をそのままエリアーヌへと向けると、吐き捨てるように言った。
「母親が死んで少しは落ち込んでるかと思ったが、そういう可愛げのないところもあの女にそっくりだな」
彼の言っていることが理解できないエリアーヌは怪訝な顔をしたが、男は構わず続けた。
「俺はこの屋敷の主だ、俺がデュナン伯爵だ」
音信不通な父親との対面が穏便に済むはずがないことは予測していたが、このあまりのシチュエーションにエリアーヌは呆然とするしかなかった。
ロバートはその日から屋敷に住み着いた、いや、その言い方は正しくない。彼は確かにデュナン伯なのだから『帰ってきた』のだ。デュナン邸は主人が戻り、あるべき姿になるはずだった。そうならなかった理由は言わずもがな、愛人とその娘の存在があったからだ。
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