泥中
理想なんてくだらないね
子どもだった僕達は
美しいものに憧れた。
初恋は叶うもので
仕事に貴賎はなくて
皆が平等で笑い合える。
それから10年も経たぬというのに
恋に恋するあの娘に
望まれぬ子どもができたんだってさ
そこに愛なんてないというのに
トイレの冷たい便座に
産み殺されたその子は泣いたのかな
そんなことを気にするのはダサいから。
その子を無視して愛を確かめるんだ。
便座から助けを求める小さな腕を片目に
甘美な酒を飲み干すんだ。
さあ皆で泥に浸かろう
どこまで汚れられるか競争だ
どうせこの世は欲望の
流れのままに流される。
この泥遊びの中でなにが永遠に残るだろう。
この快楽の中で、誰が僕を覚えてくれるだろう。
この泥の中から咲いた蓮華の花を横目に
僕は沈んでいく。
情欲と性欲の渦中に飲まれた皆が羨ましくて
いつしか戻れなくなってしまった。
80年の人生を終えて
僕は神様にこう聞かれるんだ。
「あなたは何を残しましたか」
少し湿った泥まみれの体を見てうつむく。
稚拙な自由研究を提出する子どものように
己のこれまでを恥じながら。
ああ、あの温もりは僕に何をくれただろう。
その温もりの正体は取り込まれた人間だ。
この泥は名前も忘れられた愚かな人間だ。
それは人間と呼ぶには浅はかで、獣と呼ぶには卑しい。
快楽には対価がつきまとう。
僕の愛したあの子は、今では他の奴と楽しく愛し合ってる。
ねえ、君よ。
誰よりも楽しそうに泥に浸かる君よ。
君を心から愛した人はいましたか。
君が本当の愛を捧げた人はいましたか。
この寒空の中、僕は君でない人間と偽りの愛を求めあっている。
いつか泥に消えゆくその日まで僕は泡の如き快楽を積み上げるよ。
本当にこれでいいのか?