第四段 屍との遭遇
インターネットが無くなり半年後。世界は歪ながらも日常を取り戻していた。そんな中、山でキャンプをしていた橘は不思議な青年と邂逅する。青年の話に関心を持った橘だったが、段々と彼の本性に触れることとなった。
同人サークルAZURE BUG PARADEの短編連載企画、AZURE BUG "Super Short" PARADE「その日、世界からネットが消えた。」より、最終回は青塚わくらの作品、『第四段 屍との遭遇』をお楽しみください。
深い森の中で、一つの焚火が火の粉を散らしていた。
「はァ! はァ……! うまっ、うまい!」
焚火の前でカップラーメンを啜る青年。余程腹を空かせていたのか、熱々のスープまで一気に呷る。
「もっと落ち着いて食べた方がいいよ」
青年の向かいに座る橘京介は、焚火に小枝を焚べた。焚火はパチパチと音を立てながら、一層強い炎を巻き上げる。
「ぷはっ! いやー、生き返りました」
青年は息を吐きながら、容器から唇を離す。彼の頬にあるニキビの跡が炎に照らされた。
青年の靴の底はすり減り、傍らにあるリュックは水風船のように膨れている。それを見れば、彼がどれだけの旅路を歩んで来たかが分かった。
京介と青年が出会ったのは数分前。
京介が国道から外れた山中で野宿をしていると、草木が擦れる音がした。警戒して京介はナイフを握る。すると、青年が倒れ込んで来たのだ。
京介は不審に思ったが、青年が空腹であることはすぐに分かった。京介が食料のカップラーメンを与え、今に至る。
「本っ当に助かりました。ありがとうございます」
「いやいや、当然のことをしたまでだよ」
座ったまま深々と頭を下げる青年に、京介は顔をあげさせる。
「よく言うじゃないか、『情けは人の為ならず』って。僕はあの言葉が好きでね」
「……あれは確か、情けは人の為にならないという意味では?」
青年は不思議そうに眉を顰める。
京介は耳慣れた問いかけに頬を緩ませた。
「いやいや、あれはよくある誤用ですよ。本来は、人に情けをかけると、巡り巡って自分に返ってくるという意味だね」
京介は昔からこのことわざが好きだったが、“こんな時勢”になってより意識するようになった。
「あの、僕が言うのも変なんですけど、えっと……、オジサン、いや、貴方は……」
「橘京介と言います。呼びやすい名前で呼んでください」
京介はオジサンという呼び方に少し違和感を覚えた。だが、向かいの青年は見た目からして二十代後半。京介と親子でもおかしくない若さだ。そう呼びたくなるのも仕方ないだろう。
「じゃあ、橘さん……」と青年は呟き、一度口に溜まった唾を飲み込む。
「橘さんは、どうしてこんな山奥にいるんですか?」
こんな山奥に、初老の男が一人。不思議に思われて当然だ。
京介は背後にあるバイクとテントを指し、照れ臭そうに笑った。
「所謂、旅人と言うやつです」
「それは“あの件”以前から……?」
「いやぁ、僕はそんな大胆な人間じゃないよ」
“あの件”と言えば一つしかない。
半年前に世界中からインターネットが消えた事件の事だ。
京介ははるか昔の事を思い出すように、額へ手を当てた。
「僕は元々一般企業に勤めていてね。そんな大手じゃなかったんだけど、割と高い役職だった。でもねぇ、ネットが無くなったら、仕事も一緒に無くなっちゃってね」
インターネットは、小さなものから大きなものまであらゆる物を道連れにしていった。京介のように仕事を無くした者もいれば、命ごと持っていかれた者もいる。
治安は著しく低下し、暴動が起きた地域も少なくない。今では自警団や警察によって鎮圧されたが、京介自身、一時期はこの世の終わりを覚悟した。
「仕事を探そうにも、あてはないし。逆にこれはいい機会なんじゃないかと思ってね。いつかしたいと思ってたバイクの旅を始めたんだ」
「そう……だったんですね」
青年は申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「いやいや、そんな顔はしないでくれよ。僕は今の生活が楽しいんだ」
「え?」
「君みたいにネットが子供の頃からあった人とは違って、僕みたいなのは元々無かった技術だからね。昔の生活に戻ったみたいで、慣れてしまえば楽しいもんだよ」
インターネットという世界の器が無くなり、あらゆる物が崩壊したが、国としてのシステムは一応動いている。
国際関係は続いていると聞くし、電気や水道は通っている。本数こそ減ったが電車やバスだって動いている。きっと、京介の知らない所で何千何万という人間が支えてくれているのだろう。人類の進歩という面では何歩も戻されたが、世界は前進している。
少なくとも京介のような初老の男が、一人でバイクの旅ができる程度には平和だ。
「君は、どうなんだい? どうして、こんな夜道を徒歩で?」
京介が言えた事でもないが、夜の山は危険だ。
野生動物は出るし、不審者だっているかもしれない。京介が護身用にナイフを持ち歩く理由もそれだ。
道路が通っているとは言え、明かりも無しに歩いて登るのは現実的ではない。
「実は……」
青年は恥ずかしそうに頭を搔く。
「彼女に逢いに行く途中なんです」
「ほう!」
京介は年甲斐も無く、黄色い声を出した。
京介の中で一つの仮説が立てられる。きっと、この青年は遠距離恋愛をしているガールフレンドに逢いに行く途中なのだろう。そう考えれば、彼のボロボロの風体も、倒れるまで歩き続ける根気も納得がいった。
全ては愛のなせる技なのだ。
京介は何だか嬉しい気持ちになった。やはり、『情けは人の為ならず』なのだ。
「なるほど。その彼女さんはどんな方なんだい?」
京介は頬を緩ませたまま尋ねる。
なんなら、彼女のもとまでバイクで乗せて行くと提案しそうだった。
青年はスマートフォンを取り出し、画面を京介に見せる。半年前までは現代文明の結晶だったそれも、今ではただのカメラに近い。
「こ、この娘です」
画面には、二十代前半位の可愛らしい女性が映っていた。肩で揃えた茶髪と、長いまつ毛が特徴的で、何処かのタレントだと説明されれば信じてしまいそうだ。
「可愛らしい子じゃないか」
「ありがとうございます……」
京介が率直な感想を言うと、青年は嬉しそうにスマホの彼女へ視線を送る。
「幼なじみとかかな。せっかくだし、出会いから聞かせてほしい」
「なんか、恥ずかしいんですけど……」
青年は困った顔で笑ったが、口を止めない。
「ネットで偶然、彼女の画像を見かけたんです」
「……なるほど?」
京介からするとよく分からない出会いだったが、むしろ、その出会いからどうして彼女になったのか気になるところだ。
「一目惚れでした。彼女、“アイリ”っていう名前でSNSをやっていて、自撮り上げたり、配信もしてたりしてたんです」
耳慣れない言葉が続き、京介は眉を顰める。
「それで―――」
「ちょ、ちょっと待ってくれないかな」
口早に語る青年を、京介が止めた。
「確認させて欲しいんだけど、君はこのアイリさんと実際に会ったことはあるのかい?」
「ありません」
青年は即答した。何を今更と言った顔だ。
「でも、何度かリプ……文字でやり取りはしました」
「じゃあ、君のことはちゃんと認知しているのかい?」
「してますよ!僕の発言には他の人より反応してくれるし、僕が配信に行くと、喜んでくれるんですよ!」
夜の森に青年の声が響いた。
京介には分からなかった。自分が古い人間なだけで、若者の恋愛というものはこれが当然なのかもしれない。
「そ、そうなんだね。気を悪くしないでほしいんだけど、それは一般的には付き合っているとは言わないんじゃないかな?」
「確かに、一般的には彼女にならないかもしれません。でも、アイリちゃんは間違いなく僕を好きです。告白すれば絶対付き合ってくれます」
京介は不思議な恐怖を抱いていた。まるで、足の付かない夜の海に浮かんでいるような、得体の知れない恐怖だ。目の前にいるそれは、先程美味そうにカップラーメンを食べていた青年とまるで別物に思えた。
京介は話を逸らす。
「しかし、彼女の家は教えてもらっているのかい?」
「いえ、アイリちゃんは住所非公開です。でも、僕は分かります」
青年は再びスマホを京介へ見せる。
急に腕を自分へ向けられ、京介は少なからず警戒心を抱いてしまった。
「これ、分かりますか?」
青年が指さしたのは、アイリが映る写真の背景だった。とても小さくだが、三本のタワーらしきものが見える。
「なんなんだい? これは」
「特徴的な建物だと思いませんか? これ、H市にある浄岩タワーって言われるものなんです。
この画像に着いていた文章からして、写真の場所はアイリちゃんの家の近くになります」
「でも、今はネットが使えないじゃないか。ネットの彼女なんだろう?」
「アイリちゃんの画像や動画は全部保存してありますから! この状況でも僕は見れます!」
青年は自慢げにスマホを操作し、画像の一覧を見せてくる。そこには、正方形に区切られたアイリの画像が無数に連なっていた。
愛の結晶とも呼べるその絵面に、京介は口を固く結んだ。
「大変でしたよ! なんたってネットが使えないんですから。地図をいくつも広げて、浄岩タワーが見える場所を、アイリちゃんの家を特定したんです!」
青年は自慢げに自らの偉業を語る。
京介は万が一の為に、ナイフの入ったポケットへ手を伸ばした。
「それで……、彼女に逢いに行くために、こうして山を歩いていると?」
「そうです。最初は電車で向かっていたんですけど、危ない方々にお金を取られてしまいまして……。それでも僕は諦めずにこうして歩いてるんです!」
もう京介は何も言えなかった。
「アイリちゃんは一人暮らしなんです。きっと、今も一人で怯えている。も、もしかしたら悪漢に襲われているかもしれない。僕しかいないんですよぉ、アイリちゃんを助けられるのは。この世界で僕しか!」
青年は語気を強めると、何か思い出したようにリュックを手に取り、立ち上がった。
「カップラーメン、ありがとうございました。何も返せませんが、この恩は絶対に忘れません」
「もう……、行くのか?」
青年が立ち上がり、京介は背後で握っていたナイフを離した。
「はい。こうしている間にも、アイリちゃんが待っていますから」
それでは、と再び夜の山を青年は歩み出そうとする。
「最後に一つだけ聞かせてほしい」
京介は青年を呼び止めた。
「もしも、もしもの話なんだけど」
念入りに仮定の話であることを強調する、京介。
「もし、その子に拒否されたら、君はどうするんだ?」
青年は立ち止まり、無言になる。振り返った彼の顔が半分だけ焚火に照らされた。
「どうでしょう。考えたくもありませんが……死んでしまうかもしれません」
そう言って、青年は夜闇に消えていった。
残された京介は焚火を見つめ、『情けは人の為ならず』はあれで本当に正しかったのかと不安に思った。
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