第一段 色欲の屍
田舎に住む高校生の一と玄樹はインターネット喪失により、エロの供給が絶たれてしまう。
一切の娯楽が無く、ワンピースに麦わら帽子の幼馴染もいなければ、ミステリアスなお姉さんもいない地獄で、高校生二人はエロ本を求めて裏山へ向かうのだった。
(執筆者:蒼塚やまい)
俺―――九条一くじょうはじめの住む麻生あそう村はドの付く田舎である。
あるのは広大な田圃と、それを区切る道路だけ。信号も無ければ、最寄り駅に駅員もいない。そもそも住んでる人間の大半が、還暦のちゃんちゃんこを着たことも忘れているような層だ。
そんな村には当然娯楽もない。夏休みも後半に入った八月二十日の昼前だというのに、俺はエアコンの効いた自室で寝息をたてていた。
だが、玄関から響いてくる怒号が俺を安眠を妨害する。
「一! 起きろ! はじめぇ!!」
玄関の引き戸を叩きながら喚くのは、俺の唯一の同級生にして幼馴染の波原玄樹なみはらげんきである。
俺は苛立ちながら布団から出て、玄関の戸を開けた。そこには、汗の粒を全身に付けた玄樹が、何故かデスクトップパソコンを抱えて立っていた。
「……何だよ」
寝起きの俺は露骨に眉を顰めた。
「お前のパソコン、使えるかぁ!?」
「はぁ?」
訳が分からない問いかけに、俺は口を大きく開けてしまった。
玄樹は俺の返事を待たずに家に入ってくると、俺の自室へ歩き出した。
「おい、何だよ急に」
「お前のパソコン貸してもらうぞ?!」
玄樹は勝手に俺の部屋へ入ると持っていたパソコンを畳に起き、俺のノートパソコンの電源を入れた。
幼馴染とは言え、プライバシーの塊であるパソコンを勝手に触られるのは嫌なものだ。俺は慌てて玄樹をパソコンから剥がそうとする。
「何する気だ!」
「ちょっと確かめさせてもらう」
「やめろよォ! 昨日使ってから履歴消してないんだからさぁ!」
「お前が昨日何をオカズにしたかなんてどうだっていいんだよ!」
そう玄樹が叫び、俺を振り払う。彼はその隙にすかさず検索アプリをクリックした。
もうダメだ、俺の履歴が、性癖がバレてしまう!と死を覚悟した。
「やっぱりお前のところもか……」
だが、玄樹はそう吐き捨てるだけで、落胆したように膝から崩れ落ちた。
俺は畳から起き上がり、パソコンのモニターを覗き込む。そこには、「インターネットに接続されていない」という内容のエラー文が表示されていた。
「あれ、おかしいな。昨日は見れたんだが。接続不良か?」
「多分、違う。……俺の家も今朝から使えなくなってる」
「じゃあ、この村全体で接続不良か?」
「いや……、多分そんな狭い範囲の問題じゃない」
『現在、世界中で起きているインターネットの接続不良は、いまだ原因が分かっていません。番組の予定を変更して引き続きニュースをお送りいたします』
テレビの向こうで、アナウンサーが口早に話している。その後ろでは、番組スタッフ達が慌ただしく走り回っていた。
画面の左上に表示された“緊急放送”の表示。どれだけチャンネルを変えても、代わり映えしない内容。それを見れば、今の状況がどれだけ緊急事態なのか分かった。
「……まじ?」
俺は現実が受け入れられず、半笑いで玄樹に尋ねる。
「マジもなにも、現に使えなくなってるだろ」
「でも、テレビは映ってるじゃないか!」
「そんなもん! 俺が! 知るわけないだろぉ!」
息を荒らげながら俺達は声を張り上げた。
テレビの向こうにいる大人達ですら状況を把握できていないのだ。田舎の高校生二人が理解できるはずがない。
俺は自らを落ち着かせようと息を吐いた。
「一旦落ち着こう。こういう時は情報収集からだ。適当なニュースサイトを漁ろう」
「ネットが使えないんだから見れないだろ」
「……それもそうだな。じゃあ、TwitterとかYouTubeで何かしらの情報を―――」
「それもネットが無いんだから使えない」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ。ネットが無かった頃はどうやって物ごと調べてたんだよぉ!」
「知るわけないだろ! 図書館で調べたりしたんじゃないのか?!」
「ここから図書館なんて電車でも二時間掛かるわ、馬鹿にしてんのか!?」
あまりの事態に俺達は些細な事でキレるようになってしまった。
娯楽が一切ない麻生村において、インターネットは俺達の生命線である。ネットがあったからこそ、人間らしい生活が送れている。しかし、それも無くなれば、この村は人間の住む場所ではなくなってしまう。
一頻り怒鳴り合うと、テレビの中で専門家らしき人物が現れた。急に呼び出された為か、着ているスーツにシワが目立つ。
『専門家の城場智じょうばさとし先生にお越しいただきました。先生、何故突然インターネットが消えてしまったのでしょうか?』
『正直私にも分かりませんよ。世界規模でこんな事が起きるのは初めてのことですから。考えられる可能性として大規模なテロでしょうか。しかし、現状犯行声明も公開されていないし、そもそもメリットが無さすぎる。全く検討もつきません』
専門家は半ばヤケになった様子で肩を竦めてみせた。
『では、この接続不良はいつまで続くのでしょうか?』
『原因が分からないんですから、それも分かりませんよ』
『つまり、一生このままネットが使えなくなる、という可能性もあるということでしょうか?』
『可能性はありますね。なんたって、原因が分かりませんから』
本当にコイツは専門家なのかと首を傾げてしまう適当さだった。
リモコンを持っていた玄樹がテレビの電源を切る。
「俺、とんでもない事に気付いちゃった」
「……なんだよ」
正直言うと聞きたくは無かった。彼が何を言おうとしているのか、なんとなく分かったからだ。
「俺達、これからどうやって性欲を満たせばいいんだ?
「……」
俺は何も言えなかった。その重大すぎる事実の解決法が思いつかなかったのだ。
俺は耐えきれずに泣いた。玄樹も泣いた。
二人の鼻をすする音は、山々から響く蝉の音に掻き消された。
「玄樹……今何してる?」
悲しむ涙も枯れた頃、俺達は、大広間で大の字になって寝転がっていた。
「ずっと息止めてた」
幼馴染はあまりの絶望で、自殺を図っていたらしい。
「死ねたら教えてくれ、俺も試すから」
「おう」
それからまた沈黙が流れる。
高校生二人が頑張ってもネットを元に戻せるはずがないし、かと言って他にやることもないし、親の農作業を手伝うとか死んでも嫌だし……。こうして、何もせず天井の染みを数えることにした。
しばらくして玄樹が起き上がった。
「風呂借りてもいい?」
「何に使うんだ」
「太宰治の死因って知ってる?」
「入水自殺だっけ」
「そう。だから風呂借りるぞ」
玄樹は返事を待たずに、風呂場へ行こうとするので、俺は寝たまま彼の足首を掴んだ。
「やめとけよ。愛人も無しに、男一人風呂場で溺死って虚しすぎるぞ」
「だったら……、だったら!」
両拳を強く握って、玄樹は声を震わせる。
「だったらどうしろって言うんだ! 俺達はもう一生エロ動画やエロ画像を見れないかもしれないんだぞ!? こんな世界生きていられるか!」
玄樹の言うことはもっともだ。俺が何も言えないでいると、彼は口を止めずに話し続けた。
「俺達はインターネットしか無かったんだよ……。幼馴染の女の子はいない、俺を兄のように慕う後輩もいないし、怪しい色気のあるお姉さんもいない。未成年は俺とお前だけ。この村には興奮する材料が無いんだよ!」
玄樹はまた涙を流しながら、膝を折った。その背中はまるで、甲子園球場で砂を集める球児のような哀愁があった。
この村には本当に何も無い。白いワンピースに麦わら帽子の女の子と遭遇する事は無いし、夏祭りで浴衣を着た女の子にドキッとする事も無い。性欲で気が狂っていた中学の頃は、いっそ片方が女装すれば万事解決するのでは? という暴論が真剣に考えられていたくらいだ。
その時、俺はふと思い出した。俺達は生まれた時からインターネットがあった世代だ。しかし、自由に使えるようになったのは高校に入ってからである。―――つまり、俺達にもあったはずなのだ。ネットを使わずに性欲を満たしていた時代が。
「ぐぎ、ぐぎぎぎぎ……ッ」
俺は頭を抱えながら、当時の事を思い出そうとする。ネットに飼い慣らされて工夫する事をやめた脳味噌を必死に回そうとした。
俺が急に妙な声を上げるものだから、玄樹が「ついにイカれてしまったか」と同情の目を向けてくる。
「そ、そうだ」
俺は畳から起き上がり、自室へと廊下を走った。
自室の押し入れを開け、ガラクタを乱雑に取り出していく。たしか、親に見つからないよう奥に隠したはずである。
「どうした急に」
玄樹が心配げに自室へやってきた。俺はちょうどそのタイミングで目当ての物を見つけ、床にそれを広げる。
それは模造紙に書かれたこの村の地図だった。
玄樹は目を見張る。
「懐かしいな。取ってたのか?」
「おうよ。今こそこれを使う時だ」
その地図は俺と玄樹が中学の頃に作ったものだ。
小学生の頃より、この村には時折エロ本が落ちていることがあった。一体どこから調達されているものなのか、誰が落としているものなのかはいまだに分からないが、だいたい一ヶ月に一冊、村の何処かで発見された。
そのエロ本を俺達は「神の施し」、「天からの恵み」と呼び、時には祭壇で奉り、時には貢物を用意し、感謝しながらそのエロ本で性欲を満たしていた。
そして、俺達二人は常日頃から溢れる性欲を動力にエロ本を探し回り、その落ちていた場所をこのお手製の地図に記入していたのだ。ちなみにその時集めていたエロ本は、中学を卒業するタイミングで全て燃やした。パソコンとスマホが手に入ったこともあるが、何より親に見つかると恥ずかしいので証拠隠滅をしたという要因が大きい。この地図は、「野生動物を見かけた場所」とでも言えば言い訳がつくので取っておいたのだ。
「もう一度探そう、エロ本を。今こそ、性欲の獣だった頃に戻るべきなんだ」
「性欲の獣だった頃……」
玄樹はそう呟くと、自らの手のひらを見つめる。そして、決心したように強く握りしめた。
「やろう、一! 貪欲だった俺達を取り戻そう! 俺達にはもうこれしかない」
俺達は、ネットに矯正された牙を研ぎ直すことにした。
エロ本を探しに行く時の正装をご存知だろうか。
答えを言うと、そんなものは無い。性欲とはいつ爆発するものか分からないからだ。エロ本を探しに行きたくなった時にしていた格好が正装である。
というわけで俺達は普段着のまま、エロ本が最も落ちているとされる、“おむすび山”(山の外形が握り飯のようだからそう呼んでいる)へ足早に向かっていた。
「……見つからなかったらどうする?」
「見つかるまで探すだけだろ」
不安を漏らす玄樹に、俺は自らの決意を口に出した。
「なーばーしーねー」
不意に背後から奇妙な鳴き声が聞こえてきた。
振り返れば、この村一番のご長寿―――竹島のばあちゃんが、手押し車を押しながら話しかけていた。
「面倒臭いのに見つかった……」
「無視するとついてくるんだよな」
俺達はおむすび山に行きたい気持ちを抑えて、仕方なく立ち止まった。
「ばあちゃん、悪いけど緊急事態なんだよ。用なら後にしてくれない?」
「なーばーねー」
竹島のばあちゃんは、村一番のお年寄りということもあり、歯は前歯の一本しか残っていないし、彼女の喋る言葉は通称“竹婆語”とされ、この村の人間じゃないと聞き取れない。時おり、俺でも何を言っているのか分からないくらいだ。多分、今のは「なにしてるんだ?」と聞いているのだろう。
「何でもいいだろ。ちょっと山に用事があるんだよ」
「なーばーねー」
多分今のは、「何の用で?」と言っているのだろう。全く同じに聞こえるが、微妙にイントネーションが違う。
「なんだっていいだろ。じゃあ、俺達もう行くから」
早々に話を切り上げ、俺達は走り出した。
背後から婆ちゃんが何事か喚いているが、もう知ったことでは無い。早急にエロ本を手に入れるという使命の前には全てがどうだっていい。
「今、婆ちゃんなんて言ってた?」
「『クマがどうの』って言ってた気がするけど、正直分からん」
竹島の婆ちゃんは俺達が物心ついた頃からあんな感じで、当時から村一番の年寄りだ。村の誰かの葬儀がある度に、「次は竹島さんのおばあちゃんかしら」と心配されてきたが、それを嘲笑うかのように生きながらえている。
「実は妖怪なんじゃないか」、「他の年寄りに薬を盛って村一番のご長寿の座を死守しているんじゃないか」などの噂が流れているが、真実は分からない。ちなみにどれも俺達が勝手に話している噂だ。
おむすび山の麓に辿り着いた俺達は、その頂きを見上げた。地図のデータからすれば、この山の中にエロ本があるはずだ。
「行くぞ、玄樹」
「あぁ、必ず見つけ出すぞ」
俺達は山道へ足を踏み入れた。
「思ったんだが、この村やっぱりおかしいよな」
山道を登りながら背後の玄樹が呟く。
「ネットが無くなって騒いでるの俺達だけだぜ? 皆当然のように農作業してる。本当にここは現代かよ」
「……本当にネットが無くなったままなら、どこもこうなるんじゃないか?」
そんな世界を想像したのか、玄樹は嫌そうに舌を出した。
「だとしたら俺は死ぬね」
山の中腹までやってきた俺達は、足元を熱心に見回し始めた。昔はこの辺りによくエロ本が落ちていたのだ。
「玄樹はどういう系が欲しいんだ?」
「今ならなんでもいい。婦人向けの下着カタログとかでもいい」
流石に貪欲すぎやしないかと思ったが、今の俺達にはそれすらお宝だ。
俺は下半身に意識を集中させ、股間をダウジングのように扱う。この近くにエロ本があると
俺の勘が言っていた。
「近いな……」
獣を追跡するハンターのようなことを言いながら、俺達は獣道を進んでいく。村育ちの俺達だからできる芸当だ。
未知なるエロ本への期待で俺達の股間は最高潮の盛り上がりを見せている。
「見ろ、アレを!」
玄樹が俺の肩を揺さぶる。
彼が指した先には、肌色面積の高い表紙の本。
俺達は前のめりになりながらその本へ飛びついた。一瞬取り合いになったが、すぐにその無益な争いは終わり、二人仲良く本を開く。
雨風に蝕まれ、ゴワゴワになったページを慎重に開く。そこには、肌をさらけ出した女性の体躯があった。
「おぉ! おお!!」
「おおお!おぉ!」
俺達は動物のように感情をそのまま声に出す。
局部が布で隠され、ネットでもっと過激なものは見てきたが、それでも最高に唆るものだった。
「この調子だ。このまま二冊三冊と見つけていくぞ!」
俺達は再び股間に意識を集中させ、次なるエロ本を探し始める。
しかし、股間にばかり気を使いすぎたせいか、背後から近づいて来る影に気付けなかった。
ドンっと前足の地面を踏みつける音。
振り返れば、体長二メートルはあろう巨大なクマが俺たちの前に現れたのだ。
あまりの迫力に息が止まった。この辺りでクマが出るのは珍しくない。一年に一度はある恒例のイベントだ。去り際に竹島さんの婆ちゃんが喚いたのはこの事だったのか。
しかし、俺は勇気を胸にクマを睨み付けた。奴の目的は分かっている。俺達が持つエロ本だ。
クマもきっとインターネットが無くなったせいで性欲の捌け口に困っているのだ。
「これは俺達のだっ!」
「分かったら立ち去れっ!」
玄樹も俺と同じように考えたのか、クマに抗議する。野生の世界において皆で仲良く分けるなんて選択肢は無い。
クマは俺達の言葉を理解できない様子で、前足を掲げて威嚇してみせる。戦いは避けられないらしい。ならば、俺達の性欲の方が勝ることを見せるだけだ。
俺達は雄叫びを上げながらクマへ突っ込んでいく。
ところで、クマというのは、ハチミツを食べる腕の方が高値で取引されるらしい。ならば仮にインド人が市場に出回ったとして、右手の方が高価なのだろうか。俺の場合、性処理は左手を使うのだが、どちらが高くなるのだろうか。
そう思っていると、クマの薙ぎ払った手が俺の顔面に直撃し、首の捻れる音が山に響いた。