醤油の星
「この星の人間はぜんぶ醤油になってしまったの」
彼女が言う。
「なんで醤油になったの?」
私が聞く。
「わかんない。醤油になりたかったんじゃない?」
彼女が言う。これは絶対適当に言ってる。
私がそう思うんだからそうだ。
「人類の1万人くらいは醤油になりたいかもしれないけど、さすがに70億人も醤油になりたいわけないじゃん」
私は苛々しながら返す。
「そんなの私が知らないだけで、みんなそう思ってたのかもしれないよ。まあ私は醤油になりたくないけど」
彼女も苛々しながら屁理屈を言う。
「じゃあもうそれでいいよ。みんな醤油なれてよかったね。で、なんで私は醤油じゃないの?」
私は彼女に問いかける。
「貴女、醤油になりたいの?」
彼女は引いたような顔をした。失礼な奴だ。
「なりたいわけないじゃん。でも私だけ醤油じゃないって、人間じゃないみたいじゃない?」
私は人間なのに。
「わかった!じゃあみんなは人間じゃなかったんだよ!みんな人間に擬態した醤油だったんだよ」
彼女は嬉しそうに言う。
「もうそれでいいよ。私は醤油の惑星にいた唯一の人類ね。それで私はどうしたらいいの?」
醤油になりたいわけじゃないが唯一の人類になりかったわけではない。
「どうもしなくていいよ。勉強もしなくていいし、好きなもの買っていいよ」
彼女は笑いながら言う。
「わけわかんない。じゃあ貴女はなんなの」
私はてっきり、人類最後の生存をかけて彼女との殺し合いやら何かをしなければならないと思ったのに。
「私は私だし、貴女も私だよ。私、私となら仲良くできると思うの。仲良くしよう。」
私とそっくりの彼女は私に手を差し伸べた。
私は気が緩んで単細胞分裂してしまったらしい。
私は私と…彼女と二人で外の世界に出た。
外の世界は昼前なのに鎮まっていて、人が全くいない。至るところに醤油がこぼれてるだけだった。
「醤油って生身の状態でなわけ?」
「ボトルに入ってる人間は、ちゃんとボトルに入った醤油になったんじゃないかな?」
「人間はボトルに入らないでしょ」
「醤油ボトルはちょっと小さいもんね」
私たちは、靴底を醤油で汚しながら、醤油の香りが充満するデパートに入った。
「デパートで何をするの?武器の調達?食料品の調達?」
「武器って必要?貴女、醤油と戦うの?大丈夫?」
「醤油と戦う武器ってなによ。そうじゃなくて。この星をこんなのにした化け物とか宇宙人とか、なんか黒幕いそうじゃない?」
「それはわかる。私そう言うの好きだし。でもここって現実だから、化け物や宇宙人はいなくない?」
「化け物や宇宙人がいないのにみんな醤油になったの怖くない?」
「怖いけど、別に私は醤油じゃないし、いいかなって」
「わかった。でも武器は調達しとく。宇宙人がいるかもしれないから」
私は7階のキッチン用品売り場から、泡立て器としゃもじを手に取った。念のため彼女にもミキサーを渡したけれど「重いよこれ」と言われたので戻した。
10階の服屋さんで、彼女が、飾られていた服に着替えた。そして私にも、服を渡した。
それは私がずっと欲しかった服のブランドだった。
25階のレストランで私と彼女は河豚を食べた。
それは私がずっと食べたかった店のブランドだった。
「なんで私のしたい事をするの?」
誰かに尽くすなんて損でしかない。
他人のために何かするくらいなら自分のために何かできる事をするべきだ。
「だって私のことは私が大事にしなきゃ」
彼女は河豚の後の食後のデザートを食べながら言う。
「…」
彼女の言ってる事は分かるようで分からなかった。
「大丈夫だよ。私は貴女をぜんぶ愛してあげる。何をしてもいいし、何をしても正しいし、何もしなくても貴女は一番偉いし、貴女は許されるべき存在なの」
彼女はにっこり微笑んでから「ほら、食べたかったマカロン」と、店から一粒取って私の口に入れた。
マカロンはバラの香りがして、美味しかった。
「なんで私は一番偉いの?」
「私が一番偉いから。私は一番正しくて一番可愛くて一番愛されるべきで一番讃えられるべき存在でしょ。」
「わかんないよ」
「わからなくてもいいよ。大丈夫。貴女が何を考えても貴女が何を言っても私は貴女の味方になってあげる」
「私には敵がいるの?」
「いないと思うけど、いるの?」
「だって、味方って事は敵がいるってことじゃないの?」
「じゃあ敵は居ないよ。醤油は私の敵じゃないもの」
「確かに醤油は怖くないもんね」
「だよね!だから私の勝ちなの!」
「おめでとう」
彼女は何に勝ったんだろうか。
よくわからないけどおめでとうと言っておく。
私たちはデパートを出てから、醤油の溢れる道を歩いて、水族館に向かった。
水族館はいつもと違って、見たことのない不思議なカラフルな生き物たちがすいすい泳いでいた。
「ねぇこれは宇宙人じゃない?」
私は彼女に聞く。
不思議な生き物しかいない。
蝶の羽の生えた魚が泳いでいて、足が20歩以上あるタコは床を普通にゆっくり歩いていて、骨格標本たちは骨をカチカチ鳴らして会話をしてる。
「ううん、あれは魚で、あっちはタコで、それは骨格標本よ」
「それはそうなんだけど、いつもこんな感じじゃなくない?」
「みんな醤油になったんだから魚やタコや骨だってちょっとくらい変わっても仕方ないよ」
「そうかなぁ…」
私は彼女の後を歩き、水族館を見回った。
水族館を出るとすっかり外は暗くなっていた。
夜空ではピンクの星がチカチカと光り、ところどころに緑色や赤色のや青色の見知らぬ惑星が見えた。
「わあ!綺麗!」
彼女がはしゃぐ。
確かに綺麗だ。
「そうだね、でもこれやっぱりあそこから宇宙人来そうじゃない?」
「宇宙人好きだね私」
「うんまあ好きだけど」
「大丈夫だよ、だってこんな星来たって醤油しかなくない?」
「醤油ならまあ好きなだけ取られてもいいもんね」
「わかる。あの赤色の星、綺麗でいいな」
「青色のも綺麗だよ、たぶん宇宙人いる」
「青色って地球でしょ?あそこは生き物いないよ」
彼女は苦笑して否定する。
たしかに、地球は酸素が存在するから、生き物は生きていけない惑星だと科学的に証明されている。
そもそも地球がこの星から肉眼で見えるわけがない。
でも少しくらいそういう浪漫を考えるのが私は好きだ。
私と彼女は、私がずっと行きたかったホテルのスイートルームに泊まった。
彼女は青白く発光する触手で私の触覚を撫でる。
「おやすみ、私」
「おやすみ、私」
人類が私以外滅んでしまったから、また明日から単細胞分裂をがんばろう。今は二人でも、少しづつ増やせば、また私は70億人になれるのだから。
私は10個の瞳を全て瞑って眠りにつく。
End.