真夜中の紅茶水族館
黒い小さな虫がたくさんいる。
白い床にもぞもぞと黒い小さな虫が蠢いている。
けれど。
私が瞬きをすると黒い虫はいなくなる。何もない白い綺麗な床が見える。私がもう一度瞬きをすると、また黒い小さな虫がたくさん現れる。もぞもぞとたくさん蠢いている。
私は瞬きをする。
虫はいなくなる。私はまた1歩進むことができる。
私は瞬きをする。
虫がたくさん現れる。
吐き気を催す感触が私の身体にずりずりよじ登る。
私は瞬きをする。
虫のいない綺麗な白い床。
私は瞬きをする。
黒い虫が私の口元にまで登ってきた。
私は瞬きをする。
何も怖い虫のいない綺麗な世界。
私は瞬きをする。
口の中に黒い虫が入ってくる。
喉の奥をもぞもぞ黒い虫が降りていく。
私は瞬きをする。
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真夜中だというのに遠くから見たら真っ白な山は、近くで見ると、白い薔薇で覆い茂っていることがわかる。
むせ返るような白薔薇のしつこい香りは、少しきつくて、思考を鈍らせる。
白薔薇を潜り抜けて進むと1件の白いレンガの建物がある。
建物は高く、何階建てなのかは判断が難しい。
建物の入り口には錆びた看板で株式会社と書かれたいるが、会社名までは読めなかった。この建物は今はホテルだが、昔は会社だったのだろうか。
私はホテルの中に足を踏み入れた。
「ようこそ、お客様。」
ハートの7のトランプが、私に仰々しく礼をする。
私が瞬きをする。
ハートの7のトランプは居なくなる。
黒い大きな毛虫が居た。
「おかえり」
黒い大きな毛虫が私に笑いかける。
私が瞬きをする。
大きな毛虫は居なくなる。
ハートの7のトランプがいた。
ハートの7のトランプが私を客室に案内する。
私はハートの7のトランプについて行った。
案内された私の部屋にはなんでもあった。
楽しい音楽を奏でてくれるギターも。
美味しい苺のショートケーキも。
巨大なキリンのぬいぐるみも。
ぴちぴち跳ねる生魚も。
アンティークな懐中時計も。
竹で作られたしなやかな弓も。
「お客様、当ホテルはご満足頂けてますか?」
帽子を被った支配人がにこやかに私に問う。
「ええ、とても」
私は瞬きをする。
支配人は居なくなる。
黒い大きな毛虫が現れる。
「さあ、口を開けて」
毛虫は私にプシャっと体液を撒き散らす。
私は瞬きをする。
黒い大きな毛虫は居なくなる。
支配人が現れる。
「お客様、ではこちらに」
支配人が手袋越しに私の手をひく。
私は瞬きをする。
支配人が居なくなる。
黒い大きな毛虫が現れる。
黒い大きな毛虫は手のひらほどのサイズの赤い卵をニュルルと出して、私の喉に押しやる。歯が当たるとそれは私の口の中で砕けて、舌に吐き気を催させる。私は口を開けて、毛虫の卵を飲み込む。
私は毛虫の苗床。
私は瞬きをする。
大きな毛虫が居なくなる。
喉を苦しめた吐き気が消える。
支配人が現れる。
私は支配人の後についていく。
地下100階にあるプールへ向かって。
プールについた頃、支配人は消えていた。
プールは今まで私が見たこともないくらいとても広くて、巨大な鉄板で正方形ごとに区切られていた。中身が絶対混ざらないようにされているようだ。
プールの中身は透明だけど色が付いている。
一番手前の区切りに近づくと甘やかな香りがした。
紅茶のようだ。よく知ってるダージリンの香り。
私は瞬きをする。
血の臭いがむわっと漂う。
プールの底には少女の生首があった。
金色の髪がゆらゆら血の中を揺れてる。
生首から赤い血が止めどなく出ている。
プールの中をゆらゆらと空のペットボトルやバラバラにされたドードー鳥の死体が漂っていた。
私は瞬きをする。
血の臭いが消える。
プールは透き通った綺麗なダージリンになる。
私は隣の区切りに近づいた。
隣の中身はニルギリの紅茶だ。
苦味があるが美味しくて好きな紅茶。
私は瞬きをする。
醤油の充満した匂いがする。
黒黒しい醤油がたっぷり入っている。
色が深くて、中身がよく見えないが、何かところどころ青白い発光が見える。
チカチカと不定期にひかるそれの周りだけがわずかに見える。触手の生えた化け物が10個のぎょろりとした目で醤油の中から私を見た。
私は瞬きをする。
醤油の匂いが消える。ニルギリの紅茶だ。
大丈夫。化け物なんていない。
私は隣の区切りに近づく。
シッキムの香りがする。
甘くもなく苦くもないが飲みやすい紅茶だ。
私は瞬きをする。
きつい化粧品の香りに思わず咳き込む。
紫色の透明な液体の中に銀色のラメが混ざっている。
紫色のアイシャドウが口を開いてケタケタ笑っていた。
紫色のリップグロスが口を開いてケタケタ笑っていた。
紫色のマニキュアが口を開いてケタケタ笑っていた。
底に銀色の髪に紫のリボンの少女の生首が沈んでいた。
私は瞬きをする。
シッキムの紅茶の隣の区切りへ向かう。
ウヴァだ。
渋みが強い大人の味で私は少し苦手な紅茶。
私は瞬きをする。
潮の香り。海の香り。海水だ。
今までと違って気持ち悪くない香り。
黒い綺麗な服を着た少女がダンボールを抱いて眠るように沈んでいた。海水の中にある線路を空っぽのトロッコがぐるぐると走り続けている。
コケッコケッ。
いつのまにか隣に1羽のニワトリがいた。
私は瞬きをする。
ニワトリは消える。
大丈夫。何もない。
区切りの中身もただのウヴァの紅茶だ。
私はウヴァの隣の区切りに向かう。
ウヴァの隣はアッサムだろうか。
独特の深い味わい香りがする。
後味がさっぱりしていて私のお気に入りだ。
私は瞬きをする。
「ひっ…」
区切りにいっぱいの黒い毛虫が蠢いていた。
毛虫は這い上がって私の身体に纏わり付く。
身体中に黒い毛虫が纏わり付く。
視界も、口の中も、内蔵すら、脳の隙間も。
ぜんぶぜんぶ、黒い毛虫。
私は瞬きをする。
水槽の中は何もないアッサムの紅茶だ。
大丈夫。黒い毛虫は存在しない。
大丈夫。大丈夫。
私は立ち上がり、アッサムの隣の区切りへ向かう。
今までの区切りと違ってその水は青く透明だ。
すっとする香り。ブルームーンの紅茶だ。
私は瞬きをする。
中身は透き通った黄色の綺麗な水だった。
なんの香りもしない。
注射器のようなものが2つと、白い馬の生首と黄色いトラの生首と、灰色の狼の生首が沈んでいた。
私は瞬きをする。
次で最後だ。
ブルームーンの隣の中身は無色透明の水だった。
私は瞬きをする。
水の中に大きな黒い1匹の毛虫がいた。
それは水面に映った私自身だった。
私は瞬きをする。
水の中の黒い毛虫は相変わらずそこに居た。
私は瞬きをする。
水面に黒い醜悪な毛虫が映る。
見ているだけで吐き気を催す。
私は瞬きをする。
水面に映る黒い醜悪な毛虫がポタポタ涙を流していた。
End.




