第一話 変貌
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ダルダネス州王フォーマ・ギブスンの衝撃の暗殺劇。そしてそれに乗じるアシュヴィン暗殺を阻止したロザリオンの悲劇の死から、2週間の時が過ぎた。
悲しみにくれるレエティエムは、ロザリオンの葬儀をヘレスネルを祭司として執り行った。彼女の遺体は、戦友モーロックの隣に葬られることとなった。
憎きダルダネスの裏切者バハムート・フェリスの思惑どおり、残された州王家と民衆はその士気・気力に甚大な被害を被り混乱に陥った。名君と呼ばれたマレイセン亡き後唯一州をまとめ得る存在だったカリスマ、フォーマ王の後を真の意味で継げる人材はもう居なかった。王家の血縁であるアトキンズ・ギブスンという15歳の少年が王を継ぎ、一度は王家を裏切った有能なる佞臣ランジェラが摂政大臣位に復帰することでようやく体裁を整えることができた。
当然これらの仲介と治安維持を、追放者であるレエティエムが代行してやらねばどうにもならぬ状況であったため、計画を大幅に変更して彼らは留まった。王家の融通についてもシエイエス、ネメア、ヘレスネルらが尽力してようやく、本当に情勢が落ち着いたのは、ハルマーから駆け付けたルーミスとラウニィーが到着してからという有様だった。
それ以外にも、怨敵を取り逃がした原因である――最高戦力シェリーディアの武具“魔熱風”故障改修という重要な課題があった。もう赤の他人に任せることに懲りた彼女は、魔工師レイザスターにこれを預け、現地職人と協業させる形をとった。ロザリオンの死に衝撃を受けたレイザスターだったが、自身の魔工を修理する必要もあり、これと併せてすべてを忘れるがごとく取り組んだ。
かくしてレエティエムのダルダネス追放は取り消され、安全に勢力合流をも果たせたメリットはあったものの――。大きく足止めを食らったばかりか、将軍位として戦力の柱であった人物を二人も失った衝撃、それが示す敵の強大さと脅威は、軍団内に暗い影を落としていたのだった。
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「出立の日が決まったって?
シェリーディアから聞いたけれど、本当? シエイエス」
現在シエイエスが詰めるアルセウス城内の執務室のドアを開けてきたのは、ラウニィーだった。その後ろには、ルーミスの姿もある。
シエイエスは目にしていた書類を置き、ラウニィーに向かって頷いた。
「ああ、ようやくな、ラウニィー。
出立は、5日後だ。ようやく、ダルダネス内の問題終息と、“魔熱風”復元の目途がついてな。これから全員に発表しようと思っている」
「了解した。調査部隊のメンバーに変更はあるのか? ダルダネスも無人という訳には行かなさそうだが」
ルーミスの問に、悩ましいといった様子でシエイエスは答えた。
「察しのとおりだ、ルーミス。落ち着いたとはいえ今我々が去れば、ダルダネスはまだあらゆる意味で混乱を生じる状況。しばらくは人を置く必要がある。
これには、アルケーの蔵書にのめり込み研究を続けたいというレジーナ殿とキャダハム、内政の天才と俺が見込むヘレスネルを充てる。欠員には、姉弟子の仇討ちを志願したヨシュアを加える。
同じ仇討ちをメリュジーヌも志願したが、俺が厳しく止めた。モーロックに続き、親友となったロザリオンの死であまりに精神的ダメージを受けている。レエテほどの怨念と強さがあれば別だが、幾人もの愛情を背負った復讐戦など、普通の人間には荷が勝ちすぎる。可哀想だがムウルとともにハルマー帰還を命じたよ」
話を切った後もなお懸念を貼り付けたようなシエイエスの表情を見て、ラウニィーは彼の貌を覗き込みながら云った。
「どうやら……心配なのはメリュジーヌだけではないようね。
いえ、一番心配な相手。……『あの子』、ね」
シエイエスはため息をつき、椅子に深く腰かけた。それを見て察したルーミスも、貌に影を落とす。
「ああ、その通りだラウニィー。
あいつは……今回の件で最も心に深いダメージを受けている。
まだ若すぎるゆえ、でもあるが……。この前シェリーディアと様子を見にいったところ、それが極めて悪い方向に進行してしまっているように見えてな……」
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ダルダネス城内、地下修練場。
高さ30m、100m四方に及ぶ広大な空間だ。天井も壁も、鈍色に光るアダマンタインがむき出しとなっている。壁の大型燭台には幾つもの蒼魂石が掲げられ、煌々と青い光を放っている。
“ケルビム”占領時には、一時“ネト=マニトゥ”の収容にも使用されていたようだが、現在ではその設備は全て撤去されていた。そしてこの世で最も頑強で、いかなる攻撃にも耐えるこの空間は極めて貴重な修練場としてレエティエムの強者たちに使用された。“魔熱風”が使用できないシェリーディアは悔しがったが、シエイエスの変形攻撃、ルーミスの“熾天使の手”、ラウニィーの最強技にも耐えたこの空間で、レエティエムの面々は来る次の試練に向けて牙を研いでいたのだった。
その修練場を――。
レエティエムの中で群を抜いて使用している人物。いや、ほぼこの空間に泊まり込んでいるも同然に、半ば狂気的な修練を続ける人物がいた。
壁に向かい、構えを取る、剣士。
腰に二刀流の長剣を下げ――背中に、業物のブレードを背負った三刀の構えで立つ、金髪の少年。
アシュヴィンであった。
だがその頬はこけやせ細り、目の下には隈ができ無精髭が生え、髪はボサボサという別人のような有様。それでいて眼光はぬめって鋭く、尋常でない雰囲気を感じさせた。
細めていた目を、彼は一気に開いて攻撃に移行していた。
「鷲影流断刃術、氣刃の参!!!」
背負った大業物――大切な人から受け継いだ、“神閃”。視認のできない速さで抜刀し水平方向に振りぬかれた白刃から――。光る巨大な刃が広がり飛び、アダマンタインの壁に激突する!
鈍色の壁に当たり閃光と巨大な衝撃音を響かせ消えた、見事な氣刃。
かつての剣帝ソガール・ザークの試技にも匹敵するほどの技の冴えに対し、脇から拍手の音が鳴り響く。
「見事だよ、アシュヴィン。
きみの流派とした、鷲影流。抜刀術だけじゃなく、ついにおれも未だに出せてない氣刃までものにしちゃった。たった2週間で、もう立派な刀剣士だよきみは。
正直そら恐ろしいけど……教えてきた甲斐あったし、これらからおれ達が遂げなきゃならない復讐には、これ以上ない位頼もしいよ」
黒髪の前髪を垂らした、整ってはいるが朴訥とした雰囲気の少年。ダフネの直弟子で、ロザリオンの弟弟子に当たる剣士、ヨシュア・リーザストだ。“死海”でのリヴァイアサン襲撃よりただ一人生き残った彼。頼りなかった雰囲気は、ネメアと同行した実戦、そして姉弟子の死という試練によって様変わりしてきていた。
彼も、狼影流という独自流派を持つ。イスケルパの剣士は師と同じ流派を名乗ることは許されず、必ずオリジナルの技を織り込んだ独自流派の名乗りが求められるのだ。
アシュヴィンがヨシュアに言葉を変えそうとしたのを遮るように、彼の背後から極めて聞きなれた別の男の声がかかったのだった。
「本当に見事なもんだぜ。この短期間でできるこっちゃねえ。二足飛びぐれえの成長、かもしれねえな。
けどよ……今のお前、尋常じゃねえぜ。幼馴染としちゃあ、ちょっと頭冷やしたほうがいいんじゃねえかって、今まで俺が云われてきた言葉をそっくり返してえ気分だぜ」
レミオン、だった。彼だけではない。同じ幼馴染のエイツェル、エルスリードも彼の後ろについて訪ねて来たのだ。
レミオンとエルスリードは険しい表情を浮かべ、エイツェルは極めて心配そうな表情で、拳を口に当てながら。
アシュヴィンは、垂れ下がった前髪の間からぎょろりと目を動かし、レミオンを見据えた。そしてこれまでの彼から想像もつかない、低く低くうっそりとした声で言葉を返したのだった。
「……そうだね……。確かに、君にだけは云われたくないな、レミオン……。
だから、何度でも云う。放っておいてくれないか。気持ちだけ受け取っておく」
それを聞いて、エルスリードが進み出てアシュヴィンに云った。
「その言葉。その様子。もう全部があなたらしくないわ、アシュヴィン。
一体、どうしてしまったの? 事情は、聞いたわ。確かに、辛いかもしれない。あれだけの戦いだったんだもの、あなたとロザリオン様にしか分からない絆があったのだとは思う。あれだけ偉大な方が亡くなられたのは私達だって、辛い。
けど、2週間の間ほとんど寝ず、飲まず食わず、ほぼずっと壁に向かって剣の稽古。流派の鍛錬。身体を壊すし、心だって――もう、壊れかかっているじゃない。お願いだからやめて。私達が2週間、ずっとあなたを気にして、こうして訪ねてきてたのを受け止めて。元のあなたに戻ってちょうだい」
最後の方はやや言葉が震えたエルスリードの言を聞いたアシュヴィンは――ロザリオンの名前が出たことに明らかな怒気を漂わせた。それを感じたエルスリードがハッと青ざめ眉を上げて怯む。
アシュヴィンが言葉を発しようとした瞬間に、おびえながらもしっかりした足取りでエイツェルが近づいた。そして手にしていたバスケットを彼に、ぶるぶる震える手で差し出して云う。
「……ね……ねえ、アシュヴィン……。あたし、この前来た時、聞いたよね。何か食べたいものない? 何でも好きなもの云ってって……。
その時は全然答えてくれなかったけど……あ、あたし、あんたが大好きなザワークラウトと、タルトを作ってきたの……。ダルダネスにもキャベツと、ブドウがあったから……。あんたいつも、あたしが作った料理おいしいって云ってくれるし……。
ね……? お願い、アシュヴィン。食べて。それに休んで。あたし……もうあんたが心配で心配で、眠れなくて食事もできなくって……。元気になって、優しいあんたに戻ってよ……ね……?」
野菜好きで甘党なアシュヴィンは、シェリーディア仕込みで料理が得意なエイツェルの手料理を、昔から一番喜んで食べてくれた相手だった。今それに賭けて、一生懸命心を込め作ったのだ。
だがそれに対しアシュヴィンは――何の関心も、情も浮かべず、静かに黙って差し出されたバスケットを手で押し返した。
「……それも気持ちだけ、受け取っておくよ。僕に、構わないでくれ。
僕は、強くならなくちゃいけない……。君らと慣れ合ってる暇はないんだ。邪魔をしないでくれ」
「――!! う…………」
そのあまりに冷淡な、怒りさえ含んだ反応にエイツェルは傷つき、涙を浮かべて貌を歪め口を押さえた。
――その姉を見たレミオンの動きは急激だった。
激怒を刻んだ鬼のような表情で、エルスリードなどには到底視認できないような本気の速力でアシュヴィンに掴みかかり、殴りつけようとする。
しかしレミオンの本気の攻撃は――完全に空を切った。
瞬時に見えなくったアシュヴィンの姿は、まるで瞬間移動かと見まがうようにレミオンの背後に現れていた。そして手にしていた“神閃”の刃を、切れない峰打ちの方向で首筋に突き当てていた。
「――!! アシュヴィン――てめえ……」
「……あの“闘球”のときの僕とは違うよ、レミオン。今の君は、僕の相手じゃあない。
分かったら、すぐに出ていくんだ。エイツェルとエルスリードを連れて」
「――その、てめえの強くなりてえってのはよ、姉ちゃんの優しさや愛情を踏みにじって傷つけても許される目的なのかよ。ああ!!??」
「そこまでは云わない。けど……僕にはね、余裕がないんだよ、余裕が……」
「聞けよアシュヴィン。メリュジーヌから俺は託された。例の真正ハーミアの裏切者は、終戦時のダルダネスにいた面子の中に潜んでる。こうやってお互いいがみ合ったり争ったりしてる場合じゃねえんだよ。俺が云うのもおこがましいが、そういう個人の事情は抑え、皆で協力しあう必要が――」
「ロザリオン様は!!! 僕のために!! 僕が弱いから!! 死んだ!!!」
全てを遮るように――叫んだアシュヴィンの声で、レミオンは口を閉じた。
「なぜか分からないけど僕だけを狙ってきた『あいつ』から!!! 僕を護って死んだ!!
フェリスの裏切りで頭が真っ白になって――受け取った“神閃”を返すことも、自分を狙う敵も目に入ってなかった、この未熟で役立たずで弱い、僕なんかのせいで!!
あれだけ可哀想な人生を送ってきて――ようやく幸せを掴めるときだったのに!
君らには、分からない。フェリスや『あいつ』を殺すためだったら――僕は何でもする。絶対に苦しむ残酷な死を、与えてやる。すでに僕の目的には確実に、『復讐』が加わったんだ」
そして前に進み出てきたヨシュアが、レミオンに向けて冷ややかに云った。
「そういうことだ、レミオン。おれとアシュヴィンにとって今重要なのは、組織よりもさえロザリオン様の仇を取ることだ。
しばらく邪魔はしないでもらいたいな」
それを聞いたレミオンは舌打ちをして“神閃”を払いのけ、二人に鋭い眼光を投げかけて云った。
「ダフネ様の陰にかくれてた腰抜けが、随分いっぱしになったもんじゃねえか、ヨシュア。
いいだろう、しばらくアシュヴィンの事はお前にあずけてやらあ、せいぜい面倒見てくれや。
お前ごときにそれが務まるもんならな……」
そう云ってレミオンは、泣くエイツェルと、それを慰めるエルスリードの二人の肩を抱いて、修練場から出て行ってしまった。
残されたアシュヴィンは、いつしか自分の、血豆の潰れた掌をじっと見ていた。
そして己の想念に沈んでいたのだった。
(レエテ……小母さん……。僕の……この血……。父さんや……祖母からの……。
血に……飢え……人殺しに……飢え……。味方すらも巻き込んで破滅に……導く……悪の……種子……が……)
己の強い怨念と理性の想念がぶつかり合う脳内で、アシュヴィンはただ一人、人生で経験したことのない苦悩の中にあったのだった――。