エピローグ 進路は……北へ
再編成の決定を受け、レエティエムは北と、西――二手に別れることとなった。
北へ向かう調査部隊は、ハルマーに遣わした魔導生物ザウアーが勢力を引き連れてくるのを待たずして出発し、途中合流する。西へ向かう帰還部隊は、入れ違いとなる形でハルマーへと戻っていくのだ。いずれにせよ命がけの英雄的行為で危機を救ったダルダネスとは、追放される形という極めて不本意な別れとなったのだった。
先陣を切って手配されたダルダネス輸送部隊は、大量の保存食料と物資、そしてアルケー・ティセ=ファルが残した大量の本という手土産をもって、帰還部隊に同行する。もちろん調査部隊もふんだんに補給は受けている。せめてもの報酬があるだけでも、救いと思わねばならぬかもしれない。
ダルダネスは穀倉地帯であるうえ鉱物資源も豊富だ。小麦等のほか鉄、銅、宝鉱石、そしてハルメニア人が初めて目にする蒼魂石もまた、豊富に供給された。すでにシエイエスはアキナスらに命じ、これらの有効活用を模索させていた。とはいえハルメニア人にとって何より貴重だったのは、加工できない欠片ながらもアダマンタインではあったが。
そして機械技術に関しても、ハルメニアにはない技術が幾つも存在した。シェリーディアの“魔熱風”やレイザスターの魔工具にとって、補充修理だけではなく思わぬ改造が実現した収穫もあったのだった。
*
そして本隊出発の日。
貴重なリザードグライドは譲ってもらえなかったが、多くの馬の提供を受けたレエティエムは、輸送用馬車を率いる騎乗の軍勢となった。
ダルダネス城門前から発とうとする彼ら。城壁城や城門外には、軽く3000人は超えるであろう民衆がレエティエムを見送る為に集結していた。彼らを追放する決定を下した州王家を支持はしつつも、民衆はしっかりと見、知っていたのだ。一体誰が“ケルビム”に勝利し追い出した者なのか――誰がその命を賭けて戦ってきた英雄であったのか。割れるような歓声と気勢は、異邦の軍勢に対する感謝に満ち満ちていた。もちろんフォーマは、それらの正しき心の行為を禁止するような野暮な真似はしなかった。
その民衆の中にゼネリブ村の一団も居り、彼らを束ねるマレス・コルセアは、娘キラと息子キリトを連れてレエティエムに近づいてきていた。
彼らの恩人というべきレミオン、エイツェル、エルスリードの三人に別れを告げるために。
「――達者でな、君たち。君たちが来てくれなかったら、俺たち家族は無事に再会できなかった……。俺個人としては、君らを受け入れ、一緒に戦いたい位の気持ちだが――。すまない、大人しく俺は子供達を連れ帰り、女房の墓参りをさせてもらウヨ」
マレスの言葉に、レミオンは馬上から微笑みを浮かべて応えた。
「マレスさん、ぜひそうしてくれよ。俺たちにゃあんたのその気持ちだけで十分だよ。ありがとな。
おいキリトの坊主、それにキラ嬢ちゃん。俺が云った事を忘れず、しっかり父ちゃんを助けるんだぞ。元気でな」
手を引かれるキラとキリトは、涙ぐみながらうなずいた。キラはエイツェルとエルスリードの方を見て云った。
「お姉ちゃんたちも……ありがと。また……会えるヨネ……?」
エイツェルは満面の笑顔で頷き、言葉をかけようとしたが――エルスリードが温かく声をかけるのが意外にも先になった。
「ええ、きっと会える――いえ、必ず会いに行くわ。あなた達も、レミオンの云うとおりお父さんを支えて、絶対元気でいてね。約束よ?」
エイツェルは親友の横顔を見てさらに笑顔になった。どこか冷淡な部分があり、あれほど“ネト=マニトゥ”に嫌悪感を持っていたはずのエルスリードが変わってくれたことが嬉しかった。
レミオンもまた、恋する女性の様子を微笑み見ていたが、その彼に背後から声がかかる。
「……あんたも、子供を助けるようないいとこ、あったんだね。
エグゼキューショナーを斃したりもして、大した活躍だよ。まあ見直した、ってことにしといてやるよ」
メリュジーヌ、だった。今までなら話しかけられることすら考えられない不仲だった同族の女性。驚いて振り返ったレミオンだったが、笑いを作りつつもあまりにやつれてしまったメリュジーヌの様子に、神妙な面持ちで言葉を返した。
「モーロック様は……俺にとって尊敬する兄貴分だった。とても悲しいし、あんたの心中は……本当にお察しするよ。
あんたがしょげてるとさ……俺も張り合いがねえ。ちゃんと休んで元気になってくれ。あんたの強さは……俺もほんとは頼りにしてたんだしさ……メリュジーヌ」
メリュジーヌは一瞬目を丸くしたが、すぐに優しい笑顔で言葉を返した。
「はは……。ありがとね、レミオン。あんたにそう云ってもらえて、ほんとに嬉しいよ、あたし。
あんたの実力はわかったけど、油断するな。生きて帰ってきな。エルちゃんもね……女のあたしから見て、まだまだあんたにも十分脈はあるよ。せいぜい頑張んな」
「え……? お、おう、そっか……ありがとうな……」
「それと……これはあんたを見込んで話しておくけど」
メリュジーヌは急に馬を寄せて近づき、小声になった。
「シエイエス様に届いた情報だけど……アルケーの女が残した蔵書のうち、地理や情勢を記したものの一部が、盗まれてたらしいの――番兵殺害の上ね。
輸送準備中でうちらの管理だった以上、おそらくその下手人はレエティエムの中にいる。
すなわち――例の真正ハーミアがね。今のこの面子の中に」
「……!!!」
「あんたは意外に猜疑心が強く、ずる賢いのをあたしは知ってる。裏切者を見つけるのはあんただと見込んでるから、後は頼んだよ、レミオン――」
それだけ云い置くと、メリュジーヌは笑顔で颯爽と去っていってしまった。そして他の別れる面々と言葉を交わしていた。
呆気に取られていたレミオンだったが、実は人一倍裏切者を警戒していた実力者から後を託されたことを実感した。そして今後のレエティエムについて、思いを馳せるのだった。
一方、アシュヴィンは自分との別れを惜しむ州王フォーマとフェリスの元に、シエイエスやシェリーディアとともに居た。
馬車を下りたフォーマらとともに、下馬して挨拶を交わしていたのだった。
「うぬは、本当に我が家臣に迎えたい程の惜しい逸材。名残惜しいが道中、十分に気をつけテナ」
「私も――君と別れるのは、とても残念だ……。武運を祈ってイル」
アシュヴィンに言葉をかけるフォーマとフェリス。フェリスは自分の立場上表には出せないが、今回の州の決定に心からは納得しておらず、できればアシュヴィンと同行したいとさえ思ってくれている様子が伝わってきた。二人の言葉に、膝をついて感謝を述べるアシュヴィン。
「お二人は、我が命の恩人です。深く御礼申し上げるとともに、これからの息災をお祈りいたします。
では――失礼」
そして後は父母に任せ、彼はまっすぐ馬に向かい、騎乗した。
すぐ側にはロザリオンが馬を並べており、アシュヴィンに語りかける。
「アシュヴィン、私もここで別れとなるが……。
お前に、これを受け取って欲しいのだ」
ロザリオンはそう云って、腰から解いたブレード“神閃”を、アシュヴィンに手渡してきた。
「ロ……ロザリオン様、何を……!!
そ、そんな……受け取れません! そんな、ご自身の魂というべき大切なものを……!!」
「護身や、ハルマーでの鍛錬程度であれば、他の無銘でも十分に事足りる。
お前ならば使いこなすことも可能であろうし、何より――。お前にこれを預けておくことで、私自身、必ずお前の元に戻ってくるという……は、は、励みに、したいのだ……」
最後は自分の台詞に自分で照れ、貌を真っ赤にし、どもるロザリオン。
アシュヴィンは逡巡したが、それは自分にとっても励みになる事だし、ロザリオンがそのように前向きな気持ちで託してくれるのならば受けたい、という気持ちも芽生えた。
そして最終的に――右手でしっかりと、“神閃”を受け取ったのだった。
「わかりました。ロザリオン様がお戻りになるまで、戦場で私がお預かりいたします。
戻りを心待ちにしていますし、その時までこのアシュヴィンも決して命を落とす事はしないとお誓いします」
「――ああ、頼んだぞ」
そして視線を交わした二人は、馬の鼻先を反転させ、激戦の場となったダルダネスに背を向けた。
その、馬を転回させる途中で――。
アシュヴィンの視界に、衝撃の光景が飛び込んできた。
己の目を、疑った。だが間違いなかった。
フォーマとの挨拶を終え、背を向けたシエイエスとシェリーディアの姿があった。
その、フォーマの背後に控えていたフェリスの身体が――。
変形し、巨大化していたのだ。胸から下の身体の結晶化によって。
翼長12m、全長7mほど、という――。ギガンテクロウが小鳥に見えるほどの巨躯。獣脚を持つ姿。
ワイバーンロードの胴体であった。
フェリスであった「もの」は、伸長する翼を凶刃と化し、フォーマとシエイエスの首を――狙っていた!
アシュヴィンは喉が潰れるほどの、絶叫を発していた。
「後ろだ!!!!!
避けろ、逃げろおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
それと同時に、気配を感知したらしい父母が背後を振り返る。
その視線の先にいたフォーマは――驚愕の表情のまま、首を寸断され宙に舞わされていた!
そして父母に襲い掛かる翼刃を目にしたアシュヴィンは、死に物狂いで馬を駆り、駆け付けようとする。
その彼の、斜め45°の方向に居た群衆の中の、一人の人物。
深々とローブとボロをまとっていたその人物が、一気に己で衣をはぎとった。
同時に踏み出しながら、神速の結晶変形で身体を巨大化させる。
黒と白の見事な結晶“毛並み”をもつ、半人半狼の姿。
紛れもなく、ロザリオンに撃退され生死不明だったカラミティウルフ・フィカシューであった。
彼は牙を変形させた刀剣“牙撃”で、わき目もふらずアシュヴィンただ一人を狙っていた。
先にあまりに想定外の衝撃の光景を目にしていたアシュヴィンは、決定的に反応が遅れ――。
気づいた時には、到底迎撃が間に合わない距離まで接近を許してしまっていた。
左手がようやく“狂公”の柄を握れた、そのタイミング。
眼前に迫った“牙撃”の前で、一つの影がアシュヴィンとフィカシューの間に割って入った。
その影、人物――。フィカシューと同じく、誰よりアシュヴィン一人に意識を集中していたがゆえに、本人よりもその危機に早く気づくことができた、人物。
その人物は凄まじい力でアシュヴィンの身体を馬上から突き飛ばし――。
アシュヴィンに代わって、胴体を“牙撃”に寸断されていった。
吹き飛びながらその人物の姿を視認したアシュヴィンの喉から、先ほどとも比較にならない魂の絶叫が響いた。
「ロザリオン様!!!!! ロザリオン!!!!!
ううううううう!!!!! わああああああああああああああーーーー!!!!!」
腰から胸までを、一直線に寸断されたロザリオンは――。
空虚な表情でほぼ身体を真っ二つにしながら、恐るべき量の墳血とともに、地に落ちていった。
「ぐっ――!!!!
おのれ、余計な真似を――仕損じたカッ!!!!」
フィカシューは着地し無念の叫びを放ち、“フェリス”のもとに全力疾走していく。
一方この超緊急事態を認識したシエイエスとシェリーディアは、恐るべき速さで各自判断と行動を開始していた。
シエイエスは頭髪の変形刃によって“フェリス”の翼刃をガードし後退。そのままこの瞬時の事態を把握した彼は踵を返し、ロザリオンのもとに走り向かっていた。
そしてシェリーディアは“魔熱風”を取り出し、“フェリス”に反撃しようとするが――。
「なっ――!!!
刃が――出ねえ!! どうして――クソがっ!!!!」
そう、ダルダネスで改造を施し――。先日完成し試技もしたはずの愛機が、使えなくなっていたのだ。
シェリーディアはやむを得ず、交差させた両手から爆炎魔導を発する。
「“暴漣滅死煉獄・収束”!!!」
大導師ナユタも使用した災害級魔導。あまりにも巨大な結晶体の頂点に小さく貌を出す“フェリス”は――。それまでの純朴な女騎士の表情など跡形もなく、極めて邪悪に過ぎる笑みを浮かべ――大空へ羽ばたいた。
恐るべき風圧が周囲を支配し、この時点でようやく事態の認識と脳の回転が追いついた群衆が火のついたような悲鳴を上げ、逃げまどい始める。
当たる面積を最小限にし、“耐魔”をもって爆炎を弾く“フェリス”。
――いかにシェリーディアのそれが本家に及ばず、かつ自身が上空に逃れたのだとしても、恐るべき防御力、魔力だ。
それはおそらくアルケーにも匹敵する、表面上本人が見せていた数千倍にもなる巨大さであった。
さらなる上空へ上がろうとすると同時に、全力で駆け寄ってきたフィカシューが一気に跳躍。“フェリス”の高さにまで達すると同時に結晶体を解除し、ほぼ身に衣をまとわない姿ながら、獣脚にしっかりと捕まり身体を固定させた。
そして“フェリス”は、それまでの彼女からは想像もつかない声色で、高みからシェリーディアに云い放った。
「――ざあああん念だったねえ、シェリーディア・ラウンデンフィル!!
そいつの改造手配をしたのは、私だよ? 一度試射をした段階で使い物にならなくなるよう、細工をさせた。その腰の業物も、同様さ。
クククククク……いくら最強の化け物の君でも刃もクロスボウも使い物にならないのでは、このエグゼキューショナー“バハムート”、フェリス・フォートモーナスを斃す術はないヨネ!?」
指摘どおり攻撃する手段を失ったシェリーディアは、恐るべき怒りをにじませた眼光で、上空を覆わんばかりの巨大なる敵を見上げた。
「ああ、してやられたなあ……思わぬ裏切者にハメられてな。今はクソ忌々しいが、『覚えてろよ』って云うのが精一杯だな。
てめえ、何者だ? アルケーの手下か?」
「ハッハッハッ!!! 冗談でもやめてほしいなあ、あんなくだらない売女の手下だなんて!!
私はね、このフィカシュー同様――シエラ=バルディ州“ドミニオン”の配下だよ。
このダルダネスを訪れたあの方に、目をかけて頂いた。そして“処置”を受け、偉大なる才能を発揮したという訳さ!!
そこに首だけ転がっている爺の機嫌を取りながら、機会を伺うのが今まで本当に辛かったけどネエ!!」
「シェリーディア様!!!」
異変を察知し、ようやく駆け付けたレエティエムの面々。フェリスは彼らが遠のくのも周到に計算の上襲撃に及んだのだ。
レイザスターの魔工具は、シェリーディア同様に使えない。フォーグウェン兄弟とアキナス、エルスリードが上空に魔導を放つが、当然ながらシェリーディア以上に容易く弾かれてしまったのみだった。
フェリスは美しい金髪を振り乱して不敵に嗤い、云い放った。
「まあ、こちらとしては十分に目的は果たした。愚かな民衆の目前で希望の象徴を最高のタイミングで打ち砕き、君らハルメニア人にも精神的ダメージを与えられた。我ら“ケルビム”に逆らうことの愚かさを理解させ、“マニトゥ”としてしかるべき滅びの運命を受け入れさせる準備が整ったからね。
これを受けて、なおヌイーゼン山脈を越えてこようなどという愚挙を冒すことなく、大人しくハルメニア大陸に帰ることを強く奨めておクヨ!!!」
云い置くとフェリスは翼を大きくはためかせて、一気に気脈の及ばないギリギリの高空へ飛び――。
そのまま悠々、北のヌイーゼン山脈の方角へと、飛び去っていったのだった。
「ロザリオン!!!!! 死なないで!!! お願いだ!!!! 僕を見て!!!!」
アシュヴィンは、大量の血を吸った草原の上で、倒れるロザリオンに向かって叫び続けた。傍らには既にシエイエスが駆け付け最大限の法力処置を行っている。
だが――その表情にははっきりと苦渋の諦観が浮かんでいた。かつて彼や弟ルーミスが看取って来た多くの死者と、同じ。出血を瞬時に止めることができても、肺、脊髄、肝臓、心臓――致命的な臓器が死してしまった者を救う手段は、ない。
周囲にエイツェル、メリュジーヌが駆け付けているが、あまりに凄惨で悲痛な状況に近づくことができない。
エイツェルは震えて口を押さえ、メリュジーヌは親友となった人の絶望的状況に、地に両手を着いていた。
アシュヴィンが押さえるロザリオンの胸の下で、心臓が断裂しているのが見て取れる。絶望の中でも、アシュヴィンは現実を受け入れず、その傷を押さえ続ける。すでに全身返り血で真っ赤になった彼は、貌を歪め大粒の涙を流しながら云った。
「いやだ……云ったじゃないか……本当に強くなるため戻るって……そして帰ってくるって……!!
あなたはこれから、幸せになるんだ……! 親を失って、自分に苦しんできた不幸を、これから取り返すんだ……!
僕にも……あなたが必要なんだ……好きなんだ……お願いだから、死なないで……!!」
途絶えそうに細く小さな息を吐くロザリオン。アシュヴィンをとらえていた虚ろな目が潤み、かすかに唇が、動いた。
「…………り……が…………う……」
ありがとう。
そう、云ったのだろうか。
「……ロザリ……オン…………?」
かすかな瞬きも途絶えた、白い貌。
アシュヴィンはシエイエスの貌を見上げた。
父は苦渋に目を閉じ、ゆっくりと首を振った。
アシュヴィンは遂に、崩れ落ちた。
さらに涙でぐしゃぐしゃになりながら、嗚咽を漏らしてロザリオンの遺体に縋りつき、泣き叫んだ。
「うううううあああああ!!!!! おおおおおああああああ!!!!!
ああああああああああああああああーーーーっ!!!!!」
残酷にも、どこまでも晴れ渡る、気脈に覆われた大空。
果てしなく広がる虚空にすら吸収しきれないかのように、声は発し続けられたのだった。
第四章 異邦国家ダルダネス
完
次回
第五章 監視者の山脈
開始です。