第四十四話 終焉の後で(Ⅰ)
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約3年に渡りダルダネス州を支配した絶対君主、アルケーことティセ=ファル・ラシャヴォラクは妹ディーネの助力によって逃亡――。ハルメニア勢力の苦い勝利によって追放の形となり、州は“ケルビム”の支配より解放された。
本来の支配者たるダルダネス州王家は“ネト=マニトゥ”の子らを保護した後、地下世界から地上に1000もの軍勢を上げ決起していた。そして“ケルビム”兵士残党を討ち取り、彼らに寝返っていた幾万ものダルダネス州軍人・政治家に投降を促していったのだ。
“ケルビム”幹部の劣勢を伝え聞いていた兵士らの士気低下もあり、州王家は破竹の勢いで己の領土を取り戻していった。そして城壁を越えて逃げ去るティセ=ファルの姿を見た“ケルビム”兵士の戦意は潰え――彼らは何と一人残らず、首を落とし自らの命を断ったのだった。
おそらくエグゼキューショナー同様、“処置”とやらを受けているであろう彼らの短命は予想出来た。が、秘密を護る為にためらわず残りの命を捨てる覚悟に、レエティエムの面々は戦慄したのだった。
王家が得たこれら一連の成果は無論、周到かつ迅速な情報収集を続けていた上王フォーマ・ギブスンによる狡猾な策によるものだった。ハルメニア人の強さを知り、彼らに死闘を演じ潰し合ってもらい、あわよくば壊滅させる。そして漁夫の利を得る。老練の策略はまさに的中したのだった。フォーマは声高に勝利を宣言し、それがあたかも己らの功績であるかのように喧伝した。
己の居城アルセウス城に辿りついたフォーマは、そこを拠点に戦後処理にあたっていたハルメニア人勢力との接触に成功した。州王家以上の奮戦で市中の残党排除を実行しつつ合流を成し遂げていた、ネメア率いる調査部隊本隊と合流していた200名あまりのレエティエム。身体を再生させていたシエイエスはハルメニア人の代表としてフォーマと会談し、互いの素性と戦果を報告した。
フォーマは会話してすぐにシエイエスの優れた知性と深謀遠慮にいたく感銘したし、シエイエスは彼は彼で、豪放さとそれを盾にしたフォーマの開き直った狡猾さに苦笑しつつも感じ入っていた。両リーダーの和解により彼ら陣営は一時的な協力体制に入り、復興と今後の協議に入った。
それより1週間の間――。レエティエムはモーロックの戦死を悼み、この地に許可を得て墓標を造り、しめやかな葬儀を行い喪に服した。
そしてダルダネスは3年前以前の状態へ復興を遂げようと、道筋を整えつつあった。
“ケルビム”に支配されていた政府および軍の再編、強制労働に従事させられていた人々の解放と“ネト=マニトゥ”とされた子供達の返還。レエティエムの協力により急速にそれらの段取りは進行していったのだった。しかし――。
「感謝はしとる。この上なくのお。儂個人はうぬらや、うぬのことはもう友人と思うちょる。だが州の民を預かる王として、ハルメニアと今後の継続的な協力、同盟は締結できんし――このダルダネスからは出ていってもらわねばならんのジャ」
アルセウス城の、金属に覆われた大広間、謁見の間。
玉座の前に用意された重厚な円卓で、巨漢の州王フォーマと生き残った重鎮や親衛隊長フェリスが玉座側に座り、向かいにシエイエス、シェリーディア、ムウル、ネメア、特別にフォーマから要請を受けたアシュヴィンが座る――。両陣営が貌を合わせる会談が実施されている中での発言であった。
アシュヴィンが口には出さないものの驚愕と落胆を表し、シェリーディアが怒りを眼光に含ませ、フォーマに向けて遠慮のない言葉を返した。
「それは随分な仕打ちだよねえ、王様。アタシたちはアンタが地下でずる賢く隠れてる間、命がけで“ケルビム”と戦い奴らを追い払った。兵や大事な仲間を失いながらね。国だ立場だ云々の前に、人としちゃあそのデカすぎる恩義に報いる義務があるってもんじゃないか? リスクを背負ってもさ」
それに対しフォーマが口を開く前に、シエイエスが鋭い眼光で彼の機先を制した。
「アルケーは生き延び――“ケルビム”は今回の件を知ることになる。奴らを瓦解させた主体は我らレエティエムである以上、繋がっていれば当然報復を受け被害も甚大となる。その上我らが敗れれば、再度奴らの支配下に入る事にもなる以上、その後の安全保障も想定せねばならない。それが理由で間違いないな、州王陛下?」
シエイエスの言を受け、さしも面の皮の厚いフォーマも苦渋を表情ににじませた。
「仰せのとおりじゃ、司令殿。儂は州民の安全を第一に考えねばならん。奴らの思想から、それがたとえ一時の安全であったとしてもじゃ。貴殿らが払ってくれた負担や犠牲に対してはな、感謝してもしきれん程じゃし、犠牲者には心からのお悔みを申し上げたい。じゃが分かってくれい。卑怯者のそしりは儂が甘んじて受けよう。
同盟共存はできんが、その代わりハルマーいううぬらの領土は承認する。支援も惜しみなくさせてもらう。食料物資は好きなだけお送りするゆえ、それで勘弁してくれンカ」
それだけなら最悪強要されたと云い逃れできるから、か。事情は分かるが、あんまりな仕打ちじゃないか――。アシュヴィンがその言葉を視線に乗せてフェリスを見る。フェリスはアシュヴィンと目が合ったものの、居た堪れないようにすぐに目を反らしてしまった。
そこで、シエイエスから戦略副官に任ぜられているネメアが、鋭く斬り込んだ。
「領土や支援は有難く享受させて頂くとして、州王陛下。我らがそれらと同等以上に欲するものが『情報』でありまする。
このレムゴール大陸の地理、国家勢力、そして“ケルビム”について――。御身がご存じな限りの情報は頂けるものと理解して宜しいですな?」
フォーマは厳しい表情で、観念したように口を開いた。
「――地理に関しては、書物を提供する。この城内に持ち込まれた膨大な数のアルケーの本も、そのまま渡す。きっと有益な情報が得られるじゃろう。ガイドは提供できんゆえ、それらで情報を得て頂く以外にない。
伝えておくとすればのお――我がダルダネスはレムゴール大陸でも隔絶された、南端のごくごく片田舎にすぎんっちゅう事。栄世、文明、そして情報の主流は北のヌイーゼン山脈を隔てた、シエラ=バルディ、アケロン、アンカルフェルの三大州にあると心得らレヨ」
話し始めるフォーマの言葉に、レエティエムの面々は一斉に耳を傾けた。フォーマはやや上の遠い視線となりながら、話を続ける。
「三大州は州境を接し、1000年以上前とも云われるその成立時より、領土を争う尽きぬ戦乱を続けてきた。それが3年前の“ケルビム”の出現により――シエラ=バルディは“ドミニオン”、アケロンは“エクスシア”、アンカルフェルは“ヴァーチェ”いう幹部に、“アルケー”に我々がされたのと同様の支配をうけちょると聞いた。それによって州同士の戦乱はぴたりと止んだがその代わり、奴らに反旗を翻す勢力が現れ、さらなる混迷を極めとるそうじゃ。たしか――そう、“ルーンの民”。そんな名じゃッタ」
「それは……“サタナエル一族”と関係が、あるのか……?」
「それは知らん。かの銀髪褐色の一族は――はるか北のドラン高原に生きると云われた伝説の一族じゃ。いかなる歴史かわからんが、聞いた特徴はうぬらが連れとる者共と全く同じじゃ。三大州の歴史においてはその能力から奴隷化され尖兵ともなったらしい。ハロランから聞いた限りじゃが。いずれにせよこのダルダネスに来訪した歴史はなく、恐れられ忌み嫌われとる以外詳しい事は何も分からん。うぬに真っ先に聞かれた“ヴァレルズ・ドゥーム”について儂が知らんかったようにな、司令殿」
「なるほど、確証を得た。我が愚息が遭遇した“不死者”ドラガンも云っていたそうだが――。我らが求める情報の核心に迫るには、あらゆる敵勢力と事を構える覚悟で、その三大州とやらに赴く必要がありそうだ。北のヌイーゼン山脈とやらは、非常に濃い気脈に覆われた難所のようだがそれに関しては?」
「気脈……? “魔力動”、の事かのお? それならば確かに、“ケルビム”が現れたのと同時期に爆発的に強うなってきたのは確かじゃ。元よりあの山は、恐るべき“監視者”の巣窟。越えるのは並大抵じゃ成せんうえ、魔力に影響を及ぼす障害までが加わって……。あそこを越えてまともに行き来をしよった事例はここ3年記憶にないノオ」
「“監視者”、とは?」
「あのヌイーゼン山脈と一体になっちょる、途方もなく巨大な生き物じゃ……。伝説によれば、この大陸の成立時より存在すると云われる。奴自身は岩のようなもんで滅多に動かんが、奴が配下に置くと云われる怪物の操作、その餌とするための罠の発動があり、山越えは危険が伴う。
うぬらは強いが、まずもって死人が出るのは避けられん場所と思うとった方がイイ――」