第三十九話 権天使アルケー(Ⅴ)~斬・斬・斬
剣士、いや「武」の道においての高みを見出し、見事に実践開花したロザリオン。
その実力はおそらく師ダフネを超え、祖師である剣聖アスモディウスに迫る程ですらあるように思われた。
気合とともに迫るロザリオンを前に、フィカシューの戦闘態勢は数段上の警戒に入っていた。
「――っ! 全く、ムウル将軍だけではなく貴殿も――拙官を屠り得る実力に目覚めるとは。つくづく脅威なる危険勢力だ。片端から消し去っていく他、やル方無シ!!」
「――“氣刃の弐”!!」
ロザリオンは急停止し斜めに構えたブレードを「二閃」した。“氣刃の弐”が二本、フィカシューに向けて襲い掛かる。左右斜め、クロスする×印状となり死角を消して襲いくる死の巨大刃。フィカシューは回避より迎撃が適切と見てその場に留まり、強力な耐魔を展開させ始めた。目前に迫った光刃に、結晶触手二本を以て切り裂こうとするも――。
(――強い!? 斬り裂ケン――!!)
その魔力密度を感知したフィカシューは、やむを得ず強引に弾き飛ばす手段に変更する。結晶触手を内側から掛け、外側に弾き出そうとするも、斜めに放出された魔導刃を完全に弾くことはできない。刃の先端がフィカシューの両脚を切り裂き、墳血させる。
それを見極め殺到してくるロザリオンを前に、フィカシューは歯を砕けんばかりに噛みしめ、一気に迎撃に飛び出した。
「このフィカシューを――甘く見ルナ!!!」
ロザリオンの周囲が一気に巨大影によって暗くなり、上空から天罰のごとき斬撃の嵐が、降り注いだ。
まずは、負傷しながらも勢いを緩めない、両前足による斬潰撃から。――スピードが、一気に増している。どうにか回避に成功するが、今度は畳掛けるように「牙撃」が振り下ろされる。
前足の衝撃によってクレーター状になった石畳の上で、“神閃”を縦に構えて「牙撃」を受けるロザリオン。そのパワーは想像を絶した。衝撃をどうにかいなすも散らし切ることはできず、ロザリオンの身体は吹き飛び、広場の下の堀とを隔てる塀に激突した。
さらに自らの背中で石畳を崩し、衝撃に呻くロザリオンを見逃すことなく、巨影は襲い掛かる。牙撃、頭部本体から伸びる二本の結晶触手をもって、ありとあらゆる角度から斬り刻みに掛かる。ロザリオンも超越的太刀筋の冴えで防戦するが、超重量級の秒間10撃は超える熾烈な連撃に、さすがに受けきることができなくなりつつあった。
その時、フィカシューは背後に殺気を感じ――結晶触手を一本、見ずして迎撃に伸ばした。
「ううおおお!!! フィカシュー!!!」
触手が阻まれた斬撃は、アシュヴィンの“蒼星剣”によるもの。氷結魔導を込められた凍てつく攻撃が触手を伝わるが、それはフィカシューの耐魔によって阻止されてしまった。
さらに巨体の背中に乗り上げ、利き手の“狂公”で攻撃に掛かろうとするアシュヴィンの気配を感じ、フィカシューの鋭い両眼がカッと見開かれた。
「オオオアアア!!!」
身震いするような咆哮とともに、振り上げた両前足を石畳に叩きつける。広場全体が振動するような衝撃とともに大量の石片が飛び散り、ロザリオンとアシュヴィンは身を丸めた防御体勢のまま、後方へ大きく飛び退った。
そしてフィカシューが四本の足を地に着かせ即、旋を上げて襲撃を開始した先。それはロザリオンではなく――アシュヴィンであった。
より与しやすい相手を早々に片付け、邪魔の入らない状況でロザリオンを料理する算段だ。
「アシュヴィン!!!」
ロザリオンの警告が木霊する中、アシュヴィンは腰を落として石畳を踏みしめ、迎撃の体勢を整えた。
過去アシュヴィンは戦闘において、慎重に、臆病とさえいえる対応を取る事が多かった。自身の実力を考えリスクを取らず、組織や仲間にとって安全な方法を選択してきた。現在で云うならば、覚醒し確たる実力者となったロザリオンが止めを刺せるよう、うまく攻撃をかわし誘導することが最善の方策といえるだろう。だが今アシュヴィンの心中には異なる声が渦巻いていた――。
(ロザリオン様が強いからといって――。いつまでも僕が護られてばかりいて、いい訳がない。ロザリオン様は僕にとっても大事な人。僕だって、レエティエムの一員たる剣士――僕だってロザリオン様を、護ってみせるんだ――)
「僕は!! 戦う!!!」
決意の叫びを上げたアシュヴィンは、全力の氷雪魔導の障壁を身体の前面にまとい、フィカシューに殺到した。触れれば凍結する魔導をまとった魔導剣士の突撃自体も脅威だが、フィカシューが衝撃を感じていたのはそれではなかった。
(――速イ!?)
少年が初めて自分と対した、ロザリオンの危機を救った助太刀の場面。その時と比較して、いや――。
先ほど戦った、ハルメニア人の中でも頂点の域であろう剣士のムウルと比較してさえ飛びぬけて速い、言葉どおりの目に留まらぬ攻撃。それを目前の少年は放っていたのだった。
「ぬウウ!!!」
フィカシューは急遽攻撃を中止し停止、迎撃に切り替えるが、既に少年の姿は捉えられていない。
焦りを感じるか感じないかのうちに――彼は狼の腹部に熱いものを感じていた。
(――!!!)
切り裂かれて、いた。しかもそれを感じた直後にはもう、攻撃者の気配は消えていた。
次の瞬間には、背中を大きく切り裂かれた、同じ熱さを背中に感じていた。
(――バカな!! バカナア!!!)
恐怖を、感じた。少なくともここダルダネスでは、アルケー・ティセ=ファルに感じた以外に、初めて。すでに己の狼の頭部に乗り、目前に現れていた少年。突如別人であるかのように次元を幾つも超えたスピードを発揮する彼を前にして、必死で間に合わぬ防壁結晶で対処しようとするフィカシューはついに、畏れの声を上げた。
「バカな――貴様――“異能者”――それも、“半神”級か? そんな怪物、ハルメニア大陸に存在するとするなら、そレハ――!!」
フィカシューの混乱に乗じ、“狂公”の一撃をもって止めの一撃を浴びせようとしたアシュヴィン。
しかし突如――その様子に異変が現れた。
アシュヴィンは明らかに顔面蒼白となり胸を押さえ、呼吸を荒げ始めたのだ。
「ぐっ!! また――! こんな――時に――!!」
一転動きを止めたアシュヴィンに対し、フィカシューは即座に結晶触手を己の本体前面に展開し、横なぎに彼の身体を吹き飛ばした。
苦悶の表情を上げながら、石畳に向け落ちていくアシュヴィン。
フィカシューは恐怖を貼り付けた表情で、彼に対して牙撃の追撃を加えようとした。
「貴様は――危険だ。誰よりも。まだ萌芽せぬ段階で絶っておかねば、必ずや我らに――イィィィィ!!!」
冷静さをも失い、視野狭窄にすら陥ったかに見えるフィカシュー。
彼の命運はそこで完全に分かれた。
気づいていたとしても、至高の達人の技を完全に避けきることはできなかったろう。だが気づいていたなら、この瞬間に即敗北することは無かっただろう。
「虎影龍断刃術 “氣刃の伍”!!!!」
ロザリオンがアシュヴィンを援護するべく――。というよりも、二人の阿吽の呼吸によって辿り着いた、戦術の上の勝利というべき真の必殺の一撃。
ランスの先のような、円錐状の広がる突形状の魔導の武器。長さ3m、直径2m以上にもなる巨大な光の槍は、弾くことのできぬ強度と破壊力をもって――フィカシューに襲い掛かる。
「!!!」
気づいたフィカシュー。狼の首元を、己の人間の本体もろとも串刺し・壊殺しようとする死の武器に対し、彼はコンマ以下の僅差で人間部分の頸と胸部回避に成功できた。が――。
“氣刃の伍”は容赦ない破壊力をもって狼の胴体部分を完全に貫通しえぐる。ステンドグラスが粉々に破壊されたような重い鉱物の破壊音をともなって、巨大狼の胴体が分散し手足は地に落ち、人間部分の上半身は空高く吹き飛んだ。そして鉱物の内部から、他のエグゼキューショナー同様に大量の血漿をまき散らし、苦痛に貌を歪めながらも――。
フィカシューは辛うじて己の人間肩部から結晶触手を伸ばし、堀上の塀に固定。それを強く引き寄せて、己の残った身体を20m直下の堀に落下させた。
ロザリオンは猛然と敵を追い塀から堀を覗く。
藻によって緑色に染まった堀の水に沈んだフィカシューの身体は、大量の血で隠され、少なくとも直上からは確認できなかった。殺気を込めた視線を送るロザリオンだったが、やがて首を振ってブレードを収め、アシュヴィンの元に駆け寄っていった。
「――大丈夫か、アシュヴィン」
「ハア、ハッ……! ロザリオン様……奴は、死んだのですか……?」
「分からない。急所は仕留めそこなったし、死体が浮いてこない以上逃げられた可能性は高いが。奴らエグゼキューショナーがサタナエル一族同等の生命力を持っているなら、30分は水中で生き永らえる。残念ながら我々に奴を追うことは、もうできない。
それにしても――。アシュヴィン、お前いつの間にあんな途轍もない身体能力を? あれは、まるで――伝記に聞くお前の父上、ダレン=ジョスパン殿下の神魔の能力のようだった。今回はお前のその力こそが勝因だ」
「僕にも、分かりません……。無我夢中であなたの事を護ろうと思ったら、急にあんな、スピードが……。いつもより二段は上のスピードで、心臓が破裂しそうでした……。
でもはっきり分かるんですが、多分もう一度あれをやれと云われても僕にはできないでしょう。きっと今この時だけ、父が力を貸してくれた。僕はそう、思いたいです……。
勝利に関しては、僕じゃありません……ロザリオン様が剣聖となるほどに、覚醒されたのが勝因ですよ……。素晴らしい剣技でした。ダフネ様もきっと……喜んでおられますよ…………」
尊敬する師の名とともに、自分を褒めたたえてくれた事は嬉しかったが、それ以上に――。
「あなたの事を護ろうと思った」というアシュヴィンの言葉に天にも登る気持ちとなったロザリオン。
それまでの頂点に昇りつめた厳格な女剣聖の表情から一転、初恋に溺れる少女の表情になって貌を真紅に染めるロザリオン。隠しようもない照れを隠そうとするかのように、彼女は言葉を継いだ。
「……そ……そう云ってもらえて……か、か感謝する。とにかく……ううん! と、とにかく……!
エグゼキューショナーに勝利した我々は、ティセ=ファル討伐の戦場に向かわねば……。エ……エルスリードやエイツェルのことは……気になるかもしれないが……か、彼女たちの事を信じ、我々は成すべきことを、するぞ……!」
視線をさまよわせつつも優しく自分の背中を撫でてくれるロザリオンの手を感じながら、アシュヴィンは――。
美しき心を持った敵ディーネに相対する、幼馴染たちの戦場となっているであろう、ダルダネス市街。その方向へ心配と様々な感情がない交ぜになった視線を、送り続けるのだった。