第三十七話 権天使アルケー(Ⅲ)~障壁(バリエレ)の潰殺
アルケー・ティセ=ファル。この強大な女魔導士は未だ、魔導以外の戦闘手段を見せていない。
分厚い障壁を破ったとしてその先の、か細い女性にしか見えない肉体には果たして、どれほどの能力を秘めているのか。メリュジーヌは冷や汗の雫を垂らしながら、少なくない絶望を実感していた。
その心中を見ぬいたかのように――ティセ=ファルは不遜に顎を突き出し、云った。
「エグゼキューショナーを見てきたそなたらは期待しておるかもしれぬが――。あいにくわらわはかの者どものような“処置”は受けておらん。この身自体は全く生身の人間であるゆえ、傷つけばたやすく死ぬ。
我が魔導さえ破ることができればそれ即ち、そなたらの勝利でアル」
――それは裏を返せば、人外の能力に頼ることなく、その力を持つ怪物どもを束ねるだけの魔導であるのだということ。自分の弱点を容易にさらす余裕が、隠された実力のほどを物語っている。
シエイエスはその挑発にあえて乗るかのごとく、猛然と前進し――ティセ=ファルの眼前5mほどの位置で前傾姿勢を取る。
「蛇王乱舞・聖剣!!」
瞬時に数十本に分割膨張した白髪は、刃に法力をまとっていた。それは人体に触れればたちどころに法力を流し、対魔導であればその力と切り結ぶ武器となる。全方位から一斉にティセ=ファルの障壁に襲い掛かり、斬り刻む。
見えない城壁のようである障壁への攻撃は、まばゆい光と無数の風切り音として感じられる。また、凄まじい魔力による圧も衝撃となって襲い掛かる。
その攻撃は先ほどと同じくティセ=ファルの壁を切り崩し、本体との距離を縮めていく。
先ほどの攻撃と同じく、破り切ることはできないかに思われたが――今回は差異があった。
シエイエスと長年にわたり共に戦い続けてきた、2人の腹心が攻撃に加わっていることだ。
「おっらあああああ!!!」
低い姿勢で前方に飛び出し、出現させた雷撃の刃を横薙ぎに振るメリュジーヌ。髪の刃で削りに削られた深みに振られた刃は、さらなる障壁の破壊を行う。腕がちぎれんばかりに滅多切りにし、死に物狂いでその先の敵へと辿りつこうとする。
間髪を入れず、彼女と反対側から攻め込んだモーロックも、怒涛の攻撃を開始する。
彼のそれは魔導を用いない物理攻撃だが、サタナエル一族で最も硬い結晶手と最強のパワーを誇るモーロックであれば、単純な物理攻撃でも壁を削り取り得る。一撃の重さで障壁が削られるだけに留まらず、吸収しきれない振動と衝撃はティセ=ファル本体に達し、彼女は貌を歪めながら後方へとよろめいた。
先ほどシエイエスが達した厚さ1mを超え、50cmに達しようとしている。眼前に迫る銀髪褐色の戦士2名を前にして、ティセ=ファルの表情から尊大な様相は消え始めていた。
身体を丸めて右手指を額に食い込ませたティセ=ファルは、低く唸るような声を発した。
「やるでは、ないか――。力と力を相乗させた、見事な攻撃よな。
ここから先は苦痛を伴うゆえ、わらわも解放は避けたかったがむざむざここで死ぬ訳にもいかぬ。
受けよ、真の打壊魔導ノ、力ヲ!!!」
指の食い込んだ額の傷から血を滴らせながら――ティセ=ファルは一気に身体を反らした。
同時に周囲に発露される、馬鹿げた魔力。
修羅の形相で攻撃を加えていたメリュジーヌの表情が、瞬時に恐怖の様相へと変化した。
「まずい!!!」
シエイエスは緊迫の表情で己の両肩に“定点強化”を打ち込み、腰の双鞭を抜き放ってメリュジーヌとモーロックの身体へ巻き付けた。そして直ぐ、全力の怪力で鞭を引き、二人の身体を引き寄せた。
「“圧縮殺爆裂力場”!!」
――瞬間。
ティセ=ファルの身体を中心として、前面に扇状に展開した、地獄の力場。
グシャッ! グシャッ! グシャア!! ――と、聞いたこともない、背筋を凍らせるような大音量で空気を圧縮しながら広がる破壊の魔導。
やがて付近の壁に到達し、アダマンタインの壁自体には歯が立たないものの、木や鉄でできた構造物や燭台を瞬時に潰し消滅させる。
鞭で引き寄せたメリュジーヌ達を渾身の力で後方へ飛ばし、すぐに鞭を放して両手を交差させ、全力の耐魔を味方全員に向けて張り巡らせるシエイエス。
「お前達!!! すぐに全力で耐魔を張れ――」
振り向いて叫んだシエイエスの身体を直ぐに――。
彼にとってすら暴虐の域である魔導が、降り貫いた!
「ぬっうううううおおおおっ!!!」
あまりのプレッシャーに、思わず悲鳴を上げるシエイエス。
飲み込まれそうになる身体を必死に、踏みとどまらせる。
自らが圧搾機にかけられる物体と自覚するほどの、恐るべき圧力。
内臓からこみ上げる血を吐き出した、瞬間。
前面に交差させた両腕と、右足が一気にすり潰され、彼の身体は地に転がった。
「――!!!」
痛みに支配される身体を強力にコントロールし、すぐ血まみれの上半身を反転させる。
視線の先に――無力化した自分を素通りし、腹心達の抹殺に向かう敵の姿が目に入った。その身体には無数の血管が浮き上がり、美しい貌は苦痛に歪んでいる。おそらく真の力を解放する代償としての、身体中に走る激痛に耐えているのだろう。
だがそれによって現在――この女は間違いなくナユタ・フェレーインに匹敵しうる、魔導の化け物。自分の庇護なしに配下達が対抗できる相手ではない。
シエイエスは必死の形相で、自らの武器である変異魔導の力を振り絞った。
「ううおお!!! メリュジーヌ!!! モーロック!!!!」
上を向かせた肋骨3本を膨張伸長させ、ティセ=ファルを背後から串刺しにせんと迫らせる。
法力をまとわせた骨針の先端は、生身の女の走りにたやすく追いついたが――。
背中から迫るそれを、ティセ=ファルは振り返ることもなく後ろにかざした手の甲の先に発生させた障壁をもって、たやすく手折ったのだ。
メリュジーヌとモーロックは、先ほどとは比較にならない魔導の威力に、成すすべなく吹き飛ばされアダマンタインの壁に激突していた。モーロックは大ダメージを受けつつも四肢を保っていたが、彼ほど頑強ではないメリュジーヌは両脚と脳の一部が潰れ、意識が朦朧としたままうずくまっていた。
「まずはそなたらかラ、死ネ」
振り下ろされようとする、死の鉄槌。
――甘く見た、つもりはなかった。敵の実力に応じ、何段階も策も用意していた。だが敵の力は、その想定をはるかに超えていた。時間を稼ぐことすら、できなかった。「増援」が到着する、その時まですらも。今は無力の絶望の中、ただただ死を、甘んじて受け入れる。最早それしか、道はない。
だが。
魔導の化け物が、力を解放するその瞬間。
化け物に覆いかぶさるように、立ちふさがった巨大な影。
それは――。
死を覚悟し、大切なものを護るため立ち上がった一人の男の、姿だった。
「フッ――ウウウ!!! ……ジーニィ! おれは――おまえを――!!!」
視野が大きく欠け、茫漠とした、メリュジーヌの視界。
そこに捉えられたのは、愛しい存在の大きな影が――。
一瞬で、上下にすり潰され。
大量の血の霧と、あまりに小さく裁断された無数の肉片を残し――。
虚空へとその存在を、永遠に――消滅させていった、その一部始終だった。
脳から流れ続ける血の滝にも構わず、メリュジーヌは目を剥き切り、絶叫した。
「……う……あ!!! ああああああ!!!! あああああああっーーーー!!!!!
モーリィ!!!!! モーリィいいいいいいいいいいーーーー!!!!!」