第二十九話 渦恋
一気に数十本、半径10m以上に展開した変形の刃は、縦横無尽に上空の風魔導に向かった。そして目に留まらぬ早さでそれらを確実に、消滅または弾いて無効化させていった。
そして、急降下してくるテオスの巨大な本体。
こちらに関しては、シエイエスのもう一つの武器が発動した。肋骨の変形“骨針槍撃”である。
鎧の間から飛び出した六本の肋骨が、先端を見る見るうちに肥大。そのうち、中央の二本が後方の地面に伸びて荷重を受けさせ、残りの四本の肋骨が上空に向かって伸びた。それは脅威のスピードで10m以上に伸び、テオスに全く反撃を許すことなく両肩、両翼を貫通して衝撃を打ち消しつつ上空で彼を串刺しの囚われの身にした!
「ぐっ――ぎゃあああああああああああ!!!!
痛てえ、痛えええああああアア!!!!」
おそらく彼が滅多に味わうことがないであろう激痛に貌をゆがめ、かつ敵に生殺与奪権を奪われた絶望感からか悲鳴をあげる。
その彼に向かってシエイエスは、静かに云い放った。すでにその身には、テオスが流した血を大量に被っている。
「どうだ? 己の無力さを思い知ったか?
残念だったな。もっと早く敵の力量を見切っていれば、無駄に命を散らさずに済んだものを。
が、もう遅い。このまま髪の刃で刻み、貴様の頸椎を破壊させてもらうとしよう」
右手を上空にかざし、動き始めようとするシエイエスに対し、狼狽と恐怖の表情を向けわめくテオス。
「ま、待って!!!! た、頼む、殺さないで!!!
ボ、ボクはアルケーの命令で動いているだけだ! キミらの仲間に手出ししたのだって、ボクの意思じゃないんだ!!! お願いだ! ボクは寿命に限りがあるんだ、こんな所で死にたくないンダ!!!」
「随分都合のいい云い訳だな。俺の仲間たちが例えば同じように命乞いしたら、貴様は助けたのか? かえって喜んで嬲り殺しにしたのではないのか?」
「そんなことはない……ありません!!! ア、アナタの偉大さは分かりました!!! 何があろうと逆らいません!! アルケーも説得します!! だから助けて……殺さなイデ……!!!」
ついにプライドをかなぐり捨てて泣きじゃくるテオス。シエイエスは目を閉じてため息を吐き、骨針を戻してテオスを解放し、云った。
「今回だけは、見逃してやろう。その代わり、アルケーには良く伝えろ。今すぐにこのダルダネスから身を引き、我らハルメニア人にも手出しせぬと誓えと。さもなくば俺の刃と骨針が貴様を肉片に刻むとな」
テオスは空中でふらつきながら、すぐに一目散に、収容所に向けて飛翔していった。
「ひっひいいいいいいいイイイイイーー!!!!!」
逃亡するテオスを見て、アキナスは衝撃に身を震わせていた。
何という、強さなのか。
シエイエス・フォルズ。レエテの右腕で夫、サタナエル大戦最大の英雄の一人。現在のハルメニアでも屈指の戦闘者である偉大さは理解しており、実際に彼の実力も目にした事があったアキナスであったが、これほどとは。唯一無二の変異魔導、無数の限定解除を経てきた強大きわまりない魔力。あのエグゼキューショナーですら、赤子扱いだ。
シエイエスは肋骨と髪を収め、アキナスに歩みよった。
そして手を差し伸べ、その胸に姫抱きにしたのだった。
「あ、ああああわわわわわ、そ、そんな……シエイ……」
「大丈夫か、アキナス。脅威は去ったが、ここからは俺たちも逃げねばならん。行くぞ」
そして、もはや見物人の一人もいなくなった戦場を悠然と後にし、裏路地へと入ったのだった。
裏路地の陰でアキナスを建物の壁際で降ろすシエイエス。アキナスは嬉しさのあまり舞い上がり、口もきけないほどだった。
死海の船上で少女達に語ったように彼女にとってシエイエスは絶対の理想の男性であり、なおかつ初恋の男性でもあった。
少女時代に師ナユタの引き合わせでシエイエスに初めて目通りした。その容姿、強さ逞しさ、大人の色気、知性、カリスマ性。会って一目で、恋に落ちた。シエイエスがボルドウィンに訪れるのは年数度だったが、そのたびに健気に通いつめ、緊張で不器用ながら一生懸命に彼から教えを乞うた。
成人し、ナユタの影響か不敵な男好きする女性となった後も、自室の引き出しに密かにシエイエスの肖像画を隠し持ち、少女のように見つめるのが習慣だったほどだ。
現在はムウルと男女の仲であるうえ、このような時に不謹慎ではあるが、アキナスはこのままずっとシエイエスと二人で居たかった。地に降ろされたあと、再びシエイエスにしなだれかかり、胸に貌をうずめた。
「あ、ああ……ありがとう……ございます。このご恩は一生、忘れません……」
シエイエスは軽くかぶりを振って微笑み、答えた。
「俺がお前たちを助けるのは当然のことだし、特に目をかけてやったお前のことだ、そんな風に思わなくていい。ともかく無事でよかった」
「あの……エグゼキューショナーは……」
「何が云いたいかは分かる。確かに奴を仕留めておいた方が後顧の憂いは断てるだろう。
が俺は、奴がメッセンジャーとして身をもって俺のことをアルケーに伝えてもらう事を優先した。そうすれば放っておけぬ脅威として、あの女の目を俺に引き付けることができる。お前たち若者から目をそらすことができる。
あのアルケー……。俺もそれ以前から情報を集め、広場でも見たが、恐るべき怪物だ。あれは俺やシェリーディアが相手をするべきで、お前たちに近づけさせたくはない」
「……そうですね。アシュヴィンにも……近づけちゃいけない……」
「その通りだ。だがあいつは見た目と裏腹に芯の通った熱い奴だ。使命感からかえって危険に飛び込むようなことをきっとしでかす。ここへ来て、どんな心当たりでもいい。アシュヴィンが行きそうな場所の見当はつくか?」
云われてアキナスは、潜入中にアシュヴィンと交わした何気ない言葉を思い出していた。
「そう云われれば……あいつ、収容所の子供達をかわいそうに思ってるみたいでした。
アタイは戒めましたけど、何か行動を起こすとしたら、子供達を助けるのにつながる事かもしれません」
「あり得そうな事だな。その線で、あいつの行方を探りながら行動してくれるか。お前たちが分かれたムウルらも居る。あいつらの動向も探りつつ、危機を助けられるよう動いてくれ。巨大な戦闘の気配、敵の魔力には特に注意を払え。俺はもう少し、独自に動くことがある。頼んだぞ――」
*
「――それで、収容所を中心に色々探りつつ魔力の気配に気を配ってたら、どでかいのが現れて案の上その相手がオメーだったってわけ。本当……シエイエス様……最高。あんなに強くて、何でもお見通しで……。はあ……」
うっとりとした表情のアキナス。いずれも純情なアシュヴィンとロザリオンは彼女にからかったり返せる言葉を持たず、貌を赤らめるのみだった。
「それじゃアタイは、少し出口までの道を偵察してきます。アルケーの奴が手を回してないとも限りませんしね。それまでロザリオン様たちは、そこでしっかり身体を休めててくださいよ」
アキナスを見送ったアシュヴィンはその後、自分の想像以上の疲れをどっと身体に感じ、ロザリオンとともに火球をたき火代わりにして座り込んだ。そしてうとうとと、いつしか眠り込んでしまったのだった――。