第二十二話 その言葉への手掛かり
「アンカルフェル州はな、アシュヴィン。北のヌイーゼン山脈に沿って境を接する州だ。フェリスも知らぬだろうが、山脈で隔絶されたダルダネスと異なり、北の世界は州同士の戦乱によって長く荒廃してきた歴史を持つ。身寄りのない子供だった私も少年兵として徴収され、いつ終わるとも知れぬ戦場で明日も知れぬ身だったのだ。
ある時隣のアケロン州とのある戦場で、私と仲間は大人たちに囮として使われ、ただ中で孤立した。1万の軍勢に取り囲まれた、500人の少年兵団。傍からみても馬鹿馬鹿しい戦力差だ。当然私達は全員、死を、全滅を覚悟シタ」
「……」
「そこへ――黒い風のように現れた、一人の騎馬の男。
武器も帯びず馬も含め全身真っ黒の装いで、30代ぐらいに見え――。葉巻を咥えながら不敵な笑みを浮かべていた。
そいつがただ、そこに現れただけで、アケロンの屈強な軍勢の中にたちまち恐慌が巻き起こった。そしてそいつが子供の私たちが分からぬ何やら難しい言葉を敵に投げつけると、敵は――。何と一目散に退散していったンダ」
「そんな――1万もの軍勢が!? その男は王族か何か、力を持った人物だったのでスカ?」
「いいや。40年以上も前のことだが、その時肌で感じた感覚は今でも覚えている。彼の力の源は権力ではない。『暴力』であると。
私は彼に素性を尋ねたが、答えてはくれなかった。ただ彼にとって助けた行為に深い意味はなく気まぐれであり、私たちが運が良かったのだとだけ告げた。そして去って行こうとした。
兵団の束ね役だった私は――その強い男に、すがるように云った。私たちを連れていってくれ、こんな所はもうイヤだ、あんたの行く所についていき、一緒に戦わせてくレ、ト」
「……」
「だが男はそれを鼻で笑い、拒否した。その時云った言葉が――。
『悪いこたあ云わねえ、やめとけ。
おたくらみてえなお子様が、“ヴァレルズ・ドゥーム”の洗礼に耐えられるとでも? ジーザス、冗談にもならねえ。ほんの入り口以前の問題だ。拾った命を大事にして、細々やってきな。アンカルフェルがイヤだってんなら、死ぬ気で山脈を越えてダルダネスにでも行ってみちゃあどうだ。
その方が万倍は後悔せずにすんで、長生きできるぜ』とな。あまりに印象的で、未だに一字一句覚えている。
――その後、私は彼の言葉に従いダルダネスに渡り、今日に至るといウ訳ダ」
歩きながら語る、ハロランの言葉に――。
アシュヴィンとフェリスは固唾を飲んで聞き入ってしまった。
ハロランが、「知っているのとは違う」と云った意味は良く分かった。彼は“ヴァレルズ・ドゥーム”について知っているのではなく、ハルメニア人と同じく別の人物から言葉として聞いていただけだった。
その尋常でない驚くべき人物は、もし今も生きていると仮定すれば年齢は70代から80代の間ということになろう。レムゴールでは分からぬが一般的な寿命を超えている年齢で、かつ戦乱に身を置く人物とするなら生きている可能性は限りなく低いことにはなろうが、アシュヴィンはわずかながらのこの手掛かりを信じることに決めた。
その後は、アシュヴィンの質問は内容を変えつつ多岐にわたった。レムゴールの歴史、世俗、情勢、常識に至るまで未知の地を理解するのに必要な事実を聞き出した。対してこちらからも恐怖を払拭し信頼を得るためのハルメニアの情報を、軍事機密に触れない範囲で伝えた。
ハロランの情報どおりダルダネスが山脈で隔絶されていた影響で、北方の情報というかレムゴール全土の情報に関しては、断片的なものを得られるに留まった。それでも得るものは多く、これまでに感じたとおりにレムゴールの常識はハルメニアと異なる面が多く興味深い。アシュヴィンはこれを仲間に伝えるため、情報を詳細に記憶しようと努めたのだった。
そして、敵についても。その概要と名を。
“ケルビム”の指揮官“アルケー”として派遣されてきた女魔導士、ティセ=ファル。
その配下の10名のエグゼキューショナーのうち、州都近辺に常駐するエリート5名。
“カラミティウルフ”フィカシュー。
“タランテラ”アンネローゼ。
“ギガンテクロウ”テオス。
“デュアルライノセラス”ザンダー。
“ホワイトドラゴン”ディーネ。
このうち、これより赴く収容所にて待ち構えるのは、因縁の“ギガンテクロウ”と、“ホワイトドラゴン”。その名をアシュヴィンは、記憶に刻み付けたのだった。
*
やがて一行の行く道は、岩肌がむき出しの坑道から石造りの通路へと変化した。大きさも5m四方ほどの間口と、やや大きくなった。先導するハロランが表情を変化させ、腰の大剣を抜き放った。
「フェリス、アシュヴィン。お前たちも戦闘体勢を取れ。ここは、この石壁は“収容所”のもの。すでに敵ノ勢力圏内ダ」
小声で警告するハロランに従い、フェリスはレイピアを抜き放った。その所作と構えは間違いなく一流のもので、油断のない表情ともども、信頼に足る戦闘者であることを確信させた。
その彼女が、アシュヴィンに声をかける。
「君は抜かないのか、アシュヴィン? 上王陛下より賜った剣が手に合わないのカイ?」
云われたとおりアシュヴィンは腰の双剣を抜かずに、鞘に手をかけるに留まっていた。
「いや、剣は僕に勿体ないぐらいの業物だ。不満があるわけじゃなく――ある尊敬する剣豪の女性から最近教わったコツを試したいと思って。抜刀術のね」
フェリスは怪訝な貌で、右手親指を鞘に当てるアシュヴィンの仕草に目を向けた。
「抜刀術って――イスケルパの剣士が良く使う、あの? ハルメニアはイスケルパとは交流があったノカ?」
フェリスのその反応から、レムゴール人がイスケルパ人に抱く胡乱な偏見・差別意識が垣間見えてアシュヴィンは苦笑した。
「そう。幾人もの剣豪や剣聖が渡航してきて、技術を広めた。今や本場の剣士よりも強いかも知れない剣豪が――僕の母も含め幾人もいるんだ。僕にコツを教えてくれた女性も、美しい上にとても強い」
ロザリオンのことを脳裏に浮かべたアシュヴィンは、その後すぐにエイツェルとエルスリードのことを思い浮かべた。
自分は今から危機のただ中に飛び込もうとしている。もしここで戦死すれば彼女たちと会うことはもう叶わない。とにかくハルマーに戻り、生きて無事でいてほしい。その一念に閉じたアシュヴィンの両眼はしかし――。
瞬時に再度開かれた。そして前方に向けて鋭い怒声を放った。
「誰だ、そこにいるのは!! 出てくるんだ!!!
隠れているのは分かっている!!!」
思わず振り返ったハロランやフェリスが気づかない、抑えたかすかな魔力をアシュヴィンはいち早く感じ取ったのだ。
前方を睨み据えるアシュヴィンの視界、暗闇の中通路の柱の陰からその人物はゆっくりと歩み出てきた。
その人物の姿を認識したアシュヴィンは思わず驚愕に目を見開き、かすかではあるが鞘にかけた手を緩めてしまった。
待ち伏せていた敵、という相手の素性には似も似つかぬ姿がそこにはあった。
まず人物は、女性であった。160cmほどのほっそりとした、白い貴族衣装に身を包んだ外見は、一見して10代後半か20代前半と見える清楚な佇まい。ブーツが辿る足の運びも優雅であり、女性が高貴な出身であることは即座に判断できた。
前髪は切り揃えられ、後髪は後頭部でポニーテールに結ばれた三つ編み。髪の色はアシュヴィンの義父シエイエスのように純白であり、全身が暗闇の中でも浮き出るような白で統一されている状態。
貌は線が細く丸みを帯び、小ぶりな鼻と小さな唇、大きな目ときわめて可憐な造りであった。ただし空色に輝く瞳、やや吊り上がった細い眉は非常に強い意思――迫力とを感じさせていた。
女性は、待ち伏せた対象である3人を見回すと口を開いた。
外見のような柔らかさを持ちながらも双眸が表す印象に近い、凛とした声だった。
「レジスタンスの諸君、そしてハルメニア人の少年。
ボクは君らを、待っていた。
名乗らせていただこう。ボクは――“ケルビム”のエグゼキューショナーが一人、“ホワイトドラゴン”のディーネ・ラシャヴォラクという。
君らと話がしたくて、ここデ待ッ――」
考えられる限りの最悪の名を名乗った相手、エグゼキューショナー・ディーネに対し――。
攻撃は、彼女の言葉を遮って開始されていた。仕掛けたのは、フェリスだった。
彼女は鬼気迫る表情でレイピアを振り、神速の突きを仕掛けていたのだった。
「死ねエェェ!!!」
レエティエムの強豪でもかわし切れるか分からぬ攻撃。それを前に“ホワイトドラゴン”ディーネは微動だにしなかった。代わって彼女がとった行動は――“結晶化”だった。
恐るべき速さで繰り出された結晶は、背中から生えた「翼」の形態。鳥、のそれではなく、コウモリ――いや、彼女が名乗ったごとくの「ドラゴン」の翼。それも通常黒い結晶が、フィカシューのように色を伴っていた。ディーネのそれは、「純白」の結晶体で構成されていた。
翼はディーネ自身を守護するように彼女の前面に出、フェリスの怒涛の突きを完全に防いだ。
そしてフェリスの退避行動を許さず、変形した翼は包み込むように彼女の身体を絡めとって捕らえた。
「あアァ!!!」
「フェリス!!!」
即座にアシュヴィンは前に踏み出し、放った。
身構えていた、抜刀術の一閃を。
「虎影流抜刀術、“襲爪の閃”!!!」
ロザリオンの教え通り刃の軌跡をなぞるように親指に力を込めて、利き手の左手で一気に抜刀。錐揉み様の水平突撃を放ち見事、翼の結晶に届かせる。
鉱物と金属が打ち合う不協和音の後、威力にひるんだ翼がフェリスを放して後退する。アシュヴィンはその隙を見逃すことなくフェリスの身体を抱きかかえ、一気に後方に跳躍した。
翼を引っ込めようとする敵に対し、ようやく目が追いついたハロランが追撃を加えようと飛び出したところで、ディーネは鋭く言葉を放った。
「待て! はやるな、剣を収められよ。
ボクには、君たちと戦う意思は、ない。先ほど云おうとしたように、君らと話がしたくてここに来た。
一刻も早く停戦し、一緒に来てもらいたいんだ。
すでに“ギガンテクロウ”が更生施設に帰還してしまっている。時間がないんダヨ」