第二十一話 招かれざる侵入者達
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ダルダネス北壁地下、用水路。生活用と工業用の排水が流れるとみられる、異臭が鼻をつく暗渠道だ。
幅10m、高さ5mほどの空間で終わりの知れぬ長さに見える用水路を、ムウル、モーロック、メリュジーヌ、ロザリオンの4名は進んでいた。
先導するのはモーロックとメリュジーヌ。不意打ちを受けてもただちに死ぬ確率が低いことから、彼ら自身が買って出た。そしてそのすぐ後ろを攻撃力の高いロザリオンが固め、少し離れた後ろを、リーダーのムウルが警戒しつつ殿を務めていた。
排水を流すために城壁外へ開放されていた口から、彼らは侵入した。北部は無人の地帯だからか、警備はより手薄となっており侵入は容易だった。
モーロックが声を落としながらメリュジーヌに話しかける。
「どうも――敵の気配を感じんのぉ、ジーニィ。不気味じゃ。嵐の前の静けさっちゅうか、油断したとこを狙おうっちゅう魂胆にも思えるなあ」
メリュジーヌは恋人の太い腕に身体を寄せて抱き着きながら、同じく小声で答えた。
「相変わらず心配性よねー♪ モーリィは。出てきたらそんときはそんときよ。よそ者の組織が、攻め込んだ先で作った急ごしらえの体制だよ? あたしは単に警備の余力がないか、高をくくってる程度のことだと思うよお♬」
人目をはばからずスキンシップを図る二人を見て、赤面するロザリオン。
老け顔大男のモーロックと子供のような外見のメリュジーヌが並ぶと親子のようにしか見えないが、それでも二人はお似合いに見えた。自分の女性として大柄な身体も少しコンプレックスに思っていたロザリオンは、どうしても考えてしまう。アシュヴィンは自分とさほど背丈の変わらない大女の自分を、どう見ているのだろうか――と。
そして思い出すと、心配も再燃する。果たして彼は、無事でいてくれているのだろうか?
うじうじと悩むロザリオンの気配を背中で感じたのか、メリュジーヌが振り向いて話しかけてきた。
「ロザリオンちゃん? あんたまーた、アシュちゃんのこと考えてんでしょ? 図星?♪」
常に、悪気はないがデリカシーの欠片もないメリュジーヌの言葉。ロザリオンは松明の光でもはっきりわかるほど顔を赤くし、うつむいた。
「つらいよねー、恋する乙女としては。大丈夫、心配しなさんな。
あたしはねー、あの子をオムツの取れない赤ちゃんのときから知ってる。もちろん、師匠の一人として体術や魔導を教えてもあげてきた。
そのあたしから見てあの子――アシュちゃんはねー、ただモンじゃないよ。そりゃあ、あたしが最も尊敬するシェリーディア様の血を引いてるんだもの、魔導戦士として天才なのは当たり前だけどそれだけじゃあない。
あの子が何より凄いのは、誰にも思いつかないことを思いつくお頭の回転と――いざってときの誰より強い肝っ玉なんだよー」
「……」
「あの子が5歳のときだったかな。レミオンのバカが北壁の氷を見に行こうとして、こっそり家を抜け出した事件があってね。あの子も嫌々ながら付き合わされたんだ。
あいつらの身体能力だから、ガキのくせに結構な距離まで進んでね。20km離れた峡谷で、あいつらはラルヴワイバーンの襲撃を受け、滑落した」
「……!」
「怪物に心臓を傷つけられ、レミオンは虫の息。アシュちゃんもケガをし、谷底で怪物に追いつめられた。普通のガキなら泣き叫んで、なにもできやしないだろうけど、あいつは違った。
覚えたばかりの氷結魔導を使って氷の結晶を出現させ、太陽の光を収束し――。樹の葉に燃え移らせて火事を起こしやがったんだ。ジャングルの怪物は例外なく火が嫌いだっていう教えられたことを、しっかり覚えてた。そんでラルヴワイバーンを追い払っただけじゃなく、その光を使ってレミオンの心臓の傷も焼き処置した。当然火事なんて起きたもんだから――レエテ様が必死で心配して出していた捜索隊にすぐ見つけてもらえたってわけ。
捜索隊の一人としてあたしがあいつらを見つけたとき、アシュちゃんは落ち着き払ってたよ。大したもんだって思ったの覚えてる」
それに思い出を喚起されたか、モーロックが笑顔でうなずきながら云った。
「そうじゃったのお……。おれも良く覚えちょる。なにせジーニィ、お前とおれのキューピッド役にもなったからのお、アシュヴィンの奴は」
「え……そ、そうなのか……? アシュヴィンが?」
意外な事実を聞き目を丸くするロザリオンをしり目に、メリュジーヌが興奮を隠さず云った。
「あーそうそう! そうなのよ、あの時よねーあたし達の馴れ初め♪
モーリィも、その時の捜索隊に加わってたんだけどね、見つけられたその時にあの子は云ったのよ。
『たすけてくれて、ありがとうございます……。ぼく、モーロックさまとメリュジーヌさまといっしょに、かえりたいです』って。
ガキのくせに気づいてたのよね。無垢な少女のあたしが密かにモーリィを慕ってたことを。それで帰途の間ずっと一緒になって、あたしモジモジしながら一生懸命モーリィに話しかけて。そこであたしに興味をもってくれたモーリィが、次も会って話そうかぞい……なんて云ってくれて! きゃー!! やだやだ、もー!♬」
初な昔を思い出したのか、珍しくメリュジーヌが照れて貌を赤らめた。その彼女の頭をやさしく撫でるモーロック。二人の姿に、ロザリオンは表情を緩めて、感慨を込めた声色で云った。
「そうか……。目端の利くすごい子供だったんだな、アシュヴィンは……。
でも、そんな彼が結び付けた貴殿ら二人も……。すごくお似合いで、素晴らしい恋人同士、だと思う」
口下手だが感情のこもった言葉を聞き、モーロックが答えた。
「ありがとう。お前も、最初に思っとったのとはだいぶ違う、良い娘じゃな、ロザリオン。
何やら色々思い悩んどるのは伝わってくるが、おれから見れば杞憂じゃと思うぞい。
お前は自分が思っとるより気持ちのある魅力的な娘じゃし、こういう云い方はなんじゃが、きっと良い嫁になれると思うぞい」
思わぬ、しかし嬉しい言葉を聞いて、ロザリオンはハッと貌を上げた。それを見てメリュジーヌが頬を膨らませる。
「もー! 何他の女に甘いこと云ってんのよ、モーリィ! 心の広いあたしでも、許さないぞ?☆」
それに笑いながら返そうとしたモーロックだったが、当のメリュジーヌの様子の激変を見取って、貌をこわばらせた。メリュジーヌは蒼白で頭を抱えながら、低く言葉を発した。
「――上だ。強い、魔力。この魔力は――アキナスちゃんの魔力と同時に感じた、敵のやつだ。
あの子たちと戦った、もしかしたらエグゼキューショナーの奴。おそらく間違いはない。
――ムウル!」
鋭く自分を呼ぶ声に、ムウルは厳しい表情で近寄ってきた。
「ああ、メリュジーヌ。目的の敵さんがここに来たってんなら、迷うこたあねえだろう。
この上にある建物に、俺らは侵入を開始する。
危険は伴うが、アキナスとアシュヴィンに辿り着ける最短の方法だ。敵さんをとっ捕まえて、あいつらの居場所を吐かせるとしようぜ」
モーロックと同時にうなずいたロザリオンは、腰の大太刀“神閃”の柄に手をかけながら、鋭さを込めた眼光で心中つぶやいた。
(アシュヴィン……私は、お前が生きていると信じている。待っていてくれ。私は必ずお前を見つけ、救い出して見せる)
*
同時刻。
ロザリオンらが潜入した用水路よりも数十mの地下を這う、坑道。そこを移動する3名の人影があった。
手に松明よりも数段明るい青い照明――“蒼魂石”をはめ込んだ燭台を持ち、3人を先導する軍人風の初老の男。ダルダネス州准将ハロラン・ダッヂソン。
そしてそれに続く、軍装の金髪女騎士、フェリス・フォートモーナス。
彼女に先導される、ロザリオン達の目的の一人である――アシュヴィン・ラウンデンフィルその人だった。
フォーマ・ギブスン上王との取引に応じ、ダルダネス収容所での解放作戦への参加を承諾したアシュヴィン。“ケルビム”に対し隠密の攻撃を仕掛けるため、作戦部隊は少人数に分かれ、戦力の中核であるアシュヴィンに対してはレジスタンス有数の強者である二人の軍人が同行することになったという経緯だった。
ただ実際には――フェリスの方は自分からアシュヴィンへの同行をフォーマに上奏し、認められたとのである。彼女はアシュヴィンの剣技の冴えにすっかり惚れこんでいたし、救出した直後に増して近い距離でぴったりと張り付くようになっていたのだ。
「――そうか。“純戦闘種”という血筋の影響なんだね、君の身体能力は。そして剣技はお母さまに教わったと。“レエティエム”――とてもいい名だね。そのハルメニア勢力に君すらかなわないような強者がひしめいているのも凄いけど――。私は上王陛下の斧の上に乗り、剣を突きつけた君の雄姿が目に焼き付いて離れない。本当に、君と一緒に戦えて光栄ダヨ!」
貌が紅潮し、目が潤んで輝いている。フェリスに自覚はないかもしれないが、明らかにアシュヴィンを男性としても意識してきているようだ。自分に身体を接するほど近づいてくるフェリスの圧に気押されながら会話を続けていたアシュヴィンだったが、少し自分に対する話題から離れるように別の会話を振ることにした。
「あ、ありがとう、フェリス……。ところで話は全く変わるんだけれど……一つ尋ねたい。
あなた達は、“ヴァレルズ・ドゥーム”という言葉に、心当たりはないだろうか?」
先ほどフォーマに尋ねればよかったのだが、アキナスの身を案ずるあまりすっかり失念していたのだ。だがフェリスには心当たりがないのか、質問を聞いて困ったような表情になり、前方を歩くハロランに向けて云った。
「ハロラン閣下。あなたはご存じですか? 今彼が云っタ言葉ヲ」
するとハロランは、視線を前方から移すことなく、しかし低い真剣な声色でこれに答えた。
「……うむ。知っている、のとは少し違うかもしれんが、耳にしたことはある。そうだな、あれは確か私が故郷であるアンカルフェル州にいた、10代の頃だっタカ――」