第十九話 暴力の相乗
ハルメニア人としての誇り。家族というべきサタナエル一族一員としての誇り。絶対神聖なる母レエテの血をただ一人引く者としての誇り。
自らを鼓舞するように口にした誇りは、大ダメージに抗う力をレミオンに与えた。
彼は狂気的な笑みを貼り付けたかと思うと、瞬時に姿を消すスピードをもって跳躍した。
水平に跳躍しザンダーの後脚に到達したレミオンは、そこへ即座に渾身の蹴りを叩きこむ。
14歳の時点で父シエイエスの体格を上回り、レエテから受け継いだ高密度の筋肉を186cm、90kgの肉体の中に備える彼。鍛えた蹴りは直径1mの鉄柱をたやすくへし折り、アトモフィス・クレーターの大半の怪物を一撃のもとに屠る威力を誇る。再び巨体をぐらつかせるザンダーだったが、彼も並の怪物ではない。驚異的頑丈さと筋力をもって耐える。
まして初撃でない為に予測されている。伸長手による連撃で巨体を倒そうとするレミオンに対し、ザンダーは反撃で応じた。
「ぐうあああはははははははあああ!! 甘い!!! 甘いわ小僧オォッ!!!」
身体全体に放電される、強烈な電撃。攻撃態勢に入っていたレミオンの右手に、耐えがたい衝撃と激痛、敵の身体に対しての凄まじい反力がかかった。磁力の反発で吹き飛びながらレミオンは、背筋を駆使して地につけた脚から下半身を全力で踏ん張り、数m後方でどうにかこらえた。
「がはっ――! ぐぅ――痛えじゃ――ねえかああああ!!!」
当然、鈍重な動きをカバーするために体得したのであろう雷撃魔導。レミオンの体感で、同族の魔導戦士であるメリュジーヌにすら引けをとらぬ強さの魔導だ。それに戦意を挫けさせず怒りにエネルギーを変換したレミオンは、全く動きを鈍らせることなく再度ザンダーに襲い掛かった。
今度は、縦の跳躍だ。それも――結晶手を突き出したまま高速で自らの身体を回転させる、攻撃を伴った襲撃。
母がスキュラをはじめとした幾多の巨獣や、強敵を葬ってきた、その技を繰り出したのだ。
「“円軌翔斬”!!!」
異様な敵の技に反応したザンダーはレミオンに向き直り、獰猛に歯をむき出した。
「何じゃ、その技はああ!!! 大した身体能力じゃがなああ、それが、どうしタガアア!!!」
片側の頭部を高速で振り、迎撃に入るザンダー。砲弾の威力をもったそれに激突したレミオンの結晶手は、敵を上回る衝撃力で斬撃を加える。ザンダーの鼻頂部の角――長さ1m近い凶器に対し、見事に先端を欠けさせた。
だが敵はその程度のダメージでは怯まない。押し寄せてくる巨大な頭部に対し、レミオンは耳部の巨大な突起に取り付いて打撃以外の攻撃を加える手段に出た。通常の怪物ならば頭部への目つぶしなどが有効だろうが、この敵にはない。レミオンは後頭部に回り込み、首を後ろから両手で羽交い絞めにし、全力の怪力で締め上げた。
「まずあこいつから、ぶっ潰れろやあ!!!」
自分でも信じがたいような怪力が発揮された結果、黒い結晶で構成されたザンダーの左頭部はひび割れ砕け、半分ほどの部位が吹き飛んだ。力を失ったと見えるその頭部は、だらりと垂れ下がり無力化した。
結晶状態とはいえ、まぎれもない自分の身体の一部。それを失った激痛で、肩部の本体にあるザンダーの貌は引き歪み、痛みと同時に激烈な怒りが引き出されたようだった。
「い――痛かろがああ!!! ガキャア、調子に乗りよってがあ、殺したるワアア!!!」
本体の腕部分を結晶化したザンダーは、その鞭のようにしならせた結晶触手でレミオンに殺到した。
残像を残すほどの速さの攻撃。レミオンはザンダーの犀の背中を足掛かりに立ち、攻撃を受けた。完全に見切っているのか、現在の脳内物質が全開となった異常な状態がそうさせているものか、彼はすべての攻撃を完全に受け切っていた。そして一撃ごとに押し込み、ザンダーの本体に迫っていく。やや白目をむく壮絶な表情で己に迫ってくるレミオンを見て、初めてザンダーの表情に焦り――いや、恐怖に似た感情が表出したのだった。
「こん化け物――!!! 寄るな、寄るなじゃああああああ!!!!」
冷や汗を流し始めたザンダー。彼の本体に迫るレミオンは突如、上空から襲来した別の攻撃を察知し、右の結晶手で受けた。
強烈に過ぎる、衝撃。その正体は、結晶を伸ばした彼の「尾」だった。
刃渡り1m50cmにもなるであろう「剣」の一撃。背後からの不意打ちとなったその一撃をこらえることはできず、レミオンはザンダーの背中の上という有利なポジションから弾き飛ばされてしまった。
「――!!」
歯を食いしばったレミオンは、飛ばされた採掘場の壁に向かって体勢を整え、足で「着地」した。吸収しきれぬ衝撃力で壁は破壊され、レミオンの足にもダメージは残ったが、彼はしっかりと地面に着地した。
上半身を折り、貌を伏せながら、自分の状態を確認する。先ほどからの度重なる負傷、いかに自分のサタナエル一族の肉体だろうと易々再生できるものではないはずだ。にも拘らず今自分は両脚で立ち、まだ十分敵に立ち向かうことができる状態のようだ。
この驚くべき現況に対し、自分の強靭な精神力や仲間を護る使命感という要素だけでは説明がつかないことをレミオンは理解できていた。
明らかに、今の自分の身体は再生が速い。落下時までに受けた負傷と、内臓に受けた傷についてはほぼ完全に回復しつつあるようだ。これは、どう低く見積もっても通常の3倍は超える再生速度。おそらく、間違いはない。あの“不死者”とかいう謎の人物。その「血」の影響を受けているのだ。血を流しこまれた直後と比較すれば再生スピードが落ちていることからすると、いずれは消え去るものの一定の時間はドラガンなる人物の力の恩恵に預かることができるのだろう。
加えて、死の間際に追い込まれた状況を経て、明らかに何か自分の身体が活性するような異変が起きている。パワーもスピードも、脳の情報処理能力も一段階、成長しているような感覚。これは初めてでは、ない。ディベト山でダゴンの群れを相手取ったときも、わずかに感じた。だがこうも何度も経験し、状況がハードになればなるほど度合が強い現象は、決して気のせいではないということ。この状態は、まぎれもなく――。
「不快じゃのお……うっとおしいのお。
間違いないじゃろう。テオスの小僧が云うとった、うっとおしい一族のガキいうんは、おのれのことじゃなあ?
その必死さがなあ、思い出させるんじゃ。ワシら自身をな。生きることに必死で、どんな悪魔の手じゃろうと掴むしかのおなったワシら自身のことをノオ」
押し出すような低い声で、唸りながら言葉を発するザンダー。地響きをたてながら蒼魂石の鉱床を踏みしめ、レミオンに向かってくる。
「ワシはシエラ=バルディ州の漁村で、人買いに売られた奴隷として育ってのお。
ワシらを犬以下にしか扱わん網元や漁師どもの命の盾にされ、危険な遠洋漁業に駆り出された。嵐の中眠る間も食い物も与えられず、クラーケンやサーペントが出んギリギリの所まで行かされてのお。今朝生きとった仲間が二人も三人も、夕方には居なくなっとる。居ても仕掛けに巻き込まれたり、檻に潰されて死ぬ。明日自分は死ぬ。そう思って寝、一日の最後にゃあ生きとることに感謝する。そんなクソみてえな生活じゃった。がワシはそんな状況で30年以上、生き続けてもうた。もう生きることを、呪い始めるようになるまでにノオ」
「……」
「そんな時“ケルビム”に出会い、エグゼキューショナーになるっちゅうチャンスが与えられた。
なれんのは試練を生き残った一握りだけ、しかも――『寿命を大幅に失う』。
そんな条件じゃが、掴まん理由があるか? ワシは必死じゃ。死にもん狂いでこの身体を得た。
力と、金と権力を得た。死ぬ危険におびえることものうて、好きな労働に従事もできる。そうやって残り短い生を生き急ぐんじゃ。
おどれらのような邪魔なぞ、入る余地はないんじゃ。ハルメニアなぞという、何千年も渡航者ものお未開の地から、なんで寄りによって今、このワシの前に現れよる? いらつくわ。一刻も早う、目の前から消し去りたいんじゃ。さっさと死んでもらウゾ」
ザンダーがつぶやく、一部“ケルビム”の行為とエグゼキューショナーの秘密の一端に繋がる情報。それに油断なく耳を傾けながらレミオンは、突如不敵に笑った。
「……おっさんよ。あんたその不死身の身体になって寿命を失い、残り少ねえ生を生き急ぐ。そう云ったな? それがあんたらエグゼキューショナーの事情、ってこったな?
この大陸によ、俺ら一族と同じ身体の人間がどこにどれぐらいいて、それをあんたが知ってんのかどうか知らねえがよ。俺からみりゃああんたの『寿命』とやらは、だいぶ恵まれてるぜ」
貌を上げ、構えを取るレミオンは、続けた。
「寿命を失ったとはいっても、それはあんた自身が望んで選択したことだ。何よりあんたは選択の前に、その歳になるまで、しっかり生きてられてるじゃねえか。
だが俺らは選択の余地なく、生まれながらに寿命の縛りを宿命付けられてる。そして早けりゃ20歳そこそこで死ぬかもしれねえ恐怖を、子供のうちから感じ続けてんだ。
こんなクソみてえな宿命を、自分自身はもとより、愛する家族が背負ってることが何より我慢できねえんだよ」
レミオンは一瞬倒れたエイツェルの方に視線を向け、再び続けた。
「俺らハルメニア人、レエティエムはな……。その宿命をひっくり返そうとこのレムゴールくんだりまでやってきてんだよ。てめえらが尻尾巻いて逃げたクラーケンどもとも対峙し、命の際を潜り抜けてきてんだ。
覚悟が、違わあ。今はっきりと、てめえらは敵じゃねえってことが実感できた。俺の、台詞だぜ。うっとおしいのはてめえの方だ。そのでけえ図体も見飽きてきたところだ。さっさと俺と姉ちゃんの前から消えてもらうぜ。このデカブツがよおおおおおお!!!」
裂帛の気合とともに伸長手を殺到させるレミオン。しかしそれを前にしたザンダーは――。
嗤って、いた。邪悪な笑みだった。
その余裕の根源は、すぐに分かった。彼の右頭部、力なく下がった左頭部、そして上空の尾の結晶触手との間に――。
あまりにも力をみなぎらせた、特大の雷撃が形成されたのだ。
まばゆい光を、放っていた。間違いなく数百万ボルト以上のパワーを内包し、かのヘンリ=ドルマンの雷撃にも匹敵するであろう威力。
ザンダーの、策だった。策を弄するタイプの敵ではないと思わせておきながら、情報をちらつかせる長い会話で、魔力を練る時間を存分に稼いでいたのだ。
己の油断と失策を実感したレミオンだったが、遅きに失した。
もはや逃れることはできない。死の運命から。このようなあまりに中途半端すぎる幕切れ、しかもエイツェルを救えないなどという結末は到底受け入れられるものではないが――。
(仕方ねえ。せめて、お前は逃げてくれ、エルスリード。
お前も生き残って、うまくやれよ、アシュヴィン。後は頼んだぜ――畜生……!!!!)
せめて敵に一撃だけでも加えてやろう。その思いで特攻をかけようとするレミオンの前に、一つの人影が飛び出してきた。
彼は目を疑った。その人影はつい先刻まで確かに気を失っていたはずの――。
エイツェルのものだったからだ。
「――ね――姉ちゃん、やめろ!!!! あの魔導は、絶対えに防ぎきれねえ!!!!
動けるなら頼む!!! すぐ逃げてくれっ!!!! 逃げるんだ――!!!!!」