第十六話 潜入の端緒
もう、耳に入ってきている。様々な音が。採掘場に特有の、石を金属で砕く音、重い鉱物を輸送するそういった雑多な騒々しい音だ。
匂いも、する。金属で鉱物をたたき割る際の火花からの微かな焦げ臭さ、岩盤に混じる硫黄、作業員の体臭がもたらすきつい匂い。
エイツェルとレミオンは岩壁に慎重に忍び寄り、隙間から中を覗き込んだ。
そこは、円筒形の空間が底なしに続く、吹き抜けの超巨大坑道だった。
直径200mは、ある。各小坑道からの出口が無数にあり、そこから気の遠くなるような長い時間か――。もしくは想像もできないような高い技術で堀り進められたであろうメイン坑道が口を開けているのだ。
エイツェルたちは当然目にしてはいないが、アシュヴィンがダルダネス王家レジスタンスに保護されたアジトの坑道と、基本的には同じ構造だ。それよりは若干時代が新しく、規模は倍するほどに巨大だ。
時代がまた新しいからなのか、鉱石は盛んに採掘されていると見え、坑道の底から煌々と蒼魂石の光が照らされている。昼のように明るい坑道内で、際立って大きな穴から続く小坑道が石の搬送路のようだ。数百人はいるかと思われる人工が一輪車に満載した蒼魂石を、坂を上って運んでいるのが見える。
人工は搬送のほか、当然採掘も担当している。すべてを含めると数千人はいると見え、外の農場と合わせても一体どれほどの人間を強制連行してきたのか想像もつかない。
「これ――すごい人数よね。ゼネリブ以外にも相当な数の町や村を襲って連れてきてる。キラたちのお父さんのマレスさんをどうやって探そうか?」
エイツェルは坑道の規模に感嘆のため息を吐いた後に、やや途方に暮れた表情でレミオンに云った。
レミオンは獰猛に笑みを浮かべながらこれに答えた。
「そりゃ決まってらあ。そこらへんをうろついてる見張りの兵士どもを片っ端からとっ捕まえて、知ってる奴から聞く。城壁の外にいた兵士も云ってたろ? “ケルビム”の野郎らは割と几帳面に強制連行した連中の名簿を作ってるらしいじゃねえか。そいつにたどり着きさえすりゃいいんだから話は簡単だろ?」
エイツェルは再び深いため息をついた。
「それだっておんなじ事でしょ? あいつら何百人いると思ってんの? どんな隠密の暗殺者だって、あいつら全員、騒ぎを起こさずに捕らえて尋問するなんて不可能でしょ?」
「そうとも云い切れねえぜ。何事も、最短距離を行く方法ってのはあると思うんだよ。
――例えばよ、ちょうどあそこいる、あいつだ」
レミオンが指さした先にいたのは、一人の兵士に先導された、非常に逞しい巨体の労働者だった。年齢は40代か。
逆立った短い黒髪、岩のようにごつく凶悪な人相、ボロボロの麻の作業着。それも十分に目を引くが、尋常でないのはその肉体だった。筋肉が岩石のごとくごつごつと盛り上がり、作業着を引き破らんばかりになっている。身長は2mを超えていた。レミオンの肉体を凌駕するのはもちろん、並べばモーロックですら大柄に見えないであろう圧倒的肉体だ。
「ありゃあ確実に、ここが長い奴だぜ。おっさんな上、ここの労働に長く耐えてきた証の、ガチガチに鍛えられたガタイ。あいつに事情を話し聞き出せば、下手な兵士をとっ捕まえるよりも多くの情報を引き出せる。俺の勘がそう云ってる」
エイツェルはうろんな視線をレミオンに向けたが、彼とまっすぐ目が合って途端にドギマギと目を伏せてしまった。自分でも困惑したが、先ほどの弟の悪戯の記憶が蘇って意識してしまったのだ。
そして一応筋が通った正論と思えたこともあり、エイツェルは腹をくくった。
「しょ……しょうがないわね……。いいわよ。あんたの云う通りにするわ。
それじゃ、あたしが先導の兵士を仕留めて死体を引き込むから、あんたはあの男をお願い」
5m――2m。近づいてくる標的に狙いを定めつつ、周囲の気配に気を配る。
シミュレーションと集中力も十分だ。
いつでも飛び出せる状態で待ち伏せる二人の前を――。ついに兵士と大男は通過した。
意を決したエイツェルが飛び出すのを、コンマ1秒以下の速度で視認したレミオンは、彼女と同時に獲物に襲い掛かった!
常人の目に留まらぬ動きで兵士の背後に回り込んだエイツェルは左手で彼の口を塞ぎ、右手の結晶手を一閃して声帯ごと頸動脈を切断。
悲鳴を上げることもできずに息絶えた兵士を肩にかつぎ、元の岩壁の向こうに戻っていく。
レミオンもまた大男の背後に回り込んで口を塞ぎつつ、素手で彼の後頸部に手刀を打ち込んで気を失わせ、一回り大きな巨体をものともせず肩にかついで姉の後を追う。
サタナエル一族としてさすがの身体能力を存分に発揮し、見事に標的を手中に収めた二人。
エイツェルは物陰に兵士の遺体を隠し、大男を壁に寄りかからせようとするレミオンの元に近づいた。
「……どう、レミオン? 上手くいった?」
レミオンはエイツェルを振り返り、答えた。
「バッチリだぜ。あとはこいつをたたき起こして色々話を聞かせてもらうだけだ。
話してもらおうぜ。ここにいる連中の名簿のありか、“ケルビム”のこと、ここに居る“エグゼキューショナー”のこと。ありとあらゆる話をな――?」
レミオンの言葉は、途中で尻消えとなった。
途中から視界に入った、エイツェルの驚愕と恐怖の表情。
そして首の後ろにかかった、叩きつけるような衝撃を伴う膨大な魔力。
そして突如として、腕への握り返された感触を感じたからだ。
ゆっくり、視線を元に戻すと―――。
大男は、既に目を覚ましていた。いや、最初から気を失ってなどいなかったのだ。
レミオンの加減した当身など、蚊に刺したほどでもないかというように。
そしてその貌には、先ほどとは比較にならない凶相を貼り付けていた。
牙のような犬歯をむき出し、凄絶に笑いかける様は、芯からレミオンの背筋を冷やした。
更にはその口からやがて、低く響く、狂気をはらんだ言葉が押し出されてきたのだった。
「なるほどぉ……!! そうかそうかそうかああ……!!
せっかくの、趣味の労働に汗を流しおったのを邪魔する輩が、誰ぞと思えばなあ……!
“アルケー”の小娘がのたまいよった、ハルメニア人ちゅう輩か、はははははあ!! ははははははははははははははははは!!!
ワシのことぉ、ここで石掘っちょる下郎の“マニトゥ”どもかと思うた。そらあ無理もなかろうが。
まさかワシが、とは思わんだろで。
“エグゼキューショナー”最強の剛腕、“デュアルライノセラス”――ザンダー・オルグレンじゃっちゅうこたあナアアアアアアアアアアア!!!」
信じがたい言葉を口にした大男、いやエグゼキューショナー・ザンダーは――。
レミオンの腕をがっしりつかんだ腕を見る見るうちに、黒曜状に結晶化させていったのだった――。