第十四話 秘めたる確執
*
そこは、遠い記憶の中。
ここは、どこだったか――。そうだ。“深淵”が見たいと云い出した自分に、「父」が珍しく連れ立ってくれたときだ。たしか――7歳のときだ。
こういうときにいつも一緒に来てくれる「母」ではなく。しかも今回は「姉」もおらず父と二人きりだ。
嬉しかった。公務が忙しくなかなか相手にしてくれない無愛想な父が優しくしてくれたことが。
帰り道――父の制止を聞かず興奮して駆け出してしまった自分を、ヒポグリフォンの群れが襲った。
翼長5mもの怪物10体。自分はここで死ぬ。子供心に確信した。
だが――うずくまって目を閉じ、悲鳴が聞こえておそるおそる目を開けると――。
1秒の間も置かずズタズタの輪切りとなり斬殺された、ヒポグリフォンの肉塊がそこにあった。
(大丈夫か? レミオン。
よく分かっただろう。こういうことがあるから、お父さんの云うことはちゃんと聞いておくものだ。
お前に何かあったら、俺がお母さんやエイツェルに貌向けできんしな)
長大な刃と化した、白髪。怪物を瞬滅したその脅威の武器“蛇王乱舞”を収める父の声が、背後から聞こえてきた。
父の言葉は低くそっけないものだったが、その額からは大量の冷や汗が流れ眼鏡の向こうをつたい、貌は青ざめていた。死に物狂いで心配し、子供ながら異常な俊足である自分に必死に追いすがってきたことがあまりにも明らかだった。
心の底から、嬉しかった。愛情が爆発するままに、父の大きな懐に抱き着いた。大の大人でも血を吐くほどの凄いパワーなのだが、父は全力で抱き着いても勿論問題ない相手だ。
(ありがとう、おとうさん!!!)
この人の、家族でよかった。息子でよかった。これからもずっと、尊敬する父と一緒に生きていきたい。
そう――思っていた。この時は。
*
今度はまた違う、景色。
広大な砂浜。どこまでも続く水平線を望みながら、自分は戦っていた。
ここは、ドミナトス=レガーリア連邦王国要塞、“不死鳥の尾”にほど近い海岸。
母レエテ・サタナエルが仲間とともに海を望み、その後連邦王国伝説の英雄であるホルストース・インレスピータと刃を交えたことが、巨大な石碑に刻まれているその場所だ。
過去のその刻同様に――。その英雄に勝るとも劣らない戦士と、自分は戦っている。
自分が母の次に尊敬する戦士、ムウル・バルバリシア将軍と。
(おおおらあああ!!!!)
全力の踏み込みと打ち込み。アトモフィスジャングルの怪物どもを無数に屠ってきた中段の斬撃はしかし、目に見えぬ防御と一寸の間をも置かぬ反撃によって、あえなく叩き潰された。
(がはっ――!! ぐうう!)
(――まだまだ粗さはあるが、いーい打ち込みだぜ、レミオン。
あっちの森で14年前、俺が実際目にしたレエテ様の動きを彷彿させらあ。親子だけに、よく動きが似てるぜ)
ムウルは、彼本来の得物ではない鉄の訓練刀を倒れたレミオンに向けた。レミオンは勢いよく血反吐を砂浜に吐きながら言葉を返す。
(母さんに似てるなんて、嬉しいこといってくれるじゃねえか、ムウル兄貴。
まああんたにかなわねえのは当然としても、認めてくれるんだな、俺が成長したってよ)
(もちろんさ。お前がチビの頃からずっと見てきたが――14の歳でここまでいっぱしの戦士になるたあ想像してなかった位にな。
あとは、シエイエス様の判断力と洞察力が加わりゃあ、大陸一の戦士の座だって夢じゃねえと思うぜ)
自分は父親の名前が出された瞬間、心の中の色が瞬く間に黒く変化していくのを感じた。
(冗談じゃ……ねえよ。あのクソ親父にだけは、俺は似ていねえしこれから似る気もねえ。
だからこそ真逆の、肉体と本能の強さで戦うあんたに近づこうって俺は努力し続けてきたんだからな、ムウル兄貴)
とはいえ――。鋭い目つきや長髪が良く似合う髪質をはじめ、現実主義者である性格など嫌でも似てしまっている部分は十分に自覚はしていた。否定しきれないもどかしい部分については。
(そんな感じで口調や性格まで俺に似せてくるもんだから、この間シエイエス様から俺が冗談交じりに怒られちまったよ。『やめるようにお前から云い聞かせてくれんか』ってな。
ガキの頃みてえに、どうにかシエイエス様のことを敬ってくれねえかなあ。厳しいお方だし冷酷非情にも見えるかもしれねえが――。あの方ほど賢く強く優しく人として素晴らしいお方は大陸にいねえ、って俺は思ってる。俺がガキの頃一緒に旅して以来、一番に尊敬し続けてきた人なんだ。
これだけ俺が云ってもダメかなあ。なあレミオン?)
自分の表情を見てこれはダメだな、と諦めているのか困り口調になったムウルに、自分はきっぱり云った。
(ああ、ダメだ。ムウル兄貴には悪いが、これはあいつと俺、親子の問題だ。
俺は――俺の心は、決まっている。
あいつを、俺は絶対に許さねえし、絶対に受け入れる気は、ねえ。
この先、何があろうと、一生な――――)
*
ダルダネス市街南東部の地下坑道内。
壁に寄りかかってうずくまっていたレミオンは、まどろみからハッと目を覚ました。
首尾よく城壁内に潜り込み、そのまま地下へと歩みを進めていた彼とエイツェル、エルスリード、“ネト=マニトゥ”の二人の子供達。
坑道はひたすら長く続く、ゆるやかに地下に向けて階段状に下がっていく構造を呈していた。
松明をふんだんに用意し歩き続けていたが、何分小さな子供達がネックになった。
疲れた、というから弟キリトをエイツェルがおぶり、今度は同じことを云い始めた姉キラをレミオンがおぶろうとしたら拒絶されたため、逆に入れ替えて歩き続けていた。が、それでもぐずり始めた二人に辟易して休憩をとろうということになったのだ。
レミオンは薄暗い周囲を見回した。
すぐに眠ってしまったキラとキリト、疲れ切ったのかその横で同じく眠ってしまっているエルスリード。見張り役で起きているエイツェルが新しい松明を用意しているのか、背中を向けて作業しているのが見える。
「ちっ……。俺もつい、うとうとしちまってたみてえだな。
だがどうしてよりによって、『あいつ』のことなんか夢に見ちまったんだ……。
全く気分悪りい……」
小声で不機嫌に吐き捨てるレミオン。それを聞きつけたエイツェルが振り向き、手を止めて弟の正面まで来て座った。
「おはよ、レミオン。相変わらず寝起き悪いわね?」
首を傾けながら、優し気に微笑むエイツェル。
――あまりに魅力的で可愛らしい、癒される笑顔だ。貌の造りの愛らしさと、最大限に現れた内面の性格の良さが極めてマッチしていて、男ならまず誰でも心を鷲掴みにされてしまうだろう。
そもそもエイツェルが自分の姉という関係でなかったなら、とうに自分の女にしていただろうとレミオンは常々思っている。そう思い至ったレミオンは、少し悪戯心も刺激されたのか、身を乗り出してエイツェルのすぐ間近まで貌を近づけた。
「レ――レレ、レミオン? 何よ、急に、どうしたっていうの――?」
「寝相が悪い姉ちゃんに云われたくねえなあ……。布団はだけて寝間着もずれちまって、色んなとこが見えてた状態が、いかに年頃の弟の目に毒だったか、考えたことあるか……?」
云う間に、レミオンはエイツェルの両肩に手を置き、力をかける。押し倒されるような形になりつつある状態への動揺でパニックに陥りかけるエイツェルは、赤い貌で震えながら言葉を返した。
「なに――するの? ちょっと――ふざけるのも、い、いい加減にしなさいよ――。
それ以上変なことしたら――お――怒るわよ。何考えてるの? は、放してよ――」
「俺さ――ずっと昔から姉ちゃんのこと――好きだったんだ。気づかなかったか……?」
爆弾を炸裂させたかごとき問題発言に、エイツェルは完全に正体をなくし、真紅の貌で石像のように固まってしまった。
「え、え、ええ、えええええ!?
じょ、じょじょ冗談でしょ!? あ、あたし達、姉弟なのよ? そんなこと、そ、そんなことあっていい訳、ないじゃない!? 何寝ぼけてるの、目覚ましなさい!」
「なにも……問題はねえだろ? 俺たちは姉弟だっつっても血のつながりはねえ義理なんだから。
付き合おうが結婚しようが、何しようが……問題ねえじゃねえか……」
「そ――そそそそれは、そうだけど! いや、そうじゃない! そういう問題じゃないから!
お、お願いだからそれ以上近づかないで、お願い――」
抵抗に全く構わず真剣な表情で、どんどん美貌を寄せてくるレミオンを見て、エイツェルの混乱は頂点に、達した。
「や……やめて……お願い、やめて……。
あ、あたしには……あたしには……アシュ…………。 ――!!!」
ここでうっかりある人物の名前を口にしかけたエイツェルは、目を見開いて両手を口に当てた。
その狼狽ぶりを見たレミオンは、ついに限界に達し――。
噴き出し右手で貌を覆って、すっかり上機嫌に笑い出したのだった。
「はっははは!! ははは! 引っかかったな、姉ちゃん!!
冗談だよ。 そんなこと、あるわけねえだろ!! はははは! 悪りいな!」
「は、はあああ!?」
「しかも……『お願い、やめて……あたしには……』そのあと、なんて云った?
やっぱなあ。薄々感づいてはいたけどよ、やっぱ姉ちゃん昔から、『あいつ』のこと――」
「バカ!! バカバカバカ!! バカア!!」
エイツェルは完全に怒り出し、必死でレミオンの言葉を遮った。
そして涙目で唇を噛み、震えながら抗議したのだった。
「じょ……冗談でも……やっていいことと悪いことがあるわよ……! 姉ちゃんの心をもて遊ぶマネなんかして、許さないんだから!
もし――もしも『そのこと』、あの子に云いつけなんかしたら――あたし絶対に絶対に、許さないから……。姉弟の縁なんか切って、絶交してやるから!
もう――もう本当に腹立つ!! 絶対に仕返ししてやるから! 覚えてなさいよ。覚悟なさいよ!」
あまりの腹立たしさに、右手に結晶手を発現させたエイツェルは、力任せにそれを地面にたたきつけた。
地面の岩盤が陥没し結晶がめり込むと同時に、鉱物同士が衝突し砕ける音が上がり、二人の声で起きなかった睡眠中の3人もついに目を覚ましてしまった。
だがエイツェルは自分が突き刺した相手の地面から返ってくるあまりに奇怪な手ごたえと、唐突に漏れ出てきた青い光に――。
たちまち目を見開いて心奪われてしまっていたのだった――。