第十話 地下世界の真王
アシュヴィンが恐る恐る貌を上げると――。
ベッドの脇に歩み寄ってきたその女性が自分を見下ろす目と、目が合った。
彼女が身につけているのは、青を基調とした中性的貴族服。腰には意匠をこらしたレイピアを下げている。
スリムな165cmほどの身長。しかし立ち姿や微かな身のこなしから、仲々の腕を持つ剣士であることをアシュヴィンは見抜いた。
後頭部で結わえ巻いた金髪、同じ色の細眉。その下の切れ長な緋色の瞳、ツンと上を向いた細い鼻、形の良い唇。あらゆる要素に衣服とも相まった気の強さを感じさせる一方、高貴な育ちの良さをもにじませた、美しい女性であった。
「まずは名乗るのが礼儀だね。私はフェリス・フォートモーナス。
ダルダネス州王近衛兵長の地位にある者だ。よろシク」
雰囲気の割には気さくな態度で接して来るフェリスの白い手をじっと見、聞いた名乗りを咀嚼し――。ようやく動き始めたアシュヴィンの脳が回転し始め、現況の把握とその先の推測にまで至った。
そこに至って、アシュヴィンはゆっくりと手を伸ばし、フェリスの柔らかい手を握った。
「よろしく……。僕はアシュヴィン・ラウンデンフィル。
ハルメニア大陸の国家、アトモフィス自治領の軍属、少尉だ」
「答えてくれてありがとう、アシュヴィン。質問の手間が一つ、省けた。
もう一つ、聞きたい。敵の敵は、味方。そう信じたいが――。
“ケルビム”に敵視され追われる君らは、奴らを除くレムゴール大陸民衆の、敵カ、味方カ?」
極めて単刀直入な質問だ。「彼女ら勢力」も、追い詰められており時間が惜しいのだろう。
そう判断したアシュヴィンは、こちらもまた端的に事実を答えた。
「元々僕らには対話の意志があった。“ケルビム”はそれに耳を貸さず攻撃してきたので、敵になった。あなた方、奴ら以外のレムゴール人がそうでないというのなら、味方だということになる」
その答えはフェリスを十分に満足させたようだ。彼女は丸椅子に腰掛け、アシュヴィンと目線を合わせて云った。
「もちろん我々は、奴らとは違う。異大陸の使者に対し、対話と歓迎の意志がある。
国交の意志もね。よってその第一歩として、君には協力を願いたいのだ。
――どうだ、立てるかい? 私の肩を貸ソウ」
フェリスはやにわにアシュヴィンに接近し、彼を抱きすくめるようにして、立ち上がらせる補助をしようとする。フェリスの美しい貌が間近に迫り、香水の芳しい香りが脳髄を刺激し、細腕が自分の肩に絡まってくる事態に――。アシュヴィンはドギマギして身を引き、かぶりを振った。
「い――いやいや! だ、大丈夫だ。そこまでひどい怪我じゃない。僕は――僕は、一人で立てる!」
テオスの羽でやられた傷を庇いながらも、アシュヴィンは慌ててベッドから立ち上がった。
「あ――会ってほしい人物が、いるんだろう?
承諾する。その人物と僕を、会わせてもらいたい」
ベッドに乗り上げて両手をついた姿のフェリスは、目を丸めてきょとんとした表情で首をかしげた。
とても可愛らしい姿、とアシュヴィンは感じてしまったが――。次の瞬間に素早い身のこなしで立ち上がったフェリスはもう、背を向けてドアの方向に歩いていた。
「そうか、話が早くて助かる。それではついてきて貰オウ、アシュヴィン」
ドアの外に出たフェリスを追い、アシュヴィンは歩き出した。
ドアを開けた先。石造りの廊下が続くイメージを持っていたアシュヴィンは、かけ離れた現実の光景に度肝を抜かれた。
ドアの外すぐには、階段があった。手すりが付き、上りと下りがある。
石で造られたそれは――側面の壁の一方が、無かった。
すなわち――広大な、あまりに広大な「円筒状の吹き抜け空間」の側面に張り付くように張り巡らされ――。同じく側面にある、アシュヴィンが先ほどまで居た無数の部屋と部屋、通路と通路をつなぐ階段だったのである。
底から風が強く感じられる、直径100m以上はあろう、「吹き抜け」空間。アシュヴィンは目眩を覚えながら手すりに近づき、下を見た。
瞬間、見たことを後悔した。アシュヴィンには特に高所恐怖症の気はないが、その彼の股が縮み上がるほどに、「吹き抜け」の高度は高かったからだ。正確にはわからないが、100mに達する高さかも知れない。次いでそこから逃れるように今度は上を見る。30mほど上部が石の天井で覆われているのが目に入った。
広大にすぎる円筒状の空間。陽光が一切差し込まないその空間はしかし、明るく「青く」照らされていた。
光源は――アシュヴィンが一瞬目を落とした円筒の底にあった。
そこは何らかの鉱石を採掘する坑道と思われ、採られ底に堆積した鉱石自体が強烈な青い光を放っているのだ。まばゆい光に下から煌々と照らされたその空間は、驚くべきことに壁に一本の松明も必要としないほどに十分な光量を保っているのだった。
呆然とこの光景を見渡すアシュヴィンを見て、フェリスは云った。
「その様子だと、君らのハルメニアには無いのかナ? “蒼魂石”ハ」
「“蒼魂石”、というのか……? ああ、ない」
「レムゴール大陸では、全土に鉱山がある。地下の坑道から豊富に採れ――。空気に触れた直後から数カ月間青い光を放ち続けるので、照明としての利用が主になる。
この途轍もない大きさの古い坑道は、数千年前に古代の祖先が堀り起こしたものらしい。当然アダマンタインの加工同様、我々の技術では絶対実現不可能なもので――。どのような経緯か我々は、祖先が持っていた高い技術をある時点で失ってしまっているらシイ」
話しながらフェリスとアシュヴィンは階段を降り続けた。先ほどの部屋から数十mを降りたと思われる場所で、フェリスはある一点を指差した。
そこでは内壁から内壁に幅5m、長さ20ほどの水路がむき出しになっており、内壁に空いた穴と穴の間で流れを形作っていたのだった。
「あそこに水が通っているのが見えるか? ダルダネス市中とつながる生活用水路だ。
君はダルダネス市側からあそこに流れて来たところを、保護されたんだ。
傷の状態を見ればわかるだろうが、つい先ほどの話だ。君はまだここへ来て1時間ほどしか経っていないノサ」
「助けてくれて、感謝している。聞きたいが――。僕の後、誰かが続けて流れて来るようなことはなかっただろうか? 例えば――若い女性だとかが」
「いいや? 君だけだ。他に誰かが同様に流れてきてはいナイ」
「そうか……」
アシュヴィンは大きく嘆息し、頭を抱えた。
あるいは、アキナスが自分を追って飛び込んできてくれてはいないかと一縷の望みにすがったが、あえなくそれは消滅した。
いや、アキナスならば自分のように無様に気を失わずに自力でどこかに潜伏している可能性も無くはないが――。可能性は極めて低いだろう。
そこでフェリスは意外にも、そのアシュヴィンの心中を即座に察したかのように言葉を継いだ。
「……なるほど、君と行動を共にしていたという魔導士の女性、のこトカ?」
その言葉にアシュヴィンは猛烈な勢いで貌を上げ、フェリスの両肩に掴みかかった。
「知っているのか!! アキナスさんを! どうなった! 彼女はどうなったんだ!!」
「……痛い。放してくれ。
どうなったかは、我々も知らない。君が脱落した後、エグゼキューショナーと彼女の戦闘は激しさを増し――。周囲に死人が出るレベルになった為、見ていた我々の仲間も撤退せざるを得なかったそウダ」
「そんな……!」
フェリスを解放し、アシュヴィンは手すりにもたれてうなだれた。
だがフェリスらレムゴール人の一派が――自分達をある時点から監視していたこと、アシュヴィンを異大陸の侵入者と知った上で意図的に確保したのだということは、間違いなさそうだ。
アシュヴィンは低く、フェリスに云った。
「一刻も早く、会わせてくれ。あなたの云う『人物』に」
「その、つもりだよ。もう少しだからついて来てクレ」
再び階段を降り始めたフェリスに、アシュヴィンは従った。
彼女の云うとおり――目的地は、すぐだった。
二階分ほどを降りた場所の、洞に出来た通路を歩いた先。巨大な扉を開けた先がその場所だった。
20m四方ほどの、殺風景な空間。数人の男女が護るように立つ向こうに、その人物は居た。
ひと目見て、明らかだった。アシュヴィンは先刻、ある場所で彼の木彫りの彫像を見てはいた。予備知識として持っていたのは確かだが、それが無くとも、明らか。
豪華な椅子に腰掛ける、老齢の男性。彼の全身から立ち上るような気勢は、人の上に立つことを運命付けられた特別な人物しか持ち得ない強いものだったからだ。
白い口ひげと顎ひげ。骨太な骨格。高い鷲鼻。太い眉とくっきりとした眼差し。
すべて、木彫りの人形と一致していたが、一つだけ再現できていない要素があった。
それは、彼の体躯。座っていてもわかるが、210cmは超えるであろう恐るべき巨体だ。
まるで岩が座っているかのような様相は、見るものに相応のプレッシャーをかける。
そして容貌にふさわしい、地の底からのような低い声で、その人物は口を開いた。
「よう、来たのお……異大陸の、小僧ぉ……!
もう分かっとるとは思うが、儂の名は、フォーマ・ギブスン。
今は無様にも、ドブネズミのように地下でうろちょろとくすぶっとる状態じゃが……。
このダルダネス州の王マレイセン・ギブスンの父、元王の身の上ジャ……!」