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レムゴール・サガ  作者: Yuki
第四章 異邦国家ダルダネス
60/131

第九話 逢いたかった、その人

 *


「――はっ――!?」


 エイツェルは、頭蓋を右から左へ電気が貫通するような、強烈な刺激を受けて頭を抱えた。

 すぐに、側にいたエルスリードが彼女を案じて声をかける。


「大丈夫、エイツェル? 頭が、痛いの? 少し休みましょうか?」


 エイツェルは脂汗をかいた額を一度ぬぐい、エルスリードにいつもどおりの笑顔を返した。


「大丈夫よ――大丈夫! きっとこないだのカラス男の件もあって疲れてるだけよ。もう十分休んでるんだし大丈夫! ありがとね」


 だが内心――エイツェルの胸中は極度にざわついていた。

 今この瞬間彼女ははっきりと、感じたのだ。

 アシュヴィンの心の声を。何らかの対象に感じる恐怖と、それがもらたした苦痛とを。同時に形容しがたい絶望をも。

 同時に流れこんできたビジョンが、ぞっとするほど美しい白髪の女であったことは心に引掛ったが――。その女に対する圧倒的な、アシュヴィンの恐怖と思しき感情が、それを敵であると認識させていた。

 もしもこの事実を魔導士であるエルスリードに詳細に伝えていたら、あるいは彼の現状の危機的状況がいち早く伝達されたのかもしれないが――。知識のないエイツェルは自分の感覚に確信が持てず、口にすることへの羞恥心も相まって、彼女以外の者に魔力感知の事実が伝わることはなかった。



 彼女ら二人と、レミオン、キラとキリトの姉弟。5人はダルダネス城壁外にたどり着いていた。

 ムウル率いる遊撃部隊が潜む北壁側とは正対する南東側に。この周辺は土地の土壌が劣り、農場も閑散としていて警備兵が手薄であるゆえにだ。かつてセレンが人伝いに聞いた事実をキラが思い出して取得した情報だった。


 少年少女だけで結成され、しかも無鉄砲なレミオンが居るグループである彼らは、選択する手段も短慮で大胆だった。隙をついて警備兵の一人を襲撃し捕獲、脅迫と一部拷問も用いて情報も得、侵入の準備を進めていたところだった。警備兵が姿を消すなどという事態はたちどころに騒ぎとなり、捜索発見される甚大なリスクを負う。それによって彼らには、遊撃部隊のように人手を分けて子供たちを安全な場所で待たせるという手段が取れなくなっていた。全員で前に進み、城壁内に侵入する以外に方法はない。


 倉庫と思しき木製の建屋に身を潜め、壁の穴からダルダネス城壁を望むエイツェル。今は幼馴染の年上で、軍階級上も中尉という最上位である彼女がリーダーだ。緊張で肺に大きく息を吸い込みながらも、エイツェルは皆を振り返って云った。


「あの警備兵が云ったとおり、この昼時は城壁の警備は手薄だわ。今なら、侵入できる。

あそこに見える格子の向こう、下水道沿いに侵入する。目指すは――『地下鉱山』よ」


 その宣言に、キリトが下を向き、涙目で云った。


「おとうさん……おとうさぁん……」


 キラに抱きすくめられる彼を優しく見つめ、エイツェルは云った。


「大丈夫よ、キリト。あなた達は必ず、お父さんに会える。

地下鉱山には、ゼネリブの町から連れていかれた男の人がいるって、警備兵が云っていたでしょ。お父さんのマレスさんも、きっとそこで働かされてるはず。必ず助けるわ、あたし達が」


 大きくうなずいた後、振り向いて戸に手をかけるエイツェル。ついに決行というタイミングに至ったところで、エルスリードはエイツェルに声をかけた。


「エイツェル」


「? どうしたの、エルスリード」


「ごめんね……付き合わせた形になってしまって」


「何云ってるのよ?」


「今回のこと、セレンさんの件に責任がある私一人でやらなきゃいけないことなのに……巻き込んでしまった。

今回の判断は正しいと思ってるけど、結果的にハルマーへの帰還命令に背いた私の独断ということになるし、同行したあなたもレミオンも軍議懲罰は避けられない。責任を感じてるわ……」


 美しい貌に影を落とし、陰鬱にしょげかえるエルスリードに対し、エイツェルは両肩を掴んで向き直りかぶりを振った。


「バカなこと云わないの。セレンさんの件はあたしも同じ責任がある。命令違反だって、納得ずくでやってることよ。あたしもレミオンも、キラとキリトのために一番良い選択肢だって信じてるから、今ここにこうしてるんだからね。変に自分で全部背負い込もうとしないの。わかった?」


 エイツェルのその言葉に、レミオンも同調した。


「姉ちゃんの云うとおりだ。お前が気に病む必要なんてこれぽっちもねえ。そんな道理はねえし、何より俺達ゃ家族同然の幼馴染だ。命令の件は、あのクソ親父の碌でもねえ判断だ。何かグダグダ云ってきやがったら、俺がゴネたって返してくれりゃあいい。俺あもう命令違反の前科持ちだからな。

それによ、ここに来てるはずのアシュヴィンの奴も心配だ。昔っからあいつは俺達なしじゃダメな弱虫なんだからよ」


 二人の言葉にエルスリードは貌を上げた。その貌はもう晴れていて、別の懸念に引き締まった表情に変化していた。


「ありがとう……。そうよね。アシュヴィンが戦っているんだから、私達も助けに行かなくちゃ。

行きましょ、エイツェル」


「元気になってよかった。それじゃ行くわよ、皆! あたしに付いてきて!」


 戸を開け試練に踏み出すエイツェルだったが――。

 アシュヴィンの名を改めて聞き、内心胸が潰れそうになるほどの不安を感じていた。


(どこにいるの、アシュヴィン……。あたし、今すぐにでもあんたの所に行きたい。助けてあげたい。

あんたはすぐにスタミナが切れちゃうし……だけど慎重な割に本当に大変なことが目の前で起きると、後先考えずに突っ込んでいっちゃうとこがあるし。

絶対に、無事でいて、アシュヴィン。

あんたは……あんたは、あたしのこの世で一番……な――ひと――)


 尽きぬ心配と想いをぐっと飲み込み、彼女は成すべきことに集中するのだった。




 *


 そこは、不思議な空間だった。



 床も、壁も、天井も――。シミひとつない、純白。かつまばゆいばかりの光を煌々と放っている。



 ぼやける視界が徐々に、くっきりと形を作る。

 そこで――アシュヴィンは、形容しがたい奇妙な空間で片膝をついてうずくまる、己の姿を自覚した。


 

「ここは……どこだ……?」



 痛む目の奥をかばうように、貌を手で覆いながら呟くアシュヴィンの耳に――。


 突如一人の人間の声が、流れ込んできた。



「……ここが、どこか?

答える事は至極、難しいな。

あえて云うのなら――強く死を意識したお主が今この時のみ創り出した、想念の世界、とでもいうべきかな?

従って、この空間にはお主と――この『余』。二人しか居らぬし――。

お主の想念一つで煙のように消し飛ぶ、儚い夢想の産物、とも云える」



 高めの良く通る、気品のある男の声。



 それを聞いたアシュヴィンは、ハッと貌を上げた。



 膝をつくアシュヴィンの目前で、胸をそびやかして立つ一人の男。その姿を、視界に捉えた。

 

 その瞬間彼は――。驚愕と、そして感情を根底から揺さぶる「情動」に表情を歪めさせたのだった。



「あ――あなた、は――。

ま――まさか――!」



 男は、180cmをやや超える、痩身だった。


 全身を、極めて仕立ての良い、青を貴重とした貴族服に包んでいる。

 意匠を凝らされたその服はしかし、鋼鉄のプレートが埋め込まれ、男が身分が高いながらも「戦士」であることを伺わせた。


 光り輝く金髪は首元の辺りでゆるく切り揃えられ、洒落た髪型で長い前髪が片目にかかっている。

 柔和な細面の中の、酷薄そうな薄い唇、尖った鼻。そして「ほぼ閉じられた」、睫毛の長い、切れ長の目。


 その姿は――アシュヴィンが、幼い頃から自室に大事に大事に飾っている肖像画に描かれた「ある人物」そのもの。


 もしも、アシュヴィンが――。神というものに対して唯ひとつ願いを叶えてもらえるなら、一切迷わず「その人物」を生き返らせることを望むであろう、絶対の対象。愛しくてたまらぬその人であったのだ。



 アシュヴィンの目から、見る見るうちに大粒の涙が流れ出た。

 そして子供のように、嬉しさにその表情がくしゃくしゃに歪んでいったのだった。



「あ……あ……あああ……あああ~……」



 そのアシュヴィンを前に男は口元を歪め、言葉を継ぐ。

 実際に聞いたことなどもちろんないが、母シェリーディアから良く聞かされていた独特の口調――そのものだった。



「見苦しいな。お主の身体に流れし王家の高貴なる血――そして、“純戦闘種”の遺伝子にふさわしい振る舞いを、余としては求めたいものだがな。

それは、先刻の――無様な戦い振りについても同様だ。

あのような仮染めの力で思い上がった、醜き出来損ないのバケモノごときに遅れを取るとは。

それでも、『この余の血を継いだ』戦士か。

恥を知るが良い」



「……あ……。

ご、ごめんなさい、ごめんなさい……! 

僕……ぼく、ちゃんとしますから、しっかりしますから……!

あなたの云うとおり、しますから……!

だから、だからどうか、僕を……見捨て……」



「お主の力は、そんなものではないはずだ。

余は最後の最後、お主の存在を知り――確かな喜びを得た。

オファニミス、シェリーディアに続く余の『家族』、そして何より――。余の力を次代に確かに受け継ぐ存在を得たこと。それがまこと、喜ばしかったのだ」



「……お……おと…………」



「その期待を、決して裏切ることなかれ。

余は、常に見ておる。お主の力を、器を、そして――可能性を。

お主を心から認めることができる、その時を――。

余は待ち続けるであろう…………」



 男の姿は、急激に像の薄い、実体感を伴わないものとなっていき――。


 男が踵を返して遠ざかっていくと同時に、ますます消え去らんばかりになっていった。


 アシュヴィンは、その様子を見るやいなや――急激に取り乱し、手を大きく前に伸ばし――。駄々をこねる子供のように泣き叫んだ。



「やだ……やだああ……お願い、行かないで……!! 戻ってきて!!!

せっかく、会えたのに……! 会いたくて会いたくて、しかたなかったのに……!! 話したいこと、いっぱいあるのに……!!

やだよ……もうぼくを、置いてかないでよ……お願いだよ……!!!

お父さん!!! おとうさあああああああん!!!!!」




 *


「――ああああああああああああっ!!!!!」



 アシュヴィンは、内臓が裏返るかと思うほどに全力の叫びを上げながら、起き上がった。


 ゼエ、ゼエ……と息を極限まで荒げながら、己の手と身体を見る。


 粗末な農民の服を脱がされ、その下の傷には――薬が塗られ、包帯が巻かれたような処置の後があった。


 痛みと悪心はあるが――命に全く別状はないようだ。


 自分が寝ていたのはどうやら――寝台の上。


 蘇ってきた記憶からすればそうであるべき、水路の脇の泥だらけの石畳でもなければ、あの世の雲の上でもなさそうだ。



 やがてアシュヴィンの頭上から――。

 一人の女性の声が、覆いかぶさってきたのだった。



「目が、覚めたようだね。

早速だが――君には会ってもらいたい人物が、居る。そのために、幾つか聞きたいことがある。

答えてくれるね――ハルメニア人ノ少年ヨ」


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