第八話 過去を乗り越えし者たち
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ダルダネスの城塞外。
高くそびえ立つ城壁を100mほど先に望む林の中に、4つの人影があった。
ムウル、モーロック、ロザリオン、メリュジーヌ。調査団遊撃部隊のうち、城壁内偵察任務を帯びたアシュヴィンとアキナスを除く戦士たちだった。
彼らは城壁外の侵入路など偵察を行いつつ、アシュヴィン達の帰還を待っていた。
他の3人とより距離をとって、一人座るロザリオンは、突如脳内を突き抜ける波動を感じ、険しい表情で頭を押さえた。
「――これ――は――!?」
ロザリオンの異変に気づいたメリュジーヌは、彼女に近づき、かがみ込んで話しかけた。
「……どしたの、ロザリオンちゃん。 具合でも悪いの? 生理?
それとも愛しいアシュちゃんのことが心配?」
冗談とも本気ともつかない、デリカシーのかけらもないメリュジーヌの心配に対し、ロザリオンは睨み返しながら答えた。
「……なんでもない。今何か――アシュヴィンの恐怖と苦痛のイメージのようなものが頭の中に響いたのだ。
きっと、思い過ごしだ。アシュヴィンに限って――何かあるはずはない……」
メリュジーヌはニヤニヤしつつも眉に緊迫感を漂わせ、云った。
「そりゃあ……きっと、思い過ごしなんかじゃないねー。
かつてレエテ様は、フレアに師匠を殺されたナユタ様の悲しみの声を、数千kmの距離を超えて聞き取った。波長の合う者同士は、強い思いが発する魔力を、受信することがあるんだ。
それとは比較できないだろうけど、今アシュちゃんを好きでたまんないあんたとあの子は、波長が合っているはず。何かあって、苦しみを感じてる状況はきっと事実なんだろうね」
それを聞いたロザリオンは、青ざめた表情で唇をかんだ。
アシュヴィンを危ない目に合わせないと誓った彼女。今すぐにでも、助けに行きたい。
だがそれは、不可能だ。彼女らが行っているのは作戦行動。不確定なただの心配、ただの私情で全員を危険に晒す真似はできない。
メリュジーヌは微笑み、目を閉じてため息をつき、ゆっくりとロザリオンの隣に座った。
ロザリオンは一瞬嫌な貌をしたが、拒絶することはなかった。
「……ロザリオンちゃん」
「……何だ」
「あんたは当然あたしのこと、嫌いだろうけどあたしも――。あんたのこと大っ嫌いだったのー。
お高く止まっていけ好かなくて、そんなにナイスバディの美人のくせに気取って男も相手にしない。
高貴な血筋も実力もお持ちで最初から将軍位、何の不自由もなく育った勘違いお嬢様、それがあたしのあんたに対する印象だったわけー」
「……」
「けどそれも、こないだの森の城塞の件、そのあとアシュちゃんから聞いた話でだいぶ変わっちゃったわけなんだよねー。
あんたはあんたで結構弱くって苦労してて――あたしら一族を嫌うまあまあ正当な、同情する理由もあったんだって知ってね。
しかもそんな、恋する乙女みたいなカワイイとこ見せられたら、見方変わるしかないじゃん?」
「……」
「あたし、自分がサタナエル一族だってことにとーぜん誇りは持ってるけど――。
モーリィはもちろん他のみんなもそーだと思うけど、同時に大陸のみんなに呪いをかける迷惑な存在で――。ろくに人生も生きられない、生まれてこなければよかった存在なんじゃないか。そんな思いも同時に心のどこかで持っているんだよね」
「…………メリュ……」
「あたしはさ、あの悪魔の組織サタナエルの『施設』で生まれ育ち、10歳のとき――。
突如死のジャングルに突き落とされる『追放』を味わってねー」
「……あ……」
「自分を虫けらみたいに食らうバケモノがうようよする地獄で、あたしが姉妹みたいに思ってた大好きな友達は、次々に――。悲鳴を上げて食われ殺されていった。
運良く、首や心臓をやられた子はまだ幸運よ。あたしたちはそこをやられなきゃ死ねない。最悪、手足から徐々に食われる地獄の苦痛を味わい絶望のうちに死んでいく。
あたしは泣き叫びながらも、逃げるしかなかった。施設でも中の下ぐらいだった成績のゴミに何ができる? 叫んだのはごめんね、ですらないよ? 助けて、死にたくない……自分のことしか考える余裕が、なかったんだ」
すでにメリュジーヌの貌は――。無邪気な少女のような普段のものからかけ離れたモノに変じていた。
険を刻んだ表情の中でむき出された歯が噛み鳴らされ、空中の一点を睨む目は血走っていた。そしてその目からは――涙が、にじんでいたのだった。
ロザリオンはいつしか青ざめた貌でメリュジーヌの横貌を見つめ、言葉に聞き入るしかなくなっていた。
「あたしは親友だったミリアムと、ジャングルで5日間どうにか生き延びた。きっと、他に生き延びた女子がどこかにいる。合流して絶対に生き残ろう。子供ながらにそんな話をして励ましあいながら東を目指したのを覚えてる。
その途中に――出会っちまったんだ。バケモノじゃない、人間に。
後で知ったことだけど、その時点で組織サタナエルは既に壊滅していて――。会ったその男は、アシュヴィンの親父“狂公”ダレン=ジョスパンの手から逃れてジャングルに入った“剣”ギルド副将の男だった」
「サタナエルの……副将……」
「その野郎は……あたしたちを見て何をトチ狂ったか、どちらかを人質にしようと思ったらしい。
“狂公”相手に人質をとったところで、何の意味もないのにね。
そこでそいつはあたしを選び――恐ろしい技でミリアムを――真っ二つに、しやがったんだ……」
メリュジーヌの手が意図せずしてか突然結晶化し、音をたてて地面にめり込んだ。
それに気づいていないのか、彼女は言葉を続けた。
「そいつはあたしを手込めにしようと襲いかかった。あたしは腰が抜けてうずくまってたが――。
そこへ救いの手が現れたんだ。
巨大な炎の刃が現れて、野郎を一刀両断にし、消し炭にしてくれた。
それがシェリーディア様だったんだ。あんたのお師匠、ダフネ様と一緒にサタナエル女子を救いに来て――あたしを助けてくれたんだ」
ロザリオンは亡き師匠の名を聞いて胸がうずくと同時に――誇らしくなった。
「シェリーディア様のあのお姿は今でも鮮明に覚えてる。カッコよくて頼もしくて輝いてて――涙が出た。あたしが魔導戦士になろうと思ったキッカケさ。
それで本拠に連れられたあたしは、他の何十って女子と一緒にレエテ様と面会し――。あの方が“魔人”を斃し、組織を滅ぼしたことを知った。もう、ジャングルに戻されることもない。自由だ。それを知った他の女子は、歓声を上げて喜んだけど、あたしは違った」
「……」
「あたしは立ち上がり、レエテ様に食ってかかった。悔しかったんだ、どうしようもなく。
『どうして今なの!? どうしてもっとはやく、たすけに来てくれなかったの!?
あとすこしはやかったら、みんなは死ななかった! ミリアムだって、死ななくてよかった!!
おねえちゃんがはやく来なかったから、みんな死んだ!! みんなをかえしてよ!!!』
ってね。
レエテ様を責めるのもお門違いだし、時期は違えど他の女子だって皆同じ経験をしてる。ガキのたわごとよね。絶対今のあたしだったら叱りつけて終わりだよ。
けどレエテ様は、違ったんだ」
「……レエテ・サタナエル……」
「悲しみの表情で涙を浮かべ、あたしの前に来てひざまずいて、云ったんだ。
『本当に、ごめんなさい……。あなたの云うとおりだわ。私は自分中心の恨みだけで動いていた。もっとあなたたち女子のことを思っていれば、違う形で救うことも、もう少し早く来ることもできたかもしれない。誰よりあなたたちの苦しみを知っている私がそうできなかったこと、本当に悔やんでいるわ。
だからせめて、約束する。私は命をかけて、あなたたちを幸せにする。亡くなってしまった、友達の分まで。どうか、信じて……』と」
一度息を大きく吐き出し、メリュジーヌは続けた。
「この人は、本気で云っている。本気であたしたちのことを考えてくれている。だから、信じようと思った。それがあったから、その後に直面したあたしたち一族と一般人の隔たりや――自分で自分を差別する醜い心とも折り合いをつけてこられたの。
あたしは救われ――そしてレエテ様の、一族のために身を捧げようって誓ったのよ。
そうして鍛錬に鍛錬を重ね――最強の一族戦士に登りつめたってわけ。
そんなところかな。あたしの身の上話は。
あたしだけがあんたの話を知ってるのはフェアじゃないって思ったから、話そうと思っただけだけど」
メリュジーヌのすでに結晶化を解いた手の上に――ロザリオンの白い無骨な手が触れた。
「……感謝する、メリュジーヌ。話してくれて。
貴殿のことは一族であること以上に嫌いだったし、距離をおいていた所はあったが――。
私も多少貴殿のことを見る目が変わらざるを得ないようだ。
あの城塞で貴殿が私に掴みかかったときの様子。真に仲間を思う様が、今の言葉が嘘でないことを証明しているしな。
貴殿ら一族を見る目も、全てではないが変わったのは……間違いない」
ゆっくりと立ち上がったロザリオンは、剛剣の柄に軽く手をかけながら、背中越しに横目でメリュジーヌを見た。
その貌は照れからか真っ赤に染まっていた。
「だから改めて……仲間として云いたい。
よろしく……メリュジーヌ・サタナエル」
メリュジーヌはフッと笑いをもらして立ち上がり、ロザリオンの背中を叩いて云った。
その表情は――ようやく、いつもの彼女のものに完全に戻っていた。
「あははっ♪ なんかちょっと気持ちわるいけど、とっても嬉しいよ、ロザリオンちゃん。
あたしの方こそ、これからもよろしくね♫」
しかし――そこまで云ったメリュジーヌの貌は、突如としてこわばった。
間髪入れず、ダルダネス城壁内のある一点を見つめ、つぶやいた。
「――アキナスちゃん? そんな、城壁内で魔導を、使った?
まさか――失敗、したの?」
メリュジーヌのただならぬ様子を見てとったロザリオンは青ざめ、彼女の肩を掴んだ。
「メリュジーヌ!! どうした!?
アキナスの? 魔力を感じたのか!? どうなんだ!!」
メリュジーヌはロザリオンに目を向け、云った。
「そーよ……。アキナスちゃんの、全力の爆炎魔導。非常にマズい事態よ……。さっきあんたが感じたアシュちゃんの状況から考えても、あの二人は今、生きるか死ぬかの事態に直面している。
ムウルを呼んできて、ロザリオンちゃん!! あたしはモーリィを呼ぶ。すぐあの子たちを助けに行くわよ!! あたしたち4人で!!!」