第三話 ダルダネス市街にて
その城門は、アシュヴィンに例えようもない圧迫感――プレッシャーを与えた。
どのような魔導・魔工でも撃ち抜けないであろう、厚み10m、高さ60mのアダマンタイン製城壁。
そこを30m四方にも渡ってくり抜いた巨大扉は、いかに自分が世界の中で矮小な存在であるかを思い知らせるがごとくに天から押し迫る。それはアシュヴィンのみならず、この城門をくぐる米粒のごとき人間たち数百人も同様に感じているようであった。
城門をくぐり、青空の下へ再び出たアシュヴィンとアキナス。そこには高さ数mの家屋から数十mにも及ぶ見上げるような庁舎風建物まで、多種多様な建造物がびっしりと並んでいた。上空から俯瞰せねばはっきりとは分からないが、地上から見たかぎりではローザンヌのような芸術性高いものではなく、どちらかといえばランダメリアのような幾何学的で無骨な町並みだ。
建物の間に伸びる街路は石畳であり、異様な様相の城門に比べて特別なものではない。建造物も高層建築はアダマンタイン製と思しかったがそれ以外のものは、さほど特別なものといえぬ石と木で造られたものに過ぎなかった。
行き交う人々はアシュヴィンらがなりすましている農民、および彼らの監視役である軍人が多数を占めているものの、それ以外の市井の人々と思しいものもいた。幅10mにもおよぶ街路を埋め尽くす人間は、おそらくそこだけで数千人に達すると思われる雑踏を形成し、息苦しいほどだ。だがそこに活気や、健全な賑わい、というものは僅かにも見出すことができなかった。どの者の表情も絶望に沈みきり、これだけの大都市の様相を呈しながらスラムそのものと云い換えても良い暗さに満ち満ちていたのだ。
「城壁と建物だけは――異様でしたけど、今の所それ以外はそこまでハルメニアの常識外という訳じゃないですね。
やっぱり支配されているんですね。話に聞いただけですけど、かつてサタナエルの支配下にあったエスカリオテ王国のような――人々の抑圧と絶望を感じます」
人いきれの中、身を寄せ合うアキナスに対しアシュヴィンが小声で話しかける。
アキナスも、周囲を油断なく見渡しながら小さくため息をもらし、同意した。
「ああ、まさにあの王国みてえな感じなんだろうな。サタナエルが“ケルビム”に変わっただけでよ。
オメーも会ったあの一家のみてえな近隣の村々から集めた強制労働力も、多数農場に投入されてるってこたあ農民の奴らの情報で知れてる。あと問題は、その『子供ら』の連れられる場所、だな」
「そう、ですね。今の所、奴らにとって最重要な場所でしょうからね。戦力が集約されてるその場所を探り当て、そして『避けて』“アルケー”のもとに辿り着く。
……だけど」
「アシュヴィン。お優しいオメーが何を考えてるかは、分かる。けどその考えは捨てろ」
「え……。で、ですが……」
「子供らは可愛そうだが、アタイらの目的は慈善事業じゃねえ。ハルメニア大陸を救うことだ。その為に情報を得て前に進む軍事行動に邁進するのがレエティエムだ。この土地の子供らを助ける目的でアタイらが動くこたあ、決してねえ」
「……」
アキナスの正論に、アシュヴィンは唇を噛んで黙るしかなかった。
彼らはそのまま雑沓の中を歩き続けた。やがて街路は市場にあたる場所に到達したようで、若干の賑わいのようなものを見せ始めた。直径100m円状の広場に、様々な露店が軒を連ねている。
アキナスはすかさずそれらの店を物色し、やがて一軒の店に狙いを定めた。それはどうやら、『土産物屋』というべき、間口2mもない屋台であった。売り物は木彫りの置物や装飾品、小ぶりの調度品など。これだけ難民に近い民衆が生活必需品を求める場にふさわしくない品揃えが証明するかのごとく、雑沓の中客は一人もおらず、禿頭でやせ細った初老の店主が一人退屈そうに頬杖をついていた。
二人は屋台に近づいた。アキナスが店主に話しかける。
「こ、こんにちは! わたしはリニー、こっちは弟のアリーって申しますです! めずらしいもん売ってるなあって思って来ました!
この木彫りの人形、すごく良えですね! これおじさんが、自分で作ったんでスカァ!?」
朴訥でハキハキと明るい演技で、アキナスが問う。初老の男性は、ジロッと胡乱そうな目でこれを見返したあと、口元に笑いを作りながら云った。
「……わしゃあ、ハロランだ。おうよ。工芸職人のわしが、丹精こめて作ったもんだ。
お嬢ちゃん、なかなか変わってるよな。見たとこ、あのひでえ農場から月一の買い出しを許されて来たんだろ? 生き死にがかかった生活の中で、こんな老いぼれが作った、何の生きる役にも立たねえガラクタを買ってくれようってのカイ?」
職人ハロランは低く静かな口調で話し、その言葉には皮肉がたっぷり込められていた。が、本来の中身が彼など及びもつかない皮肉屋であるアキナスは、これに全く動じることなく演技を続けた。
「ガラクタなんて、とんでもねえです! 堂々としてて、こんなに……何てんですかね、恐れ多いって云うのか、細かくて美しいのにこんな雰囲気出せるなんて、ほんとに凄えデス!」
アキナスの言葉が響いたのか、ハロランは若干の柔和さを目許と口元に見せ、口調すら柔らかくなって言葉を返した。
「……たりめえよ。わしほどの腕の職人が、この『この御方』の像を作るのに、手を抜けるわけがねえさあ。そいつあ実は、わしのこの作品の中じゃあ一番の自信作なんよ。
このダルダネス一の英雄、フォーマ・ギブスン様の像がナア」
この言葉を聞いたアキナスの目の奥が、異様に鋭く光った。
アキナスは実は「芸術家」としてのレエテ・サタナエル信奉者でありちょっとした美術品愛好家であり、その方面の目利きには自信があった。この木彫りの人形がハロランの自信作であることも、ただならぬ偉大な人物を型どったものであることも即座に見抜いた上でカマをかけたのだ。
彼女はさらなる情報を引き出すため、言葉を継いだ。
「やっぱりそうですよね!! わたしあの方をほんとにほんとに尊敬してて……こんな凄え人形なんて見たら、いてもたってもいられなクテ!」
――とそこで、ハロランは突如険しい表情になり、鼻の前で人差し指をたてる仕草をした。
「声がでけえよ、リニー嬢ちゃん。どこで兵士共の耳に入るか分からねえんだから、慎重にな。このわしは一向に気にしねえが、若え身空のあんたに危険があっちゃいけネエ」
――つまり、このフォーマ・ギブスンというダルダネスの英雄なる者の名は“ケルビム”勢力から危険視されており、その名を神聖視するものは排除・粛清の対象になりかねないということ。このフォーマについて詳しく知る必要があると見たアキナスは、ハロランの話の腰を折らずに黙ってうなずき、低く声を発する彼の言葉に耳を傾けた。
「フォーマ様も、その御子マレイセン王も――。あの忌々しい“ケルビム”の連中に敗れた。
王は処刑されフォーマ様は行方知れず。王派残党のレジスタンスに匿われたなんて話も聞くが定かじゃあない。
どっちにしろあの非道、そして『魔力のねえ人間』を量産しようとしてる時点で、奴らの神も恐れねえイカれっぷりは証明されてる。奴らは許されちゃいけねえ。それを成敗できるとすりゃ、フォーマ様以外にいねえンダ」
小声ながら鼻息荒く云い放つハロラン。確かめたわけではない。が、彼の今の言葉はおそらく、“ケルビム”を除く支配抑圧を受けるダルダネス民衆すべての言葉を代弁したものであろう。
やはりダルダネスには元々真っ当な国家があり――“ケルビム”が征服した。それが証明されたのであり、どこかに強力な反抗勢力が存在するという情報は極めて心強いものであった。
「そそ、そうですよねえ……。わたしの周りにも強制で連れてこられた人いっぱいいて、坊っちゃん嬢ちゃんが連れてかれたって人も、いっぱいいます。どこに連れてかれたのか……皆心配してまスウ」
密かに光を放つ上目使いでハロランを見ながら、アキナスは云った。彼は渋い貌をしながら続けた。
「子供らか……。わしも話しに聞いただけだがなあ、城塞北東のヌイーゼン山脈寄りにあるっていう収容所らしい。……奴らは『更生施設』なんぞと云い張ってるが。どっちにしろあそこにゃあ“ギガンテクロウ”と“ホワイトドラゴン”ってえ恐ろしいエグゼキューショナーが2人も見張ってやがるって話しで、とても連れ戻せるなんて状態じゃあねえよ。親御さんにはそう伝えてやンナ」
……この辺りが引き際のようだ。もう十二分に貴重な情報は聞けた。「最後の収穫」を得て、この場を去るべきだろう。アキナスはそう判断した。
「いろいろ、話し聞かせてくれてえ……ありがとう、ございましたあ。このフォーマ様の像、買わせてくだせえ。おいくらでしょウカ?」
ハロランはこれを聞いて破顔し、途端に愛想よく云った。
「……ナルカンドラスやエイミリムから旅人や観光客が途絶えて以来、あんた初のお客さんだよ、リニー嬢ちゃん。ありがとな。150ダラスになルゼ」
事前に農民から情報を得ていた、レムゴールの通貨、ダラス。ハルメニア通貨ゴールドの1.5倍程度高い物価を考慮しても安くない買い物だが、惜しくはない。
アキナスは財布から貨幣を取り出しハロランに渡したが、この金額を見たハロランの貌が、見る見るうちに引きつった。
「おい嬢ちゃん。ふざけてんノカ?」
「……エ?」
「こりゃあ云い値じゃねえか。わしの職人としての技術と接客に、1ダラスも払う気がねえってのか? 最低でも1.2掛けか、1.5掛けが普通だよなあ? “礼札”はどうしたんだ? ん?
おめえ、常識あんノカ?」
――しまった、まずい。あの農民はこれが一般常識だと思って、伝えていなかったのだ。
レムゴールにはどうやら、純粋に商品にかかる材料費と人件費に対し、与えられる「満足」と、商品に対する「評価」を上乗せする文化があるようだ。雰囲気から察するにそれは子供でも知っている常識であるらしい。
「す、す、すみません、すみません!! わたし、ぼーっとしちゃってえ、うっかりしちゃってえ!
こ、これだけ、払う気でいたんです、すみません!」
これは半分演技でなく、背筋に氷水を感じながら慌ててアキナスは1.5掛けにあたる金額を追加した。――そこで、うっかりハルメニアのイントネーションで喋ってしまったことを自覚し、さらに全身を凍りつかせた。
金を得てハロランは怒りを収めたが、屋台から身を乗り出してアキナスに詰め寄った。
「……おめえら、何者だ? 途中で変な喋り方になりやがって。ただの農民のガキじゃあねえ、胡散臭い奴らって感じダナ……」
「……あの……あの、わたしたチハ……」
「まあ、いい。さっきのおめえの褒め言葉は真っ当だったし、品をちゃんと買ってくれたからにゃあお客だ。これ以上詮索はしねえ。それにわしの口からは、他の誰にもこのことは喋らねえ。
だがこんな当たり前のことも知りませんじゃあ、どっかでボロを出すぜ。せいぜい気をつけな。じゃアナ」
ハロランの言葉を受け、アキナスとアシュヴィンは這々の体で市場を逃れた。数十m走った後で、アシュヴィンはアキナスの背中をさすり、声をかけた。
「アキナスさん、大丈夫ですか……! 気を確かに……!」
アキナスの貌色は悪かった。額からは数条の汗を流し、目は見開かれていた。
「はあ、はあ……はあ、大丈夫、だよ……。
ごめんな、アタイとしたことが……下手を打っちまった。それだけならまだしも柄にもなくビビっちまって……偉そうなこと、云えねえな……」
まだ動悸が早い焦りの余韻があるが、明らかにアキナスは落ち込んでいた。アシュヴィンは猛烈にかぶりを振った。
「そんなこと、ありません! あの状況じゃ誰だってそうなりますし、アキナスさんの失敗じゃありませんよ。結果的に場は収まったんですし、あれだけの貴重な情報を得られたのはアキナスさんだからですよ」
それは本心だった。あれほどの演技と、目的の情報を巧みに引き出す話術がなければここまでの成果は得られなかったのだ。アキナスは力なく笑い、得た貴重な情報の一つ、フォーマ・ギブスンの像をアシュヴィンに渡した。
「そいつを持っててくれ。今そのオヤジの貌、アタイは見たくねえからさ……」
冗談交じりに云うアキナス。アシュヴィンはじっと像を見つめた。
樫、であろうか。かなりの頑丈な木材に刻んだ、高さ20cmほどの彫り物の人形だ。等身は低く設定されており、4等身程度であろうか。鎧に身を包み大剣を地に突き刺した身体部分は強調表現がされているが、貌はかなりリアルに作り込まれており、当人の実際の容貌に近いのだろう。
口周りも顎もかなり立派な髭に覆われており、鼻は高く、両目と太い眉はかなりの意志の強さを感じさせる。少しだが、ロザリオンの亡父レオンに似ているようにも思う。見ただけでもかなりの傑物、英雄であろうことは推察できた。
(異邦の王者。ハロランさんの言葉を信じれば、まだどこかで生きている可能性がある。
ひとまず子供たちの居場所の手掛かりは掴めた。勝利への希望は十分にある。そして……)
物思いに沈みかけたアシュヴィンの耳に、街路を駆けてきた騎乗の兵士が放つ怒号が、突如飛び込んできたのだった。
「聞けええい、貴様ら!!!! これよりアルセウス城下広場にて、“アルケー”が下知をくだされる!!!!!
繰り返す!!!! “アルケー”のお言葉だ!!!! 参集できる者は即刻、広場へと急げ!!!!!」