第一話 気脈の洪水
レムゴール大陸南西端の海岸に位置する、ハルメニア人の領地ハルマー。
不法に侵入したハルメニア人軍属、レエティエム1600名の精鋭によって建造された即席の城塞ではあるが、堅牢さと生活基盤を備えた強固な拠点としての機能をすでに備えていた。
哨戒し補給物資を工面し、戦闘訓練に余念のない精強な兵士はもちろんのこと――。それを指揮する将もまた、万全の備えであったからだ。
連邦王国の女将軍でハルメニア随一の弓手、ムウル元帥の妹イシュタム・バルバリシア。
同じく連邦王国、シュメール・マーナの祭祀で法力使いガレンス・マイリージアス師。
法王庁司教で、ハルメニア最高の聖職者と云われるオリガー・ティールパイク。
リーランドの議長で大魔導士レジーナ・ミルム。
ノスティラス皇国元帥、糸使いサッド・エンゲルス。
ボルドウィン魔導王国大導師府導師ラウニィー・グレイブルク。
同じく魔導王国宰相兼大僧正ルーミス・サリナス・フェレーイン。
ハルマー司令に任命された、エストガレス王国王配兼元帥ジャーヴァルス・ドマーニュ・エストガレス。
彼らハルメニアの名だたる英雄を、シエイエスは守りに残していたからだ。
天守閣にあたる石造りの城の、さほど長くはない廊下。
司令ジャーヴァルスは、その奥の一室に足を向けていた。そこで待ち構える人物から呼び出しを受けてのことだ。
邪悪な凶女たる伯母サロメではあるが、その天才的才覚に関しては確実に引き継ぎ――。その娘たる従姉レエテが大陸一の英雄となったことで地位を得――。ついにはハルメニアで最も旧い王国名家の女王を娶った彼。
誰もが羨む輝かしい成功を掴んだジャーヴァルスだがそれのみにあらず、美形血筋が証明する美男子ぶりにしても、30を手前にした今も衰えるどころか光を増している。黒髪オールバックの整った髪の下にある、整い過ぎた精悍な貌は渋みを帯びて、同じ血筋を持つレミオンとはまた違った魅力を発散している。
木造りの扉を躊躇なく開けようとした瞬間、扉は中からタイミングを図ったかのように勢いよく中に開かれ、ジャーヴァルスは勢いをそがれて前につんのめった。
「よぉく来た!!! ジャーヴァルス、待っていたよ!? すぐに君に見てもらいたいものがある!! こっちこっち!!」
そこにいた一人の女性が、よく通る高い大声でまくしたててジャーヴァルスの手首を掴んで強引に中に引き入れてきた。
大魔道士レジーナ・ミルムその人であった。
彼女が案内した室内には、巨大な金属装置が鎮座していた。
それは、レエティエムをレムゴール大陸で見事送り届けた功労者、魔工船の心臓部。エーテル・タンクであった。各船の中でも最も巨大なボルドウィン船のタンクを、ハルマーのこの場所まで運んでいたのだ。目的は勿論――。
「ナユタから気脈に関して研究を一任されているラウニィーとわたくしだが、ついに! ああ、ついに!!! わたくし達はこの気脈を発している『なにか』にたどり着くことができたのだよ、ジャーヴァルス!!」
興奮して耳が痛くなるほどの大声で叫ぶレジーナ。だがジャーヴァルスは――それに苦笑する余裕すらなく、目前のエーテル・タンク内に展開した驚愕の光景に完全に目を奪われてしまっていた。
淡く幻想的な光を放つエーテル・タンクの前で、光の立体像が結ばれていた。体高1.5m、幅2mほどに形造られた像だ。
タンク内部から放射された色とりどりの無数の光線が絡み合い、空中に投影されているようだ。二人の偉大な魔導士による魔導の業と思われたが、その像は姿のおぼろげな輪郭だけが表現されており、そのものの正確な質感や色彩は分からない。
しかしその輪郭だけの状態だけでも、投影された「それ」のただならぬ様相は伝わっていた。
「こ――これは、何だ――? 巨大な、花? まるでジャングルのラフレシアか何かのような――。
しかし、この幹? から下の部分は、まるで――」
「ドラゴン、のようでしょう? こんな異形の怪物、さすがのグラン=ティフェレト遺跡でも見たことはなかったわよね、ジャーヴァルス」
ジャーヴァルスの呟きに反応し言葉を返した、ラウニィー。
彼女は奥まった場所から腕を前で組みながら歩み寄ってきたが、抑えていながらも彼女も興奮を感じているようだ。
「私とレジーナは、どうにか上空にある馬鹿げた気脈の調査を敢行しようと、ようやくその一部を曲げて地に下ろすことに成功した。一旦エーテル・タンクにそれを注ぎ、私達魔導士が身につけている魔力による他者の感知に努めた。それで色々なことが分かり、ひとまずこのように対象を可視化してみたの」
ラウニィーはここで何かに思い至ったのか、やや物憂げな表情になりながら続けた。
「あなたが今見ている像は、おそらくだけど――。この『術者』の実際のサイズの10分の1といったところじゃないかしら」
ジャーヴァルスは目を見開き、ラウニィーに返した。
「10分の1!? それではこの――『術者』は実際には、15mもの巨大さを有していると?」
「ええ。そしておそらく数千kmはある途方も無い遠距離から、気脈の元となる魔力を発生させている。また、私達が屈曲に成功したのは僅かな一束。上空のあの物量の気脈は、このような想像を絶する怪物が――少なくとも1000体は存在し、絶えることなく魔力を放ち続けることで維持されているのだろうということ」
「そんな――!」
ジャーヴァルスは端正な貌を青ざめさせて、息をのんだ。そして改めて、目の前の異形を凝視する。
上半身のほとんどを占める、巨大な花のような「頭部」。その下に不自然につながった、ドラゴンのようにごつく重々しい両脚と尾。もしもその花にあたる部分から魔力を発しているのならば、この異形はただその目的のためだけに創造された存在なのだ。かのグラン=ティフェレト遺跡に存在する、古代カマンダラ教が創り出した怪物は禍々しいが、まだ一個の生命体としての「尊厳」を有していた。まるで道具でしかない目の前の異形を見るにつけ、嫌悪感と吐き気をもよおしたジャーヴァルスは思わず片手を胸に当てた。
「これも――『敵』の仕業なのか? クピードーからもたらされた情報にあった、“ケルビム”なる組織の。
それほど強大な力を有する敵、我々の戦力で勝ち目はあるのだろうか――?」
「少年時代から君の心配性は変わってないねえ、ジャーヴァルス!! 君はもうオファニミスを虜にし、王子を設け、大陸でも名だたる、いっぱしの英雄じゃあないか!? どっしり構えていればいいんだよ! もっと君自身も、仲間も信頼してくれよ!!」
ネガティブな言葉を口にしたジャーヴァルスの背中をバンバンと叩き、豪快に笑うレジーナ。
「わたくしもラウニィーも、ルーミスもいる。今まさに戦ってくれている、シェリーディアとシエイエスもいる。これだけの大英雄がいて、しかもどんだけ強大だろうが、少なくともクラーケンやリヴァイアサンみたいな『神』の域じゃあない。あれらの脅威をくぐり抜けてきた我々なら大丈夫! わたくしはむしろ、敵の姿が見えれば見えるほど、それらが強大であればあると知れば知るほどに滾ってきているよ!! これほどに抑え甲斐のある気脈の洪水に加え、解明し甲斐のある北東の膨大な謎!! 今まで生きてきて本当に良かったと思えるほどにねえ!! あああ!」
興奮が突き上げてきた様子のレジーナの後ろから、肩越しにのしかかるように貌を出した、金色の毛並みを持つ猫。レジーナの魔導生物、キャダハムだ。
「そのぐらいにしておくがよい、レジーナ。まずラウニィーらは間違いなく大英雄だが、汝がそこに自らの名を連ねるのは、図々しいにもほどがある。しかも吾輩の補助魔導がなければ、汝の電磁波も威力を発揮できぬのであるぞ。むしろ大いに、ジャーヴァルスの謙虚さ慎重さを見習うべきではないのかな?」
魔導を付与され圧倒的に寿命の長い魔導生物であるが、その創造時期を考えれば彼も猫として相当の歳であるはずだ。が、愛らしい見た目にそぐわない、若い頃から文語調であった彼の喋り方のせいなのか老齢を全く感じさせない。
レジーナは、こちらも歳を感じさせない、口を尖らせたむくれっ面でこれに答えた。
「ああうるさいな!! わかりましたよ、もう!!! まあ何はともあれ、調査団の組織打倒および聴取も重要だが我々魔導士としては、いよいよ本腰を入れて探索任務の封印計画を推し進める必要が出てきた。戦闘はアキナスに一任するとして、この――そうだな、“魔花竜”とでも云うべき気脈源の性質を徹底的に調査する!! 忙しくなるぞ!!」
怪物に命名し満足したのか、思いついたように奥に引っ込んでいったレジーナとキャダハムを見送り、ラウニィーは肩をすくめてジャーヴァルスに云った。
「相変わらずでしょ、彼女達。だけどそこが良いところだし、私も元気をもらっているから感謝しているの」
「本当ですね。僕もあのひとには昔から励ましや助言をもらって感謝しています。もちろん、レエテ様ともども僕を指導してくださったラウニィー様、あなたにもね」
「私は大したことはしていないわ。ただレエテは別格よね。あなたもこの世の誰より彼女を敬愛していたし――私もナユタの親友として彼女を紹介されてから人生が変わった。強く、気高く、それでいて愛情に溢れている。こんな人がこの世にいるんだって衝撃を受けた」
「ええ、僕はレエテ様の存在が大きすぎて――亡くなって7年経った今でも立ち直れずにいるほどです。
あの方の遺志を実現するために僕は命を惜しみませんし、必ず成し遂げます。
――ひとまずご報告、感謝します。今回の成果を早速ルーミス様にも報告し、今後の善後策を練りましょう」
「そうね。彼は今、シェリーディア達が降りた後のアトモフィス船の回収の最中だったかしら。戻ったらすぐに会議を招集しましょう」
そう云って言葉を切ると、ラウニィーは北東の方角――それも、レムゴール人の都“ダルダネス”が存在するという方角へとおもむろに目を向けた。
彼女は気脈研究と同時に、身を案ずるエルスリード達に向けても魔力探知を向けていた。ラウニィーほどの大魔導士ゆえにエルスリードらの無事はかすかながら探知できていたが――。
同時にその方角に、ラウニィーは感じ取ってしまった。
シェリーディアのものでも、シエイエスのものでも、それに次ぐ大きさのメリュジーヌやアキナスのものでもない恐ろしく巨大な魔力。
気脈に向かって長大な柱のように立ち上る、暴虐的な魔力。敵のものに相違ないその魔力は、下手をしたら――。
ラウニィー自身を凌ぎ、ナユタに匹敵するのではないかという恐るべき魔力であった。
すでにセレンを通じた情報により、この地域において敵対する勢力の頂点、“アルケー”なる存在がダルダネスなる都に居ることは掴んでいる。この者がどうやら魔導士であるらしいことも。
エルスリード、アシュヴィンらが立ち向かうまさにその敵の、途轍もない強大さを表したものであるのか。それとも何らかの気脈の歪みによるものなのか。
後者であってほしい。その強い願いを込めつつ、シェリーディア達がいるのだから大丈夫だ、という自己暗示を絡めつつ――。ジャーヴァルスと同じく心配性であるラウニィーは、祈るような思いで遠い戦場へと思いをはせるのだった。