第二十一話 少年の複雑な想い
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森林のキャンプを畳み、東へと移動を続ける、ムウル率いし調査団遊撃部隊。ハルメニアで強者に君臨した彼らは、武装と鍛え抜かれた肉体を迷彩色のマントで覆い隠していたが、焼け石に水だった。
見た目をどのように覆い隠そうと、魔力を弱めようと、隠すことのできない物はある。かつてのソガール・ザークの隠密のような絶技を持たない彼らには、どのようにしても己の戦闘者としての闘気をゼロにすることはできなかった。実際に目にした経験のあるムウルには、それができないことが恨めしかった。そこいらの農夫や旅人になど、見えたものではない。せいぜい控えめにいって、傭兵か山賊といったところで人目を避けるには著しく不十分だ。
おそらくは“ケルビム”なる勢力に発見されれば、いわずもがな問答無用の攻撃を受け――。そうでなくとも衛兵には見咎められ、旅人からは避けられ通報されてもおかしくない。樹々の間を縫うように移動するしかなかった。
戦士であるアシュヴィン、モーロック、ロザリオンは前衛、後方支援を得意とするメリュジーヌとアキナス、司令官であるムウルは後衛。互いに少し距離を置いて行軍する一行の中で、隣り合って進むメリュジーヌとアキナスは、小声ながら会話に余念がなかった。
「ねえねえ……どう思う、アキナスちゃん? あんたから見て。あれはもう、どう見ても完全に――アレよね?」
自分が気づいた事実に興奮を隠さないメリュジーヌ。その浮き上がった問いかけを受けて、アキナスは不気味な笑みを浮かべて答えた。
「メリュジーヌ様も、気が付いてましたか……。ええ、アタイから見てもあれはやられてますね。
あの城塞の中で何かあったか知りませんが、もうアシュヴィンのやつに完全に惚れてますよ」
二人の目線の先には、明らかな寝不足状態のアシュヴィンと――身体が接しないギリギリの距離で寄り添い、目を潤ませて不器用に話しかけ続けるロザリオンの姿があった。もうアキナスほどの手練でなくとも、女ならば彼女がアシュヴィンに強い好意を寄せていることは明らかだった。
城塞の中であった出来事――。ロザリオンの純潔と男性恐怖症の発覚については、メリュジーヌはアシュヴィンから他言無用を約束させられており明かすことはなかった。が、本人があそこまであからさまに恋愛感情を露わにした今、それもあまり意味のないことのように思えた。
「普段から想像できませんが、やっぱり純情なんですね、あの方。昨日もアシュヴィンに添い寝をさせてるのを見ましたが、もじもじ近づくのがやっとで。アタイなら速攻で襲いかかってるとこなんですけどねえ」
――云うとおりアキナスはおそらく、隣で苦笑しているムウルも、「速攻」で落としたのだろう。そう察したメリュジーヌは含み笑いで日常の彼女に完全に戻り、言葉を返した。
「そうだね♪ アシュちゃんがトチ狂って手を出しちゃわない限り、そう簡単には進展しないだろうね。
それまでにお姫様たち――エっちゃんとエルちゃんが間に合うかどうかが、楽しみだねっ! ああ楽しい。レムゴールじゃ退屈するかもなんて心配したけど、実戦以外にこんな思わぬお楽しみが待ってたなんて、嬉しすぎる誤算よ♫」
背後で大人の女性たちが好き勝手に云っていることなど、アシュヴィンには預かり知らぬことであった。彼はそれどころではなかった。
隣ではロザリオンがつかず離れず、自分に目を向けてきているのだ。
「アシュヴィン……体調が悪そうだが……だ、大丈夫か?」「アシュヴィン……次に鞘を払うときは、抜く直前で親指の先に力を込めるといい。抜刀の威力が増す」などと、色々な言葉をかけてくる。
後者は非常にためになるアドバイスで有難いが、前者はロザリオン本人が原因の寝不足によるものだ。いずれにせよ極端に距離を縮めてこられて、彼は全く心中穏やかではなかった。
アシュヴィンは幼少時からエルスリード一筋だ。その一途な恋心は今でも何ら変わらない。だが彼も、16歳という思春期真っ只中の多感な年頃である。恋心とは別に、美しかったり妖艶だったり可愛らしかったりする女性に目を奪われてしまうことは多々ある。ロザリオンは美しく妖艶な体つきで年上、かつ純情で可愛らしいギャップという、アシュヴィンの「タイプ」の一つに非常に合致する女性。ましてや共に死線をくぐり抜けた戦友ともなり、現在おそらく少なからずの好意を向けられている。このような相手を意識しないとか、胸をときめかせないというのは非常に難しい。
彼は身体の下側から熱いものがこみ上げ、貌は赤くなる中、目の前のロザリオンを抱きしめてキスをしたいというある種本能的欲求を全力で制御していた。このような時だけは、おそらく欲求を一切我慢してこなかったであろう親友レミオンの性格が極めて羨ましかった。
「アシュヴィン……」
またしても、アシュヴィンの自制心を揺らがせる誘惑の声がかかり、彼は極めて平静を装った笑顔で答えた。
「なんですか、ロザリオン様?」
「お前と別れたエルスリード達は、どうしているのだろうな? 無事なのだろうか?」
「別れた」「エルスリード」。ロザリオンからまるで恋敵を意識するかのような語句を出され、己の中の幼馴染へのやましさもあって、アシュヴィンは思わず軽く咳き込んでしまった。
「ゴホゴホッ、グフッ……! そ……そうですね……。分かりませんが、きっと無事だと思います。
エグゼキューショナーからは逃れる方向、ハルマーに移動しているってアキナスさんが云ってましたし。エイツェルも一緒だそうですし、心配なことはないと思ってます」
「そうだな……」
ロザリオンは横目でアシュヴィンの様子を見た。自分は男を恐れ避け続け、何の縁もない人生を送ってきたのに、急に意識し始めてしまった年下の男子。彼の自分を理解してくれた優しさにほだされた気はしているが、今はアシュヴィンの側にいるだけで幸福感に満たされるし、自分を抑えることができない。それに戸惑ってはいたが――。
ロザリオンは考えに沈むように下を向き、やがて低く云った。
「アシュヴィン」
「なんでしょうか?」
「私は……お前を護る」
「ロザリオン様?」
「二度と、あんな敵に私は負けない。そして二度と、あんな危ない目に、お前を合わせはしない」
「……」
「これからも一緒に、私と戦ってくれるか?」
「……勿論ですよ。僕らは負けはしましたけど、あの化け物との戦いを必死に――ともに生き抜いた戦友じゃないですか。これからもよろしくお願いします、ロザリオン様」
相手が女性との過剰な意識を忘れ、心からの笑顔を向けるアシュヴィン。
ロザリオンは安堵したような表情で、アシュヴィンに潤んだ瞳を向けた。
その時――。
「皆の衆、静かにせい。どうやら――着いたようじゃぞい。
目的地になあ」